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フレンドリー有袋類

郵便受けを開けると「急告」と赤字で書かれた封筒が一通入っていた。もはや水道電気の差し止めくらいでは驚かない生活をしているため、古タイヤに溜まって腐るのを待つ雨水がごとく凪いだ心でそれを台所へ持っていき、キッチンハサミで封を開け、指を突っ込んで中から紙を引き出すと「フレンドリー有袋類のおしらせ」なる文言が目に飛び込んだ。刺すようなピンク色の紙に、ケミカルな水色の創英角ポップ体がおどっている。A4用紙の半分を使ってでかでかと書かれたその文言の下には「9月15日よりフレンドリー有袋類を実施します」「はい・いいえ どちらかに丸をつけてください」とあり、続けて「はい・いいえ」の項目が書かれていた。初めて見るタイプの通達だ。封筒を見ると差出人は横浜市役所とある。私はとりあえず市役所に電話してみることにした。045-664-2525。呼び出し音は何故かオルゴールバージョンの君が代だった。問い合わせが殺到しているのか担当者が不在なのか一向に繋がる気配がなく、仕方ないので通話終了し、そのままSafariで検索してみた。フレンドリー有袋類。しかし該当しそうな情報はどこにもなく、普通にカンガルーやコアラの写真が出てくるばかりであった。図らずも、コアラが有袋類であることはこの時初めて知った。用済みになったスマホを隣の和室の畳に放り投げ、改めて文面を見る。フレンドリー有袋類の意味はとりあえず置いておくとして、「実施します」に対しての「はい・いいえ」とはどういうことなのだろうか。質問の意図がわからない。そして返信先も書かれていないため、どちらに丸を付けたところでこの票はどこにも集まらないのである。とりあえず私は床に丸まって土下座するみたいな姿勢になり、フローリングの硬さを下敷き代わりにして「いいえ」に丸を付けた。そしてその紙をそのまま床に放置して立ち上がり、投げたスマホを拾い上げ、いつものようにまったく見る必要のないタイムラインを見て有限な時間を無に帰そうとしたところ、手の中のスマホが震えた。着信だ。画面にははっきりと「フレンドリー有袋類」と表示されている。当然、そのような名前を電話帳に登録した覚えなどない。と、不意に気配を感じ、体を起こし周囲を見回した。誰もいない。気のせいだったようだ。見るといつの間にかスマホのバイブも止まっている。ふと、どこまでが気のせいかわからなくなった。なんとなく、このような名前を電話帳にふざけて登録したと思えばそのような気もしてきた。フレンドリー有袋類なる語彙が自分の中にあったのかはわからないが、しかしそれにすら絶対の自信は持てない。そもそも、ここで生活を始めた当初は電気や水道も止まるとは思っていなかった。にも関わらず、料金を支払わなかったことによりそれは止まったのである。私の生活、及び人生は私のコントロール下にないのだ。そして今こうして考えているこの意識すら私のものではない。そんな気がしてきた。
「そんなことはないですよ」
急に声がして戦慄した。見ると、窓越しのベランダに私の身長くらいのカンガルーが立っていた。
「遍く全ての意識と身体は誰の物でもなく、それ故にあなたの意識はあなただけのものなのです」
分かるような分からないようなことを言っているが、それ以前に私はこの状況の説明が欲しかった。これがフレンドリー有袋類なのか。比喩とかではなくマジの有袋類ではないか。そしてこれがフレンドリーなのかは全然わからないし、そもそも私は「いいえ」に丸を付けたし、もういいや。私はカンガルーの身体を無視して顔面だけを視界に入れてみた。犬のようだった。カンガルーは顔だけなら犬。全てとまったく関係のないことを発見することによって、この瞬間のみ、この時間は私だけの所有物になった。私はこの時間、犬のような顔だけがある時空の中でのみ、完全な自由を感じることができた。

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