ニジイロクワガタの食レポ
徒然草
それは動画の作り方を忘れてしまった己の中の鬱屈としたまとまらない考えをただ文章にして吐き出してしまおうという生産的とはとても呼べない行為である。
皆さんは永遠って信じていますか?
永遠の友情とか、永遠の愛情とか。
不老不死とかなんだとか。
古くから人類は永遠ってやつを求めてきました。
なぜそれに焦がれ想い馳せるのか?
それは永遠が存在しないからなんですね。
存在しない物に恋焦がれてしまうのは人類の特性と言うやつです。
あると信じたいものを、そこに在ると信じ切ってしまうのですね。
例えば、あなたの生まれ故郷。
久方ぶりに帰省してみたら、風景がガラッと変わってるなんてことはありませんか?
あの公園の木が伐採されてる。
あの道路改修されたんだ。
あのお店潰れちゃったんか。
そう、たったの数年かそこらで景色も空気も何もかも変わりゆくのです。
ずっと変わらない故郷なんてものは存在しないのに
なぜかずっと変わらないままそこに在ると信じ切ってしまっているのです。
諸行無常とはよく言ったものですね。
なんの話かというと、ラーメン屋についてです。
群馬県のとある国道沿いの三角州のような奇妙な土地にぬらりと建っているラーメン屋。
見るからに陰惨な立ちずまいからは来るものすべてを拒むような圧迫感すら感じます。
暖簾をくぐって店内に入ると、地上波に釘付けになりながら湯切りをする店主の姿があります。
不衛生ではないが衛生的とも呼べないカウンターに腰掛けて食券を渡すと、いつの間にやらもやしと申し訳程度のキャベツが混じった野菜の塊が上に載ったラーメンが提供されます。
そう、ここは二郎系なんです。
高校生の頃はよくここへ通いつめたものです。
私が通っている高校では、そのラーメン屋は三角コーナーとあだ名されていました。
三角州のような立地に立っていることを示す何とも分かりやすいあだ名です。
一説によると出てくるラーメンも三角コーナーのようだとか。
モヤシをかき分けるとぬらぬらと淫靡な虹色の輝きを見せる豚が姿を現します。
あるものはそれを見て言いました。
「ニジイロクワガタじゃん」
ニジイロクワガタのような鮮やかな色彩を前にただただ圧倒されるばかりです。
コクの無いスープ、
ちょっと生臭いもやし、
グローブのように硬いニジイロクワガタ。
それがこの店の全てでした。
店内で一番うまいものは水だとかなんとか。
そんなラーメン屋です。
旨い不味いとか、そういう店ではなかったのです。
旨いかと言われれば旨くはない。
しかし、食べられる。
その一点だけでボクサーのような重い右ストレートをぶっぱなしてくる店です。
私は高校生から何度もこの店に通いました。
なぜそんな店に行くのか?
この店の価値はラーメンではないのです。
テレビを見つめてたまに湯切りの手が止まる店主の出すラーメンに用は無いのです。
しかし、なぜかここのラーメンを食べると安心する自分が居ました。
食べる、うん、旨くない。
これを何回繰り返したか。
そう、人類が追い求めた永遠がこの店にはあるのです。
見慣れた公園の木が伐採され
見慣れた道路が塗り替えられ
見慣れた店が潰れる中、
あそこのラーメンの味だけは変わらないのです。
そろそろ旨くなったかなと足を運び、
何ら変わりないあの味を口で感じたとき、
永遠がここにあったのだなと胸に迫る哀愁と安心がこみあげてくるのです。
変わらない旨く無さ、それがこの店の価値にして真価である。
毎回、来店したことを後悔しつつそんなことを考えているのでした。
永遠、意外と身近にありましたね。
そう考えると永遠の友情とか愛情とか不老不死とかも実は存在してるんじゃという気分になってきます。
やったね。
こうして明日への希望を片手にまた死ぬよりましだと生きていきます。
PS
この前友人のデパス君(仮名)とドライブしてた時。
そのラーメン屋が潰れたことを知りました。
永遠ってやっぱ無いんすね。
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