津野米咲さんのこと、自分のために書く


赤い公園の津野米咲さんが亡くなったことが引っかかって、よく眠れなかった。私は、赤い公園と、津野米咲さんと、数々の作品が一致していなかった。亡くなったニュースを見てから、ああこの人が津野米咲さんだったんだと知った。毎週録画して観ている音楽番組に先々週出ていたし、よく買う音楽雑誌でも何度か見かけていた。

でも、津野米咲さんのことは、正直よく知らない。
ましてや知り合いでもない。

でも、あのLINEニュースを見てから、ずっと津野さんのことが頭にある。
ここ2日間、赤い公園の曲をずっと聴いている。
ツイッターで、「津野米咲」をずっと検索している。

自分の中に生まれた、言葉にできない感情と、「どうして」なんて野暮な疑問を、誰かが腑に落ちる言葉で説明していないかと、ずっと探している。津野さんがこの道を選んだ理由なんて、津野さんにしかわからないのに。

「自ら命を絶つこと」は、多分それくらい人を陰の方向へ惹きつける力を持っているのだと思う。津野さんに何のゆかりもない私でさえこうなのだから、津野さんと何らかの関係を築いていた人は、あれからどんな気持ちで過ごしているのだろうか、想像しただけで胸が痛む。


津野さんは、今どんなところにいるのだろう。


もう目は覚めているのだろうか。
だとしたら、寂しい思いをしていないだろうか。
自責の念にかられていないだろうか。
自ら命を絶ったことを、誰かにとがめらてれいないだろうか。

もしも、あの世と言われる場所に、天国に行くか、地獄に行くかジャッジする神様みたいな人がいるとするなら、
「津野さんは、命を削って、たくさんの作品を作り、たくさんの人を救った人なんだ」と伝わるように、祈った。


昨日寝る前に見たツイッターで、くるりの岸田さんの言葉がすっと入ってきた。

「さようなら。ありがとう。
沢山の人達の思いが、幸せの気付きを得て成仏できますように祈ります。」

私は、津野さんがいなくなったことを知って、
生きることは当たり前なんかじゃないんだと思った。
死にたい、って特別な感情じゃない。
私も、あの子も思っている。考えている。

だからこそ、人に、となりにいるこの人に、希望を与えられる人でいたいと思った。大きな希望じゃなくていい。小さな光。

「その服似合ってるね」の一言で、
「ごはんおいしいね」の一言できっといいんだと思う。
人に与えられる一日一日を送ろうと誓った。

そして自分自身にも、かわいいコスメを買っっておしゃれしたり、チョコレートを食べたり、少しでも気分が上がることを、一日数分でもしていこうと思った。それも大事な生命活動。


私は、誰かが死ぬたびに、
誰かを失うことでしか、こんな根本的で、大切なことを思い出せない。
いつも。

津野さん、また気づかせてくれてありがとう。

どうか、これからは、何にも追われず、穏やかに、ゆっくりと、次の世界を生きていけるよう、祈っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?