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今日もお疲れ様です。と書き出す前に薄く書いてあって、それだけで心が少し救われた気がしたな。近頃、周りの人間の黒い感情を貰うことが多くて、それ自体は自分自身の意思で貰っているものなので不満ではないのだけど、少し疲れてしまったな…と思う。不満を言うなら貰うなと言われればそれまでだが、大事な人には笑っていてほしいので、どうしようもない。人を信じる基準も、大事な人間という部類に入れるハードルも低くしてあるので、優しい言葉を一言二言掛ければ、誰でもわたしのことを傷つけられるよ。

「信じる」ということは、その人間がどういう振る舞いをしたとしても犯罪ではない限り、味方でいてあげるということ、がわたしの持論で。でも結局人恋しいのが根底にあって。ずーっと人からの「特別」に焦がれているんだよな。とはいっても、特別を与えられたとて、困惑するのは目に見えていて、我ながらめんどくさい性格をしているなと、辟易する。

「信じていたのに…」という言葉、その裏には大抵、恨みやら悲哀やらが隠されているんだろうな、と思うが人を「信じる」という行為の中に「心変わり」だとか「選択の自由」だとかうまく言い表せられないけれど、その辺りが含有されていると思っているので、俗に言う、「裏切り」を受けたとて、その行為に対する悲しみよりも離れてしまったな…の悲しみが先に来ることが多い。これはわたし自身の社会経験が乏しいから来るものでもあるかもしれんが。なんだかんだ言っても、やっぱり根底にあるのは「寂しい」なんだよな。でも1人で生きていけると人生を誤解し続けているので、何とかなっている。1人は嫌だって心の中で叫ぶわたしを無視し続けている、ごめんね。インナーチャイルドとかアダルトチルドレンとかくそくらえだな、と思っている。理解しているけど分かりたくない。自分自身の中で暴れ回らせる分にはわたしが痛いだけなので大丈夫だろうと、腹を括っている。

というか、こんなボロボロの人間を誰が愛せると言うんだ。そんな人間ノーベル平和賞ものだよ。時々、夜になったらキーボードを叩きながらPCの前で泣く女、やばいね。妖怪だよ、そういう。
でも、小学生のころからPCが手元にあって本当に良かった。多感な思春期をブログと自作HPと共に過ごせてよかったよ。未だにインターネットの世界をひねくれた感情と共に泳いでいられることが本当に嬉しいな、と思うよ。そうじゃないと、このぐるぐるの感情と共に外で叫んでいたかもしれないからね。さすがに理性が邪魔をするか。

心が疲れたからってこんな文章を生み出すのそろそろやめな~?うるちゃい!さて、そろそろ混沌が混沌を生む時間になってまいりました、その中に埋もれて消えてなくなろうと思います。いつかどうにかなって、ぜ~んぶうまいこといかないかな~~。壊れてしまうまで、好きなことを好きなだけやり切ろうと思うよ。

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