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コンプレックス


 外見、容姿について。私は小学校生の低学年の頃、どちらかと言うと身長が高く細身で、その頃はスタイルの良さを褒められることが多かった。今では恥ずかしくなってしまうが、モデルになれるよ。脚長い!!というお世辞を間に受けて、あぁ自分の見た目は人より優れているのかもしれないと感じていた。

しかし、中学校に入って自分はブスなのかもしれないと感じた。理由は、部活内で外見でいじられ始めたからだ。1番記憶に残ってる言葉はブス。当時は、部活動に全てを捧げていたので私の中の優先順位は容姿よりも、楽さ、快適さだった。髪も首元より上でのショートカット、スカートの長さも顧問に指導されない長さを守っていた。だから、あまりそれらの言葉には傷ついていない。はずだった。2年生の頃に好きな人ができた。彼は私とよく映画の話をし、親しい方だったと思う。私にとって彼の言動はとても面白いもので、話すのが大好きだった。だが彼は私のことをよくいじる集団とも親しくその場では私にブーースとふざけてよく言った。その言葉にシリアスさは全くなく、楽しい雰囲気で発せられた言葉に特に不快感は感じなかった。
しかし、部活動を引退した私は、そのいじりが不快に感じ始める。その言葉だけが不快だったわけではないその集団が作り出す雰囲気自体にうんざりしはじめたのだ。部活動と同時にその集団からも卒業したかったのだ。私は、ここで初めて傷ついていたのではないかと気づいた。そこで、思いを寄せていた彼に不満を話した。私にとって彼は良き理解者だったからだ。その時彼との会話で強く記憶に残っているのが、

本当のブスにはブスって言えない。

と言う言葉だ。これは彼が言ったかもしれないし、私のそうであってほしいと言う気持ちだったのかもしれない。でも2人ともこの言葉には納得していた。
この言葉に多少救われている部分があったがそれでも、好きな人に冗談でもブスだなんて言われるのは辛かった。その恋は結ばれることなく終了。

女子校へ進学。本音を言えば共学に進学したかったが、受験勉強をせずに大学へ行きたかった私には選択肢は指定校推薦枠が多い女子校一択だった。
そこで容姿についての意識が変わる。校則が厳しくみんな化粧っ気はなかったがそれでも、芸能人のように整った顔立ちの子、アイドルのような愛され顔の子が多く、今でもあの空間は特別で不思議だったと感じる。そんな環境で3年間を過ごして私は自分のことがより好きに、肯定してあげられるようになった。周りから肯定される、認められることが多かったからだ。高校で出会った女の子たちはとても人のいいところを見つけるのが上手だった。今の髪型が似合っててかわいい。これ変えたの?、かわいい。周りからの言葉に自信がつき始め人と比較してばかりだった自分が、他人と自分を切り離して評価をできるようになった。それができるようになって改めて中学で受けた扱いに傷ついていたのだと分かった。

私は人に外見で褒めてもらえるととても嬉しい。それがお世辞でも気づかないフリをして幸せでいられる。でも、ふと人の目線を気にして今私のこのパーツを見ていたな、今の私の表情は変だったかなと不安になる。これはきっと中学から続く呪いで、それがなくなることはあるのかとずっと考えている。

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