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2022/11/21 制作20日目

「『今日死んでも良いように』をモットーに、後悔なく生きています」
私が今まで何回か聞いては泣きそうになっている言葉です。晒そうとかそういう意図があるわけではなく、単純に自分の心にいつまでもいつまでも引っかかっているだけなのです。そして何度も色々な人の声でリフレインして、「あれ、これは誰が言っていたんだっけ」となっています。
誰が言ったかとか、どういう経緯だったとかはどうでも良くて、言葉だけが残っているのだと思います。

この言葉に関して、本当にすごいなぁと思います。
私のような毎日後悔にまみれて生きていて、太陽の下でのびる影ばかり見ている人間には想像できないような心境なのです。
私にとって人生とは、努力ではどうにもならないことの連続で、不運は日常と関係なく理不尽に降って湧いてきます。そしてそれが、最も自分にとって大切なものを奪い取り、それでも立っていなくてはならないものです。
いとも簡単にそういうことが起きるから、それは受け入れることしかできないのです。上手く誤魔化して笑って生きるのです。
ただ、そういう理不尽に対してもやはり、後悔は付きまといます。
「こうしていれば回避できたんじゃないか?」
「本当は私のせいなんじゃないか?」
毎日そんな思いが湧いてきます。私が死ぬときもきっとそんな思いに包まれたものになると感じています。

そんな私にとって、「後悔なく生きる」とか「いつ死んでもいい」とかは到底不可能なのです。体は急に止まって、大事な人は裏切ります。
何日も体が動か無くなれば、体が動いた日を思って、「ああしていればこうしていれば」と思うでしょう。それは、いくら頑張っていたとしてもそうです。どうにもならないでしょう。
それは当たり前のことなのです。もうそれが私にとっての人生で、その時に後悔が存在するのも当たり前です。後悔は私のいつでも隣人です。

努力が無駄だとか言いたいわけでは無くて、大事な部分は大体努力だけではどうにもならないのです。「努力で掴んだ」と思っていても、そこには気づかないだけで運が存在しているのだと思っています。
そういう風に生まれたからそうなれたんだ、ということです。
きっと、私だけのおかげではないのです。
それは良い意味でも悪い意味でもそうでしょう。

そんな風に受け入れて、懸命に立っていることしかできないのです。
『風の強い日を選んで、走ってきた』
きっとこんな思いをしているから、思い出すフレーズもあるのでしょう。
誰かのおかげじゃなくても、私だけのおかげでもないのです。だけど、風の強い日に走ったのは、走ったという意味が確かにそこに在るのでしょう。
だからきっと、飛べなくても不安はないでしょう。

20日目 進捗

芯を交換したペンで地面を描きます。
確かに、飛べなくても地面は続いていますね。
地面がそこに存在するというのは、安心できる材料でもある気がします。
続いてさえいれば、どこまでも行けるのでしょう。
そうやって背中を押してくれる音楽も、きっと私の隣にいるのです。
明日だってきっと、どこへでも行けるのでしょう。



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