夢をあきらめない
昨日の記事に、「自分が求めたものは手に入らないことがほとんどである」と書いた。
今日のタイトルが「夢をあきらめない」なので、なんだか正反対のようなことを書くのだが、自分の夢や希望は持ち続けた方がいいと思う。
「自分が求めたものは手に入らないことがほとんどである」と書いたのだが、手に入ったものもあるのである。
それも僕の場合は学歴や資格など結構大きなものだ。
ではなぜ「自分が求めたものは手に入らないことがほとんどである」と書いたのかというと、望んだものを手にしてからの展開が思い描いていたものと違うということがある。
上に挙げた例で言えば、志望大学に入ることはできたが、学術研究という面では大学のアカデミズムは僕の思い描いていたものと違った。
また、苦労して難しい資格も取ったのだが、そんなにこの資格にまつわる仕事が好きなわけではない。
こうしたことは目標を達成してから気づいたことである。
学歴にしろ、資格にしろ、自分の努力で何とかなると言えば何とかなるものではある。もちろん、経済的にチャレンジすることが許されるかどうかという問題はあるが。
しかし、他人や外部要因といった自分では制御できないものによって人生は大きく左右される。
なので、受験など自力で突破できるものをクリアしたとしても、望み通りになるかと言えばそれは違うのである。
とはいえである。
僕は母校が好きだし、資格が取れたことで新たなステージに立つことができた。
例えば、僕は上に書いた資格を持っているおかげで、年に何度か学校で講師をさせていただくことがある。
こうしたことは当初全く予想もしていなかったことだ。
大学で文学部に入ったことから、父親からは「教員免許を取れ」とよく言われた。けれど、僕は教員になるつもりはなかったから、教員免許は取らなかった。
僕の父も文学部出身で、父は教員免許を持っているのだが、就職がうまくいかず、結局は教員となることができなかった。
それが、どういう因果か、教員免許を持っていない僕が教壇に立つことがあるのである。
これは誠に不思議なことだなぁと思うのである。
父は多分いまでも教員になれたらなぁ、と心のどこかで思っていると思う。教員免許という資格は得たのに、教員になれなかったのである。
ところが、息子の僕がなぜか学校で教えることがある。
これは父がずっと夢を持っていたからそうなったのかもしれない。
夢というのはどういう形で叶うかはわからないものだ。
けれども、思い続けていれば、何らかの形で、どこかで叶う。そんな気にもなるのである。
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