宝箱の中身はなんじゃろな

人生において、「無駄だった。」と、
思う時間はどれ程あるだろうか?

そんなことを考え出すと、生きていること自体に情けなさばかりを見出してしまう。

自分と向き合うのが怖い根源は、「悔い」かもしれない。

後悔をしないで生きるのは、自分にとって一番重要であり、難題であった。

例えば、

ライフハックを意味もなく閲覧していた時間、
素直になれず口を聞けなかった時間、
行ってしまったばかりのバスの次便を待っている時間、
深夜のお菓子に手を伸ばすか迷っていた時間…

どれも無駄じゃなかったと言えるだろうか?
どれも悔いがないと言えるだろうか?

正直、その自信が全くないのだ。

それどころか、どこまで責めれば許されるだろうか、だなんて考えだしたりする。


然し、人生や時間は不思議。

過去に成れば、「今思えば…」とか、「そんなこともあったね」とか、言い出す。

まるで許しを得たみたいに。

とはいえ、
結局どれも最後は自分の選択で、
幾つにも散らばった運命から
「今」を選び取ったまでだと思う。

それが見えないうちは「未来」であり、
手に取れば「過去」なのだ。

ならばどれも無駄じゃなかったことにしていくために、今を精一杯生きるしかないのだと思う。

そのとき選んだ宝箱の中身が
決して望んだものじゃなくても、
その過程や、選び取った今を
宝物にしてあげたい。

今選んだのは、最善の答えであったと言えたら、少しだけ救われる気がするから。


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