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怠惰


怠惰な人に鞭打つことができないのと同じように、怠惰な自分を律することが私にはできない。それはお前の意志が弱いからだとみんな口を揃えて言うけれども、だからといって意志を強く持てばそれだけ他人にも厳しくなるために結局嫌われるだろうと思っている。



最近はいつも怠惰で考えなしだ。考えだしたら本当に面倒なことになる。SNSをチェックするたびに食い違う意見に出会っては酷く混乱する病が流行っています。私の中で。





そういえば自分は先月の半ばに高校を卒業したんですが、振り返ってみると本当にセーラー服の似合わない生徒でした。それは口紅やポニーテールをしてみても同じことでした。私の顔やかたちは底の深い容器ではなく、だからといって道端の石でもなく、つまりは定義する必要もないくらいちっぽけな代物だというわけです。しかし私は大きくなるにつれて私の言葉という武器を持ってしまいました。それは思春期特有の思い込みでもどうでも良くて、実際に連中を蹴散らすほどの力が無くたって別にいい。なぜなら所詮は怠惰なのです。



私は、なんか、怠惰とかいう以前に、もとから勉強をしている時間なんか無くって、冬には公営住宅前の過疎った滑り台の上で、公営住宅の住人のことなどをよく考えていました。夏には原宿をひっくり返して慌てて組み立て直したみたいなアメ横と、博物館動物園駅とかいう怖すぎる駅にあこがれていました。



私は今この瞬間も怠惰です。いつだって感覚の奴隷ですから、機械にはなれない。機械になれないから人間に勝てない。いつも負けてばかりの人生で本当に困ったことです。それでも私は機械ではないから、心が壊れるなんてことはない。こんな夜が来るとき、私は記憶の形だけをずっと思い出すのです。そうして懐かしい歌が聞こえてくるのを待つ。このまま死んでしまうという恐怖から、瞼を閉じるのがどうしても怖い日は、いつか見たいと思う景色を考えるようにします。



だけど、私だって時々思うのです、世界全図に挿したピンの先には何があるというのでしょう、鉛筆を転がしたその下の白紙に何が見えるというのでしょう、エアコンの溜息にも似た音に合わせて息遣いをしたとて、何が面白いというのでしょうか……………





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