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悪魔の証明を無限の猿定理的に捉えることによる【楽観的諦念】という生き方

タイトルの通りなので以下説明。

何らかの目的等があり、それに対して何をしてもうまくいかないことを証明するためには何もかもをする必要がある(悪魔の証明的な思考)
しかしそこで無限の猿定理的な思考を取り入れると、無限の試行の中で偶然うまくいく可能性は常に存在していることになる。

この二つの掛け合わせで発生するのが【楽観的諦念】である。

「まぁどうせ何しても無駄だけど数億年以上試してりゃたまたまうまくいくことがあるかもしんねーなー」的なノリ。最も今のところ人間はそんなに生きられないのだが。

成功(という単語で一括りにするのもどうかと思うが)などは環境に依拠する側面もあり、変数が多すぎるためその総計が、「運」と呼ばれたりする。

たかだか100年に満たない活動限界の中、自身が生きている間に何らかのポジティブなフィードバックが得られること自体レアではなかろうか。
ゴッホも死後に絵が売れたわけだし。

自分は先月26歳になったが、こんな感じで何年か過ごしている。そのうち観念が変わったらまた書こうと思う。

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