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私は私になりたいな【#ファッション遍歴】

あきやさんの講演会で伺ったおすすめのアウトプット、「ファッション遍歴」を書いていきます!

将来の夢:セーラームーン、ファッションデザイナー期

3~5歳のときにいちばん好きだった服は、間違いなくセーラームーンの衣装だと思う。髪の毛は三つ編みにするのがお気に入りで、「セーラームーンになるまで切らない!」と宣言していたらしい。赤いお花と赤白のチェック柄のリボンがついたヘアゴムが好きだった。

その頃の私は子ども用のお化粧セットでお化粧したり、洋服の絵を描いたりして遊んでいた。かわいいものや華やかなものが大好きで、おしゃれへの関心が高かったらしい。青いアイシャドウを塗って、お母さんにびっくりされたことは今でも覚えている。

おしゃれが好きで、明るくて、正義感が強い。漫画やアニメの主人公のような(うさぎちゃんのような)子どもだった。

体形コンプレックスと暗黒期

小学校から高校まで、あまり記憶がない。小学生の頃、スクールカーストや同調圧力に疲れて、早々に友だちの輪から離脱した。本がお友だちになり、毎週図書館で10冊借りる生活をしていた。この頃から、私にはコミュニケーション能力がないんだと思って、だんだん卑屈になっていった。

いつのまにか、足の太さがコンプレックスになっていた。足が気になってスカートを履けなくなり、ジーンズばかり着ていた。小学生のとき、冬の体育の後に手がかじかんで、ジーンズのファスナーが上がらなくてとても焦ったのを覚えている。切らないと言っていた髪は、小学校3年生のときにあっさり切ってしまった。

中学生になると、美術部に居場所ができた。友だちにニコニコ動画やボカロを教えてもらってはまったり、Twitterを始めたり。美術室は安心して過ごせる場所だった。

中学生の頃に着ていた服でゆいいつ覚えているのは、花柄のショートパンツだ。ネイビーの地に白い小花柄で、テロテロした素材だった。けっこう短いパンツだったので着るのは勇気がいったけれど、足の太さより着たい気持ちが上回ったのだと思う。お気に入りだった。
今、思い出した。このパンツを履くときは半そでのシャツを着ていた。白地で襟と袖の先がネイビーになっている。わりとかわいらしいコーディネートだった。

高校に入り、武道系の部活に入った(どんな武道かは伏せさせてください)。同期は人数が少ないのに、なぜか孤立してしまい、なぜか部長に選ばれ、ますます孤立した。いや、「なぜか」とは言ったけど、いちばん真面目にやっていたし、同期のなかではいちばん上達したと思う。

高校生のときの服で覚えているのは、トリコロール配色のカーディガン。青・赤・白のボーダー柄だった。配色を気に入ってよく着ていた覚えがある。この頃は、肩幅の広さをからかわれていやだった。好きな人に「喪女(モテない女という意味)」と言われたりして、散々だった(なんでそんな人を好きだったんだろうね?)。モテるとか、モテないとか、女性であるとか、ないとか、全部うっすらといやだった。

制服は、中学でも高校でもほとんど着崩さず、膝下丈のスカートに長い靴下を素直に着ていた。短い丈のスカートに短い靴下がはやっていたので、けっこう浮いていたと思う。先生にスカート丈を注意されるのも、まわりの子と同じになるのもいやだった。学校は無個性な人間を製造するための工場なんだと半分くらい本気で思っていた。

おしゃれ解禁!期

大学生になると、いきなりお化粧やおしゃれすることが「解禁」される。小学校から高校まで、私はおしゃれを禁じられていると思っていた。いい子でいるうちに、先生の言うことを内面化してしまったのかもしれない。いわゆる、「主体性をなくしている状態」? おしゃれに関心があること自体を罪深く思っていた。「かわいくない、スタイルもよくない私がおしゃれなんて……」みたいな気持ちもあった。

高校を卒業してすぐにパーマをかけてみたり、ファッション誌(non-no)を買ってみたりした。おしゃれをできるのがうれしかった。コミュニケーション能力がなさそうに見えたくない、喪女だと思われたくないという気持ちもあったと思う。新宿ルミネエストとミロードのはしごが定番コースだった。

大学2年生の冬頃がいちばん甘い服を着ていた。リボンのついたピンク色のニットに黒いコーデュロイの台形スカートを合わせて、黒いレースアップシューズを履く。アウターはグレーのチェスターコート。ミディアムヘアをピンクブラウンに染めていた。友だちや母からの評判はわりとよかったし、自分でも気に入っていた。

