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見てそうで見ていない

良くも悪くもここに書いてあることは
誰でも見ることができて、意外と誰も見てない
誰が見てるかもわからないけど、
なんとなく見えるところに投げたい思いつきがあったりする

だからこそ、書いているのかもしれない



 最近いろんな出会いがあって、いろんなことを考える機会がある。未来がどうとか、5年後がどうとか、これがやりたいとか、これは許せないとか。

話せないよりは話せることが多い方がそりゃいいだろうし、それが面白いならなおいいと言うか。漠然としたことも、具体的なことも。

 一回会った人をそれだけで判断するのはもちろん間違っていると思うが、それだけで「はい、好きです」となれる私もよほどアホだと思う。誰が良い方の意味で初対面の人を判断するんだよ。するだろ。





 4月末にあった飲み会で理由もなく仲良くなりたい人がいた。仲良くしたらいい。そうなんだけど、大勢で飲みにいってて1人と仲良くなるのはそこそこに難しい。さらに男女という外枠だけで見られたら尚難しい。めんどくせえ。

 ただ、そう言うことは多々ある。

 その前も、その日1番仲良くなりたいと思った人と結局あまり話せず、その飲み会も、その後の飲み会も、さらに最近の飲み会も。もちろんそれ以外も。どんだけ飲みにいってるん?

 でも不思議なことに、それ以降本当に仲良くなれる人(?)とはどこかで再会することが多い。もし個人の人生を操作できる神的な存在がいるんだとしたら、2回目はその神的な存在が作ってくれた機会で、それ以降は自分で作り出すべきなんだと思う。


 きっともう会う必要のない人は会わないだろうし、出会うべくして出会ってる人はきっと何か理由があって出会ってる。そう言うことにしておけばなんかいいじゃん?(アホ)


 でもなんだか本当にそういうことがあって、(そう思いたいだけっていうのもあるんだけど)結構この2ヶ月弱は良い出会いが多いって思ってるし、それが変化していくだろうっていうのも心のどこかで覚悟はしている。そりゃ、クラスでずっと同じメンバーだけで連まないもんね。知らんけど。


 ちょっと退屈しがちな私の人生が、今少しまた華やかになってきていて、でも簡単に人に話せないことも多くて、でもでも話したい面白いことはたくさんあって、1人でワクワクしてる。

それをきっと周りの人たちは見てそうで、見ていない。それがまたちょうど良いのかもしれない。

人の人生って意外と興味湧かないもんね。


これも見てそうで見てないぐらいだと
良くも悪くも嬉しいかもな

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