ピアノの先生

私は通っていたキリスト系の幼稚園から歩いて30秒くらいの場所にあるピアノの教室に4歳から通っていた。

私の先生は、多分一般的なピアノの先生と違う。どんなに幼かった時も、私が弾きたいと言った曲をやらせてくれて、決して定型的な手順を強要してこなかった。そして、彼女はずっと”感覚”の話をしてくれた。例えば、月の光を教わった時、「この曲の最初の一音は、薄暗い夜にぽかんと浮かんでいる月があるでしょ、それをみたときの音。」(詳細の文言は正直覚えていない。でも月の音だった)と言って、目を瞑ってお手本を弾いてくれる。それは、確かにふとぽかんと浮かんだ月の音がした。間違いなく。もしかしたら、こういう”感覚”の話や音の話がわからない人って少なくないのかもしれない。でも、彼女の教えてくれる”感覚”や音の弾き方は、私に信じられないくらいすっと入ってくるのだった。すごく共感できたし、譜面を正確に弾くことを強要するのではなくて、こういう感情や風情の入れ方を教えてくれるところが大好きだった。

高1になって一年ほど受験でお休みしていたぶりにレッスンを受けに行った日、私の鍵盤に添えられた指を見て、「まあ、りこちゃんの細くて長いすらっとした指は幼稚園のときから変わらないわねえ〜」としみじみと言われて、私は本当に泣きそうになった。私は先生に昔の話をされると、決まっていつも泣きそうになった。あの時はこんな感じだった、というようなただの世間話でも、なぜか泣きそうになるのだ。それがどういう感情なのか分からないけど、胸になにかがこみあげてきてどうしようもなかった。


大切な人だと思う。私はピアノの音楽を日常生活の中でとてもよく聴くし、今は全然弾いてないくせに、ピアノは私にとってすごく大きくて私の人生に欠かせないものである。先生に会いにいかなきゃ、レッスンを、受けなきゃ、と思うので月に一回でいいから通おうと決意する。この縁は途切れさせてはいけない。

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