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美しい靴を手に入れた

昨年の11月に靴を手に入れていたのだけれど、まだ記事にしていないことに気が付いたので書いていく!

〜靴選び〜
自問自答ファッション教室を受講してから約1ヶ月後、伊勢丹新宿でYourFit365という靴選びのサービスを受けた。

当時は伊勢丹に入ったことがなく、一人でブランドをまわって靴を選ぶのは難易度が高いと思ったので「プロに聞いちゃおう! 餅は餅屋!!」と勢いで予約した(予約必須です)。直前になって日和っても、予約している以上突入するしかなくなるので、私と同じハイブランドに気後れしちゃう方には特におすすめです。

サービスについては、たくさんの方がレポを書いているので割愛する。おすすめポイントを簡単に書くと以下のような感じ。

・足のサイズを3D計測してもらえる
・靴のプロが相談に乗ってくれる
・ブランドを横断して自分の足に合う靴をおすすめしてもらえる
・データはスマホで見られる
・無料

ほかではできない体験だと思うので、ぜひ!

私はこの靴を自己評価とする

購入した靴は、販売員さんが最初に持ってきてくれたものだった。スタッズがたくさんついたレースアップシューズ。ウイングチップまである。SARTOREというブランドのものらしい。

わ〜!スタッズがいっぱい!

かっこいい。かわいい。きれい。好みについては何も話していなかったのに、好きで憧れている要素全部乗せの靴を持ってきてもらえた。透視されているのかと少し怖くなった。

履いたときのフィット感にもとても驚いた。革が柔らかいそうで、足を包んでくれる感覚がある。履いていて安心する靴があるなんて。

椅子に座って、履いた靴を眺める。足の甲に入った継ぎ目とスタッズが目に入る。美しい。

新聞の上でも美しい

Church’sやJ.M.WESTONの靴も履かせてもらったが、SARTOREのこの靴がいい。いったん取り置きしてもらい、近くのカフェ(たしかドトール)に入った。

ブランドのことを調べる。ブーツが人気のブランドらしい。自問自答ファッション教室でおすすめしてもらったブランドの一つであることに気づいた。

椅子に座ったときに見た靴の甲を思い出す。私は足の甲の美しいデザインが、自分の心の傷跡のように思えた。継ぎ目は切り傷で、それをふさぐためにスタッズがあるといったイメージが急に湧いたのだ。

生きている以上、心に傷を負わずに生活することは不可能だと私は思う。誰かによって、または自分自身によって、不意に傷がついてしまう。傷を放置すると膿む。そうなる前に多くの人は薬を塗るなり包帯を巻くなり、自分で何らかの処置をする。本当の意味で傷を癒せるのは自分しかいない。そして、傷は傷跡になる。

傷跡は生きてきた証だ。痛みを感じたことや、自分で自分を癒したことを教えてくれる。人それぞれがそれぞれにしかわからない傷や、傷跡を抱えて生きている。

傷つきやすいのは、自分のよくないところだと思っていた。でも、私は今まで一生懸命やってきた。傷ついたら自分の傷をよく観察して、母や弟や友だちに相談して、自分を治療した。この靴は私の心で、このデザインは私の心の傷跡だ。この靴はこのデザインがあるからこそ美しく、私の心もまた傷跡があるからこそ美しい。

自問自答ファッションのあきやさん曰く、靴は自己評価である。私はこの美しい靴を自己評価としたい。

カフェで一頻り考えて、店に戻り購入した。とてもいい気分だった。

購入してから5ヵ月が経った。毎日は履けていないが、美術館に行くときは大体この靴を履いている。いわゆる履き皺というやつ?がついてきた。それでも美しくて、大好きだ。

~余談・書くときのスタンスについて~
この記事がどのように受け取られるのか、少しだけ緊張している。

先日のあきやさん講演会で、「アウトプットするときに、話を盛ってしまう」という質問があった。話は盛っていいし、盛らなくてもいいという前提のもと、「アウトプットとファッションは似るので、話を盛る人はファッションも盛る」とあきやさんが、「同じ現実であっても、見る人の心の反応の仕方によって違うふうに立ち上がってくる」と編集者・竹村さんが回答されていた(意訳です。詳しくはぜひアーカイブをご視聴ください!)。

自分のアウトプットの仕方はどうだろう。盛っているつもりはない。いつも恥ずかしくなるくらい正直に書いているつもりだ。言葉が鈍ってしまう気がするので、書くときは人の目に触れることはなるべく考えないようにしている。今回の記事で言えば、靴のデザインを心の傷跡だなんて感じる人はそうそういないだろう。共感されない話をする怖さや、変な人だと思われるかもしれない恥ずかしさを思えば、出すのをやめたくなってしまう。

一方で、恥ずかしいと思うくらいの内面を書くほうがおもしろいと思ってもらえるのではないか、とも思っている(あくまで自分の場合は)。といっても、何でも書くわけではない。自尊心が損なわれるようなことや卑屈なことなど、読んで自分の気分が悪くなるようなことは、なるべく書かないようにしている。私の場合は、盛る=自分をよく見せようとするという感じがしてしまい、居心地が悪くなる(人の文章を読むときは一切感じない)。ということで、あくまで自分にとっての事実の範囲=盛らないで書くことにしている。

そんな感じでアウトプットしているけれど、ファッションではどのような表現になるのだろう。全然想像がつかないし、ちょっと怖い。でも知りたい。

人のスタンスの話も聞いてみたいな~。

おわり

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