この頃に初めて「自分の言動とファッションにギャップがあるな」と思った。サークルのなかで、私は約束事を破る人(遅刻とか)にものすごく厳しいお目付け役のような立ち位置だった。「かわいい私」は好きだったけれど、いっぽうで弱くて優しそうにも見える。「私らしさはこれではないな」と思った。

イメコン期

社会人になる前に知っておこうと、パーソナルカラー・骨格・顔タイプを受診した。似合うものがわかれば、私らしさを表現できるのではないかと思った。結果は、青みのある色とカジュアルなファッションが得意ということだった(PC夏・骨格ナチュラル・顔タイプフレッシュ)。すべて予想通り。

そのときにオフィスカジュアルのスタイルをうかがったのだが、これがまあ、全然着たくならない!(先生のセンスが悪いとかではなく、好みに合わなかったのだ。Vネックのざっくりしたニットにプリーツスカートでゆるっとカジュアルに。ウエストマークのため細いベルトを巻き、細いヒールのブーツで女性らしさを足す。みたいなコーデ)

社会人になってから、パーソナルデザイン診断も受けた。シンプルで洗練された親しみやすさを感じるスタイルが得意らしい(PC夏PDナチュラルグレース)。前回の診断よりも好みに近かった。社会性がないという自負のある私としては(そんな自負をしてどうする)、親しみやすくきちんとして見えるスタイルが似合うのは僥倖だった。

イメコンの結果と照らし合わせて、似合わないものを着る機会は激減した。ただ、診断結果をそのままなぞろうという気持ちにはなれず、ますます自分らしさがわからなくなっていた。

その頃、仕事をするなかで納得できないことに出くわす機会が増えていった。「社会人なら当然のことだ」「ほかの会社も同じことをしている」などと言いくるめられて、毎日いらいらしていた。自分を否定されていると感じて、自己否定が強くなっていく。「親しみやすくてきちんとして見えるスタイル」なんてしていったら、ますますいいように使われてしまう気がした。

反発心を服に託すように、まわりと比べて少しだけ変わった服を着ていくようになった。ぎらぎらした光沢のあるスカート。使い道のない、長いリボンが垂れているベスト。不思議な位置に切れ込みのあるシャツ。ライダースジャケット。緑色っぽい偏光のある茶色のトレンチコート。カジュアルで個性的な服が大好きで、PUBLIC TOKYOに通い詰めた。

お店では馴染みの店員さんにおすすめしてもらった服を、毎回10着くらい試着した。自分では選ばない服を着ることができて、それが案外よかったりしておもしろかった。

買ったものの一度も着ずに古着回収に出してしまった服もたくさんあった。反発心が暴走して、オフィスに安心して着ていけないものを買ってしまっていたのだ。何かを変えたくて、でもどうしたらいいかわからない。そんなときに出会ったのがあきやさんの自問自答ファッション講座だった。

\ NOW / 自問自答期

noteを読み、『一年3セットの服で生きる』を読み、自問自答ファッション教室を受講した。自問自答してなんとなく自分が見えてくると、職場にいつづけられなくなった。「ここは私がいたい場所ではない」と思えたのだ。

会社をやめると、ユニクロを着る機会が増えた。目立たない。個性的じゃない。「安心」を得られた。心のどこかから、「私はおしゃれやアートやエンタメが大好きなのに、”安心を着て満足”でいいの?」と問いかける声もあった。

自問自答ファッション×ムーンプランナーのアーカイブを見て、手を飾るワークをやった。私が心のなかに持っている世界は、思っているよりもカラフルであたたかい。そしてカオスだ。

さらに自問自答して、生きづらさを感じていた理由の根源とも言えそうな価値観を自覚した。私の心は女性でも男性でもなかったらしい。あきやさんの講演会に参加してアウトプットを増やした結果、コンセプトが決まった

同時並行で考えていた夏の制服が2セットできた。今の生活を思うと少し個性が強くて毎日は着ていけないので、もともと持っていた服で調整しながら着ている。

制服というより、勝負服って感じの立ち位置かもしれない。片方の制服のトップスのサマーニットはさっそくほつれてしまったが、ほつれもかわいいのでまだまだ着ようと思っている。なんなら「ほつれ」が私らしさを表すかもしれないとまで思っている。

ざっと振り返ると抑圧されながら(または自分で自分を抑圧しながら)生きてきた時間が長かったと思う。これからは自分が主導権を握り、ファッションで自分を形作りたい。

セーラームーンでも、ファッションデザイナーでもなく、私は私になりたいな。

おわり


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