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喉から手が出るほどに。

畳の上。仰向けに寝転ぶ父の、立てた膝によじ登って「お山、おやま~」と遊んでいたのは2歳の頃か。
日が差す和室と父の笑顔がフイルターにかかったようにおぼろげだが、ずっと心にある光景だ。

それ以降、休日の父との想い出はない。

何のことはない。5歳の頃に転勤に伴い引っ越しをしたのだが、その1年前に単身赴任をした父はほどなくして愛人を作った。それだけのことだ。
父は休日に〈男〉になっていた。

休日に居ない父親に疑問を抱かなかったのは
「おとうさんは仕事」
という母の言葉をそのまま信じる幼さだったことと
その分、精一杯相手をしてくれた祖母と、兄とわたしを車で遊びにつれていってくれていた母のおかげだと思う。

とはいえ、後に聞いた話ではあるが、父の浮気を知った祖母はあっという間に認知症となってしまったので半分以上はそんな祖母を見張る(言葉は悪いが)任務でもあったわけだ。
目を離すとふらりと外に出て迷子になってしまうから。

今思えば、浮気相手の家から父を連れ戻そうとしていたのかも知れない。

そして母が遊びに連れていってくれたのは、大半は〈兄のため〉なのはなんとなく分かっていた。自然の中やアスレチック、プールなど、身体を動かすことが大好きだったわたしには嬉しい場所だったけれど、

「見て見て~」
といっても母の視線は兄の方。
アスレチックで大人のコースを得意げに進むわたしに
「お兄ちゃんが出来ないことはしないでね」
と言われたこともあった。

身体の弱い兄だったから、少しでも丈夫になってほしい母心ゆえだろうし
長男を上回ってはいけないという昔の男尊女卑的な考えもあったのだろう。

「○○ちゃんは元気で明るくてお母さんは安心だわ」
と、嬉しそうに笑う母の姿を覚えている。
子供なんて単純だから、わたしは元気!わたしは明るい!と思い込んでいたけれど、独りぼっちでテレビを観たり泣いたりした記憶もある。

そのころを思い出すと、あたたかさ懐かしさと寂しさが混ざったような不思議な感覚に今でも陥るものだ。

そんな〈家の異変を何も知らない転勤時代〉を終えた数年後、わたしの人生に大きな衝撃を与えた出来事に見舞われる。

ある日、具合が悪くなって給食後に小学校を早退したわたしはひとりで帰路についたのだが(保護者のお迎えがなくても帰らせてもらえていた時代だった)、前方20メートル先あたりにゆっくり走る車が…

なんとなく嫌な予感がしてじっと見ていると、その視線に気づいたのだろう。
「○○ちゃん!」
と声をかけてきたのは助手席に乗る父だった。
運転席には女性の姿。

わたしは返事をしなかった。
無視をして歩き去った。ただ、ああ、そういうことか…とだけ思って、休みの日に父がいなかった理由も分かってしまった。

その日は月曜日で、有休をとっていた父は「倒れたり何かあった時には車で自宅まで送り届けてほしいから」と、県をまたいだ場所に住む愛人に道を教えていたらしかった。
これも後に母から聞かされたことだ。

そんな感じで何もかも知ってしまったわけだけれど、その日から母は浮気されている苦しみを隠さなくなった。なんならぶつけてくる。受け止めるしかないわたしは、母の感情のたったひとつのゴミ箱となった。

泣く母、叫ぶ母、どれだけ見たことだろう。

そんな状況が何十年か続き、その間にわたしは結婚し母となり、兄も結婚し、そして数年前に父はガンを、数か月後に母は脳梗塞を患った。

父はもう、発覚時には余命宣告された状況で年齢的に手術は出来ず、本人が延命治療を望まなかったため死を待つのみ。
脳梗塞の母、仕事を持っている兄の代わりにというとまた少し違うけれど、最後は何日間もわたしが付き添った。

だんだんと意識が混濁し、それでもわたしが顔を出すとハッキリと喋る父。ものすごく嬉しそうに手を伸ばしてくる父。
わたしにとって、人生でいちばん父と〈親子として〉濃く過ごした日々だった。

ある日、別れ際に
「お父さん、大好きだよ。お父さんの娘で良かったよ」
と父の胸に顔をうずめると、力強く抱きしめられた。泣いた。

それ以来わたしが病室を訪れると
「大好きな娘!!」
と言うようになった。また、泣いた。

そんな父との別れから数年後、アルツハイマー型認知症が進みつつあった母は高齢者向け住宅に入ったのだが
まあ、相変わらずわたしの顔を見るたびに不平不満をぶちまける。

定期的に連れ出してドライブして散歩したりカフェに行ったりしていたが、必ずどこかのタイミングでケンカになってしまう。だって、わたしが怒るまで言い続けるのだから。

あの日は11月の中旬に差し掛かるころ。
いつものように車を運転していると、最初は楽しく話していたのにいつの間にか父への文句に変わっていった母に
「せっかく楽しく出かけているのに聞きたくない!!」
と、カフェの駐車場に停めた瞬間に怒ってしまった。

「なんで!○○ちゃんにしか言えない!お母さんの気持ちを分かってよ」
と騒ぐ母に
「聞きたくないの。大好きなお母さんを苦しめた話なんて聞きたくないのよ」
わたしは怒鳴るように言い返した。

その瞬間、母は憑き物が落ちたように
そしてまるで認知症なんてなかったように
そうね、大事な娘にこんな話したらだめよね、ありがとうね、そうね、大好きなお母さんだもんね…
涙ぐむ顔で微笑んだのだ。

それ以来、といってもその月の末には亡くなってしまうのだが、わたしが顔を見せるといつもおだやかで優しく出迎える母だった。

思い返すと、わたしが欲しかったのは父と母が最期に見せてくれた愛だったのかも知れない。
そして父も母も喉から手が出るほどに欲しかった、親子の愛だったのかも知れない。







#創作大賞2024 #エッセイ部門

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