俺のトルコキキョウは

俺のトルコキキョウには
素晴らしい力が宿ってくれました。

俺がトルコキキョウに出会ったのは、
3つ前の12月31日だった。

令和2年の12月31日だった。

俺はこの日、生まれて初めて花屋に行った。

そして、店員さんにこう言ったんだ。

「知り合いが昨日亡くなったんだ。
こんな時に渡せる花はありますか?」

そして出会った花が、
白のトルコキキョウだった。

この花はそれ以降、
俺の人生には欠かせない花になったんだ。


さて、店員さんにはそう言ったんだけど、
実際はそうじゃないんだ。

会ったことも話したことも無い
年も顔も名前さえも分からない人に俺は
お花を渡そうと思ったんだ。

理由はふたつあるんだ。

ひとつは、俺だと勘違いされたから。
死因は自殺だった。
9階から飛び降り自殺をしたんだ。
現場に黄色いテープが巻かれていた頃、

俺の父親が走って現場に駆けつけたんだ。
父親は、俺が死んだと思ったらしくて、
駆けつけたんだ。
そして、姉。
姉も黄色いテープを見て、
俺が死んだもんだと思ったらしい。
そして友達、
後輩のひとりが俺の父親が走ってるのを見て、
るいが死んだもんだと思ったらしく、
それを俺の友達みんなに言ったんだ。
友達はみんな大騒ぎだ。
みんな俺の携帯に電話やLINEをしてきていた。

その頃、俺は寝ていたんだけどね。笑

と、まぁこんな感じで
俺が死んだもんだとみんな勘違いしていたよ笑

そして、俺は深く感謝した。
その死にとても感謝したんだ。

何故か、それがふたつめの理由。
それは、

俺も死のうと思っていた昨日だったからだ。

俺のその日はと言うと、
前日の夜から朝にかけて、
リスカしまくった日だったんだ。

死にたい理由なんて溜まりまくっていたんだ。

新しい一日さえ怖くなるのに、
新しい一年が近づいていること、
一年を締めくくる日が近づいていること、。

死にたい日々を繰り返してから、
新しい一年や、誕生日や、
色んな日が怖く思える日々となっていた。
それは今だってそうだ。

12月31日や、三が日や、
この4日間は自殺しちゃいけないなって。
みんなが集うそんな日に自殺しちゃいけないなって。それなら今日、30日に死んでしまおう。
当時の僕は本気でそう思っていたんだ。

そんな俺はリスカしまくっての30日の朝を迎え、疲れ果てて眠り込んだんだ。31日になれば4日間は死ぬにも死に切れないので、どうにかしてそこまで持っていこうと思い、リスカしまくって眠りについたんだ。

そして、31日を迎えたんだ。
起きて携帯を見ると、
友達や家族からの連絡が沢山きていた。

俺は、大晦日の飲み会のことだろうなと想い、
普通に返信していたんだけど、
帰ってくる言葉がなんかみんなキツくて笑

俺なんか悪いことでもしちゃったかな、
なんて思ってたりしたら、
自殺があったことを姉が話してくれたんだ。
そしてやっと察したんだ。
あぁ、そういうことかって。

ここでは正直に言うよ。

クソみたいな感情ってのは知ってるから、
これは誰にも言ったことないんだけど、
ここでは正直に言う。

俺が死んだらこんなにも人を心配させて
人を悲しませてしまうんだなって
気づかせてくれた人なんだ。
この人は死を持って、
それを俺に教えてくれたんだ。
そして、この花を、白のトルコキキョウを
この人の死を持って俺に託してくれたんだ。

そう本気で思うんだ。

だから、花を渡さなきゃ、
俺がこの人に渡さなきゃって思ったんだ。

それと、直感って言うのかな、
なんか、渡さなきゃって強く思った。
なんて言えばいいのか分からないけど、
俺が渡さなきゃいけないって強く思った。

それらが、俺のこの白のトルコキキョウに
出会った全てです。

その日から、俺の周りで誰かが亡くなる度に、
俺はこの白のトルコキキョウを渡してきた。

もうこの世にいない者達に、何かをする、
例えば、葬式や手向ける花や、何回忌や、
言えばキリがないのだけど、
それら全てを俺は、

残された側の自己満足だと思ってるんだ。

だって、もういないんだから。

俺は何度も聞かされてきた、
死んだら何もできないんだって言葉、それは
残された側もそうなんだって思うんだ。

死んでしまった者は勿論の事なのだけれど、
残された側だってそうなんだ。

死んでしまった相手にはもう、
何もできやしないんだ。

きっと届いてる、きっと伝わってる、
そう思いながら、死んでしまった相手に、
何かをするということは、自己満であり、
残された側の後悔や寂しさ悲しさそのものだ。

俺は強くそう思うんだ。

今回は、自己満の方を語ろうと思うよ。
感情達の話をしてしまえば、
くっっっそ長くなっちゃうからさ笑
なんなら終わりが見えない程だよ
だけど、そうあるべきだとも思ってる。
そうあってこその、命だよ。
きっとそうあってこそ、そうしてもらえるんだ


