Bad

自分がとんでもなく自分勝手で自己中心的なクズなのではないかと思えてきて(私は無能で自己中心的で自分勝手なクズでーすでもそれでいいんでーす)と唱えながら手元の作業をする。私は本当に自分勝手で自己中なのだ。それでも、周りにいてくれる人が好きだし自己中なりに真面目ではあり人に認められたい気持ちも強く結局我儘だなと思う。もうなんでも良かった。私が私なりにすんごく頑張っているからもうなんでもいいと思った。私が頑張ると、ある程度の人がそれに気づいて私のことを気に入ってくれる。評価される。社会はそうやって出来ている。自分の世界だけで勝手に生きることは残念ながら不可能なようだった。仕事をするなら、仲間と上司と報連相を取りつづけ、成長し続けなければならない。そう自覚するたびに(田舎に行って自給自足の生活でもして世俗を捨てたい…誰にも干渉されず勝手に1人で生きたい…)などと非現実的でバカなことを考える。分かってる。大学を卒業した私は普通に東京でOLをしてるだろう。というか、そうなるように今必死に英語やらを勉強をしインターンやアルバイトをして社会経験を積んでいるんだから。最近人付き合いが上手くなった気がする。自分の現実の人間関係の重要さに気づいてから、人から言って貰えて嬉しかった言葉をスクショしてまとめてメモに残してみた。それを見て人を本当に大切にしようと思ったりする。

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そういえば先月スーパーで号泣した。号泣と言っても声を出して子供みたいに泣いたわけじゃなく、ヘッドフォンに緑酒が流れた途端に何故か涙が止まらなくなってしまったというだけの話だが。声を出さず無表情のままひたすら涙が溢れる状況にはもう慣れていた。高校生の時模試の最中にそうやって泣いたことが数回あるし、大学に入ってからの授業中も何回もあったし、バイトの休憩時間にご飯を食べながらそうやって泣いたことだって何回かある。もちろん誰にも気付かれないように。私は感情で生きている。感情で生きているから弱い。感情で生きている自分が本当にダサいのでやめようと思ったことは何回もあるがこの生き方しか知らなくて無理だった。そうやって溢れる涙をぬぐいながら惣菜コーナーで惣菜をぼんやり眺めていたら次に閃光少女が流れて、もっと涙が止まらなくなってしまった。それで、次に羊文学の曲が流れてその途端に涙は止まって気持ちもすごくスッキリしていた。

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自分が感情の移り変わりが激しい人間だからこそ、感情の根拠の無さや意味の無さを強く実感する。だから他人の感情(特に不機嫌)は本当に自分が受け取るものではないなと思う。そして自分もなるべく人に不機嫌をぶつけないように生きていきたい。

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最近母親に言われた「足るを知れ」という言葉が印象に残っている。上ばかり見るのではなく、自分の現実的に可能な範囲内で足ることを知れ、という意味である。理想主義者の私からすると若干ネガティブに聞こえなくもないが断じてそんなことはない。現実を見ることはマイナスではなくプラスだと思っています。
だって、生活には生きてて良かったと思えるような瞬間や煌めいた出会いと感情を味わう瞬間がある。小さな花束をまわりの誰かにあげたくなってあげたり、もらったり、自分にあげたりする。私はそういうささやかな瞬間で充分なくらい幸せを感じて泣きそうになる。たまにこんな自分のことが本当に面倒くさくなるけど、自分の全てを本当に肯定してあげられるのは多分私だけだから、私は絶対私をまるごと認めてあげたい。

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