日記 : 言葉に依存しすぎて一枚絵が苦手な俺

「一枚絵からストーリーを読み取れない人々」がいる。かくいう僕もその1人だ。そんな人々の特徴はいくつかある。
例えば美術館や展覧会に行ったときを考えてみよう。その時に絵を見ることになる。そんなとき、概して僕は絵より解説文を見ている時間の方が長い。なぜなら絵の意図や文脈を把握しようとしても、絵の内容を汲み取れないからである。
例えば、テーブルを囲んで人々の視線が交差している絵がある。僕はそこに事実を見出す能力はある。人数、テーブルの形状、口や目の開き具合を読み取ることができる。しかし、それ以上の「解釈」を見出すことが苦手だ。人の感情、関係性、意図、全て言葉にしてチマチマ考えないと、皆目見当もつかないし、さらには何も思わない。
これに対する応急処置がある。例えば僕は「よくあるストーリー」のテンプレを抱えて照合することにより、解釈を簡略化する。これはいわゆるパターン化された"エモ"かもしれない。具体的には、ヒマワリ畑の背景にワンピースを着た少女が太陽に照らされてこちらに微笑んでいる、みたいな。こんなベタ問に反応する言語回路を高速化することで、解釈を省略して反応できるようになる。
ただし、これは解決策と言えない。あくまで応急処置だと考えている。なぜか。それはこのテンプレ照合式には弱点があるからだ。その弱点とは、大きく二つある。一つ目は、端的に言えば「例外処理が難しい」ことである。
これは簡単な話である。テンプレに存在しない文脈は感応できないのだ。例えば、僕は今風の萌え絵ばかり見るので、美術の教科書に載っているような著名な作品には困惑する。さらには革新的な作品にも反応できない。
二つ目は「外の文脈に強く影響される」ということだ。というのも、僕は画集を買って文字を読むような人だ。イラストに何が描いてあろうが、そのキャプションによって容易に目の色を変える。絵の良し悪しを絵だけで評価できないのだ。

こういう人の特徴を考えると、作品の見せ方も変わってくるかもしれない。
具体的には、作品をポストする際のタイトルにも工夫ができるはずだ。最近はそれを知ってか知らずか、一枚絵で鑑賞者に目線が向いているイラストにはセリフ風のタイトルがつくことがある。例えば、はにかんだメイドがケチャップでハートの描かれたオムライスをこちらに差し出すイラストを考えてみる。するとタイトルは「これで良いんでしょ…!」のように、あたかもメイドが発言しているようなセリフになることがあるのだ。確かに、これがもし「照れるメイド」のように客観的な事実を述べるタイトルならば、あまりにも無味乾燥だ。
Xではイラストのすぐそばにキャプション(ポストの本文)がある。だから作品の外にある文字で、簡単に印象を操作できる。その本文が何もない場合でさえ、何らかの影響を作品に及ぼしてしまう。
ゆえに、作品は革新的であるが、キャプションでテンプレに寄せることで、独自性を生かしながらも大衆にウケる作品の見せ方もあり得るはずだ。最近僕が、アイコンが野獣先輩のエロ絵師にハマっているのはそのせいかもしれない。


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