さて、俺の白のトルコキキョウは、
俺が渡してきた全てのトルコキキョウは、
俺の自己満足なんだ。

俺が渡しにきたよって。
毎年来るから覚えててよって。
ハットを被ってこの花を持ってくる奴は
俺一人だけだよ覚えててよねって。

本当は、もっと色んな感情達が混ざってるけど、今は自己満のお話だからこれくらいで。

俺はトルコキキョウを渡す前には必ず、
トルコキキョウの写真を撮るんだ。
そしたら何月何日なのかがすぐ分かるから。
アプリの写真の中に、
トルコキキョウのアルバムもあるよ。
どうにかして生き延びようとする時に眺める。
これが俺の生きる意味なんだって思える。


ただ、渡す度に、思っていたんだ。

なんだか空っぽだなぁって。

やっぱり、もうこの世に居ないともなると、
伝わってるかさえも分からないから。

どんな事をしたって、
どんな言葉を言ったって、
どんな気持ちを思ったって、
それらを伝える術がもう無いんだ。

だけど、それでも俺は信じてる。
俺はトルコキキョウを信じてるんだ。

とても強く信じられるんだ。

空っぽだと思っていた、そう思っていたんだ。
でも、空っぽじゃなかったんだ。

この写真を見て欲しい。

この写真は、去年の1月3日に撮った写真だ。

彼の死んだ場所に3度目の花を手向けた4日後
その場所にこんな紙が貼られていたんだ。

心から嬉しさが喜びが溢れてきたよ。
届くべき者に届いてたんだって。


俺はずっと、俺と相手だけの花だって、

君の為だけの花だよって渡してきたんだ。

だけど、そうじゃなかった。
あぁ、そうか、って。
気づいた時に笑顔がこぼれたよ。
君にも教えてあげたいよ。



君と共に生きた者が受け取ってくれるんだ。
君と共に生きた者が君まで届けてくれるんだ。



確かに、初めて渡した時は
俺と君だけの花だった。

だけど、もう俺と君だけの花じゃない。

君と共に生きた者の為の花でもあったんだ。

君を忘れていないよって、
君と共に生きた者に教えてやれるんだ。

それをこの手紙が教えてくれたんだ。


俺はずっと、渡した者にきいていた。
ちゃんと届いてるか?って。

でも、きっと届いてるよね。だって、
君と共に生きた者が受け取ってくれる。

(君って言ってるけど、この人だけじゃなく、
俺が渡してきた相手全員に対しての君ね。)



ここからはトルコキキョウを教えてくれた人に
関しての話ね、


君の母親が君に花を届けてくれたね。
仏壇にも飾ったらしいし、
お部屋にも飾ったらしいじゃんね。
君ももう無視できないんじゃない?笑
なんてね。
しかも、お母さんが俺のおばあちゃんの家に
俺にお礼言いに来てくれたよ!
俺はその時いなかったけど、
おばあちゃんから聞いたよ。
バカ嬉しかったぜ!



生きてみるもんだなぁって本当に思ったよ。


俺の死を止める色々な出来事が、
生きていくうちにどんどん増えていくね。

本当に嬉しい事だよ。
悲しみも乗っかってるけどさ。

まだ生きていいんだ、と思うどころか、
まだ生きていなくちゃな、って
まだ終わる訳にはいかないな、って。
そう思わせる出来事だよ。


読んでくれてありがとう。
この話はきっと、俺だけの話じゃなくて、
これを読んでる君の話でもあるんだ。

花じゃなくたって、気持ちさえあれば、
物じゃなくて、その物に心を込めれば、
言葉だってそうだ。
相手を思う心は、きっと伝わる。
絶対とは言えないけど、
こんな出来事だってあるんだぜ?笑
それ知ってくれたら、君も誰かを思うなら、
きっと思うだけじゃ物足りなくなって、
何か行動にしちゃうんじゃないかな!

本当、読んでくれてありがとう。
おちかれちゃん!

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