農業について考えていたこと

にんにく農家が市場に梱包までして出荷したのに1kg50円でしか買い取ってもらえなかった,というツイートを見て今まで考えていたことをアウトプットしてみようと思った.ツイッターには書ききれないと思ったから,記事にした.

新しいものが生まれるためには,余裕がないといけないと思う.

何に関しても言えることだけど,新しいものが生まれ,価値を見出されるためには余裕がないといけないと思う.毎日必死に働いて,帰って何とか風呂に入り,大して好きでもないチューハイ缶でやっと眠ってまた朝を迎えるような毎日に,生きていくだけで何とか精一杯の毎日に,新規性などありえない.新規性がないということは,その生活から変化することがないということだ.それ以上,豊かになることがないということだ.

古代ギリシャの時代,いまの現代数学の基礎となる考え方や法則がたくさん発見された.それは何故か?ピタゴラスやプラトン(もそうだっけ?),アルキメデスを筆頭に今や中学校ですら習う数学の基礎が築かれている.発展している.どうして2000年も前にそんなにたくさん数学をする人がいたのか?ただひとえに「豊かだったから」だと私は思う.古代ギリシャでは数学だけじゃなく建築や芸術が発展していた.

どうして農業はここまで日本で廃れてきたのか

ところで,話を本題に戻したいと思う.現代日本社会で,農業はどんどん追い込まれていると思う.いままで生業として農業をやってきたという年配の知り合いはいるが,正直,「20代の友人で農業やりたいって人いる?」と考えた時,残念ながら一人だって思い当たらない.それが現状だ.それは何故か?それは火を見るより明らかだ.「きたない,きつい,きけん」の3Kが揃っている.おまけに冒頭の「儲からない」ときた.そりゃぁ,やりたいと思う人もいなくなるわけで…

農業人口が減りすぎることは課題だと思う.日本の現状では自給自足もままならないことは今時小学生ですら知っている.ならば,何とかして農業人口を増やせばいい?私はそうではないと思う.

一次産業の人口

農業や漁業で言われる一次産業というのは,人間が生きていくためにまず必要な産業だ.人間,食べるものがなければどんなに第二次第三次産業が発達していようが死ぬ.では,一次産業に対する人口が増えれば問題ないのか?といえばそうではないと思う

私は,一次産業がより効率的な産業になればいいと思っている.今現在でも,昔とは比べ物にならないほど効率的でたくさんのものをいつでも栽培できるようになったと思う.コンバインやハウス農業など,素晴らしい機械だと思う.ただ,まだまだできることはあると思っている.私は農業をしたことがないので余所者が口を出すなと言われそうだが,もっと効率的に作物を,もっと楽に簡単に作物を栽培できればいいと思っている.ドローンで肥料を撒くなどの取り組み,ハウス農業の自動化など,そういうのがもっと進めばいい.

「〇○ってなにを仕事にしてるの?」
「農家だよ」
「いいなぁ!ねえねえ何農家?」
「いちごをハウス栽培してる.
基本的にはセンサーと機械がやってくれるけど,アラートがあれば見に行って,調子の悪いものがあればそれの面倒を看るんだ.」

みたいに,この「農家だよ」の返事が,「弁護士だよ」「医者だよ」のように,続く返事が「すごーい!」とか「いいなあ」になればいいと思う.
そんな風に,ゆくゆくは農業が若者のあこがれる職業になればいいと思う.

農業が今の技術でもっと楽になって,簡単に栽培できるようになって,余裕ができて,それが人の豊かさになって,そうやって古代ギリシャみたいに,たくさんの産業や芸術が発展する社会になればいいのに,とそう考えている.




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