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服は鎧じゃなくて。

「服は鎧」と言うけれど、私に必要な服は鎧ではないかもしれない。ファッション遍歴を書き、今の制服2セットを見てひらめいたので書いていく。

たしかに鎧を着ていた

大学生、「かわいい私」を装っていたとき。
イメコンを受けて「似合う服」でクローゼットを埋めたとき。
個性的な服で「反発心」を表していたとき。

服は、そのときどきの私を守る鎧だった。にもかかわらず、私はその鎧がなんだか窮屈で重くて仕方なかった。本来の自分と周囲に持たれるイメージが離れていってしまうようで、こわかった。

何より、鎧を着ていても傷つくことがいっぱいあった。
「女性ってこういうものでしょ?」
「あなたはしっかりしてるから」
「理想と現実は違うんだよ」

鎧のなかで腐ってしまいそうになり、あわてて脱いでユニクロという名の安心を着る。自分が思うおしゃれではないけれど、自分に戻ることができた。

私の制服は、どう選んでいけばいいのだろう。コンセプトを眺めてふと、ある言葉を思い出した。

人生の「サステイナビリティ」

小学校の家庭科の授業中、教科書を眺めていた私は端にある用語解説のなかに「サステイナビリティ(sustainability)」という言葉を見つけた。

いまでは環境保全についての言葉として定着しているが、もとは「持続可能性」という意味だ。教科書で解説されている内容も地球環境に関することだったが、当時の私は自分の人生も「サステイナビリティ」を大切にするといいことがありそうだと思いついた。

現在のコンセプトにある「セーブポイントマスター」も、人生の「サステイナビリティ」を重視しているために出てきた言葉だと思う。

私たちは社会のなかで生きている。油断すると、社会や世間という大きな流れに吞まれていってしまう。ただ流されて行ってしまわないように、必死でもがく。そんな生活をするなかで自分が自分として生きていくためには、自分を救う瞬間(セーブ)が必要だと思う。私はそういう場所をつくっていきたい。自分も、人もセーブできる場所を。

話を戻す。人生の持続可能性。小学生の頃は、具体的な中身までは考えられなかった。いま考えてみると、
・人生がいやになるほどのむりをしないこと
・生活のなかに喜びを見出していくこと
この2つが重要ではないかと思う。

「人生がいやになるほどのむりをしないこと」。我ながら耳が痛い。自分の「むり」のハードルはおそらく人よりも低い。言葉に敏感で、傷つきやすい自分を認めるのはなかなかつらいことだ。私はどんな鎧を着ても、今後もさもない言葉に傷ついてしまうだろう。

鎧じゃないなら、なんなのさ

私の人生の「サステナビリティ」を保つのに必要なのは何だろう。

鎧を着ても傷つくなら、何をしても傷ついてしまうなら、私に必要なのは「きずぐすり」ではないだろうか。傷を癒し、また立ち上がるための回復アイテムだ。傷つき、痛みにうめき、きずぐすりで癒し、立ち上がる。くりかえしていけば、いつかは丈夫な心に育つかもしれない。

傷つかない方法ではなく、傷を癒す方法を知る。傷つかないように肩肘張って生きるより、ずっと軽やかにのびのびといられそうだ。

私にとって、「服はきずぐすり」としてみる。きずぐすりならば、自分にとっての「癒し」を服に込めるのがいいだろう。偶然にも、制服2セットにはそれがある。きずぐすりがあれば傷ついても大丈夫だから、どんなことにも挑戦できる。癒しをまとうことで、勇気が湧く。

私にとって服は鎧じゃなくて、「きずぐすり」だ。

~余談~
いま思い出したが、自問自答ファッション教室では「”癒される”と言われたくない」と言った。当時の私は鎧を着ていたので、癒しを与えるつもりは毛頭なかった。自分の意図しないところで誰かの癒しになってしまうのは、消費されているようでいやだったんだな。これからは、自分と同じ感覚を持っているんだな、と肯定的に受け止められそうだ。

おわり

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