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2022/11/28 制作27日目

言語は思考の源泉になっていると思っています。
言語が違うだけで、思考回路や思想は根本的に異なると思うし、感覚も違うと思っています。
私たちは、主語を何の気も無しに省略します。これは別に、言いたくないとかではなくて言う必要がないからでしょう。閉じた島で自己を主張する必要が無かったからでしょう。
主張しすぎると逆に、危なかったからかもしれません。

でも逆に、一人称や二人称はたくさんあります。
「僕」と「私」と「あたし」と「俺」は全然違います。英語だと全部「I」です。私にはそれがすごく寂しくて殺風景に見えてしまいます。
私にとって、「私」か「僕」かはとても重要なのです。小説でも音楽でも、それがどれかによって響きが全く異なります。
音楽における人称の使い分けを比較して、「なんでだろう」と考えることは本当に面白いし、無意識にやっては納得してしまいます。
少し調べてみると、「日本語は関係性で話し方が変わるから」と出てきます。言われてみればそうですね。閉鎖的な島国では関係性が重要でしょう。そこを意識しないでいると、命に関わりますよね。

歴史も面白いのですが、私にとってその経緯はどちらでもよくて、「日本語がこの形で存在している」ということの方が重要なのです。
このように言葉が存在していて、微妙なニュアンスや呼び方ひとつで意味ががらっと変わります。それと共に、響きも変わります。
その絶妙な違いを理解できることが私にとってたまらなく幸せなことなのです。このちょっとした違いによって生まれる響きに対して、納得できることをとても嬉しく思うのです。

27日目 進捗

空を描く気にはなりませんでした。
きっと可愛らしい猫を見たからでしょうね。その子の声と姿が焼き付いてしまって、どうしても描きたかったのです。
何となく場所を作って猫を仕上げた後、「もう僕の仕事は終わったよ」と言わんばかりにガリっと嫌な音を立ててボールペンの先が割れてゆきました。
材質か筆圧の問題なんでしょうね。だとしても、私はこれを描くことが好きなのです。このペンも愛おしいのです。だからもう、満足なんでしょうね。
芯を変えればそれでいいやという話でもないのです。
変わってしまったらそれはもう別だと思っています。色も描き心地も同じだとしても、明確に違うのです。
きっと明日以降、芯を買って交換して、砕けたペンのことは忘れます。
そうならざるを得なくて、まぁそれは日常でしかないと思っています。
だけど、明日には無くなるこの砕けたペン先を愛おしく思う感情は本物なのです。大事な感情です。


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