まだ行ける

ここ最近は、外から見ると立派な人間に見えるような生活をしている。新しい環境でもがきながら、友人もできてきて、結果も出している。自分でもよくやっているとは思う。

本当はここら辺で一度自分の悪いところを書き並べておいて下げておくのが良いと思うが、そんなレトリックはこの文章には不要だと思う。

このnoteを始めてからもう5年ほど経つと思う。その間、僕はずっと人間について考えてきたつもりだ。もちろんそこには過度な一般化や思い込みがあるこもしばしばだ。それ故に、自分の理論を実践的に導入すると、失敗することもあった。
でも、その度に修正してきた。修正して、応用して、ぶつかって。また修正して、応用して、ぶつかる。
そのサイクルの中で、いつしか揺るがない確信を抱き始めている。多様な人間の在り方をそのまま受け入れるようになり、対人スキルが異常に発達した。こうした経験は自分にとって精神的支柱となり、僕を支えている。

思えば昔からずっと陰鬱な人間だった。
小学生の頃から無意味な思考が堂々巡りしてばかりで、社会の問題を個人の問題にして自責思考。それがオーバーフローした中学時代。僕は言葉にしがみついていた。模擬試験の点数が悪くて、怒られて泣いた夜のメモ帳は今でもiPhoneに残っている。
その時の僕は自分が嫌いで、惨めで、誰にも誇れない人間だと心底思い込んでいた。その片鱗は今でも残っていて、僕の喉をたまに掻っ切って、1人になった夜道に嗚咽が漏れる。

でももうそれを受け入れて、生存している。

小学生の自分は「薬剤師になりたい」としきりに言っていた。そう言うように言われていた。言うたび大人にウケるから、僕は何も考えていなかった。今でも昔のクラスメイトには「薬剤師になりたいんだっけ?」と言われる。
でも、僕はそんなこと思ってもいなかった。根暗でパソコンオタクの僕は、niconicoとYouTubeでボカロ曲ばかり見て、どうでもいいSSと安価スレばかり読んでいた。その中で「クリエイター」への憧れがあった。

今、僕はクリエイターだと思う。
ポートフォリオには両手では数えられないほどの自作品。スライド作ってスピーチして、大人の前でハキハキと自分の計画を言って。パソコン凝視して命削って机上で空論を現実にしている。
狭い視野で怯えながら生存してきたつもりが、いつのまにかここまで来てしまった。そんな自分が、どうしようもなく愛おしい。

いつか映画化すると思う。
いや、書きすぎた。そんなことはない。こんな人間を2時間見たってつまらない。
でも自分は自分が大好きで、この気持ちは確かだ。俺の言葉が好きだし、俺のコードが好きだし、俺の作品が好きだし。俺への批判・罵倒は受け入れるし反省するが、それでもやはり一目惚れである。
だからこそまだ行けるって信じている。自分はもっと大きいものを作れる。世界をアッと変えるような刺激的な何かを実現できる。01の電気信号で一生を捻じ曲げるような、鋭い一撃を世界に放てる。冷静に考えてそんな確率はほとんどないが、でもやはり思う。

調子のいいことばかりで申し訳ないとは思う。この文章は他人に向けたものではなく、死ぬ間際に見返すための言葉の羅列のつもりではある。現にプロフィールにそう書いてある。しかし、それでもインターネット上に載せている以上、見る人がいるわけである。最近の倫理観では他人が見て不快なものを載せてはいけない。

でも実際俺は俺が大好きである。だからまだ輝きたい、そう思ってやまないのである。

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