順応なんてしたらあかん
8~9月は作品をバーッと出した。
動画制作やWeb系、音声編集にストーリー作成。どれも手慣れたものだ。少なくとも人様にお見せできるクオリティまで叩き上げた。10年前の自分に見せたら「すごい!」と言ってくれるような作品ではあると思う。だから後悔はそれほどない。
ただ、今になって気付いた点が一つある。それは「オリジナリティが欠けている」ことだ。これは人に指摘されて初めて気づいたことである。
スキルが磨かれてきて、機材も整ってきた。実現しようと思ったことはたいていできるようになったし、キレイに見える小手先のテクニックも体得した。だから、初見で「なんとなくいいな」と思える演出はできるようになってきた。
しかし、その分だけ大仕掛けを仕掛けることはなくなった。
この大仕掛けとは、私がズブの素人のときによくやったことだ。というのも、素人がドストレートに創作すると、技術不足が露呈して見るに耐えない。そういうときにごまかす方法はいくつかある。
一つの手段はもちろんパッションでどうにかすることだ。スキルによらず確実に時間がかかることを積み重ねていき、情報量でぶん殴る。それが一番の直球勝負であり、ある種の美学さえ感じさせる手段である。しかし、これは面倒くさがりの私にはまったく向いていない。
そこで私がよく取った手法は大衆向けでない設定・アプローチを取ることである。例えばまだメジャーでない嗜好のストーリーを構築したり、創作のターゲットを1人に絞ったり。こういった需要がないので供給もない分野では、比較対象や評価軸がブレる。だから結果として評価を保留されがちであり、悪い印象を受けない。
こうして私は大仕掛けを含む作品ばかり好んで作っていた。その付属として勝手にオリジナリティが生まれていた。
それから時を経て、私は未熟ながらも知識をつけてきた。曲がりなりにもクリエイターを自称し、ありがたいことにお金もいただけるようになってきた。
その中でいつしかこなれた作品を作るようになっていた。どこかで見た設定、どこかで見たキャラクター、どこかで見たセリフ、どこかで見た展開、どこかで見たコード進行、どこかで見たシンコペーション、どこかで見たブラー、どこかで見た色収差、どこかで見たエンディング。
テンプレートをなぞるのが上手くなってきて、それが自分の技術力だと勘違いしていた。これはとても恥じるべき行為である。(もちろん、この内省もまたテンプレートであるかもしれないが、それを考え始めるとキリがない。少なくともオリジナリティが欠如している問題は事実である)
これからはもっと独創性のある表現を考えるフェーズである。そのために、この定番を演出する力は使えるはずである。型破りをするために定番を学んだ、と思えばこの能力も使える。今後の創作の方針は「オリジナリティ」である、と改めて感じた。
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