臨床薬理屋は今後も食っていけるのかー製薬ビジネスの側面から考える臨床開発サイエンティストの価値

こんにちは!田中@臨床薬理屋です。

だいたいどのエントリーも同じ書き出しから始めていますが、これに代わる新しい書き出しを考えないといけないかもしれません。というのは、年末恒例の振り返りをTwitterで行ったのですが、こんなことを書いてしまったのです。

これは結構正直な気持ちで、自分のサイエンス力のみで食べていくのは難しいなと思ったのです。やっぱりそれはアカデミアでの仕事なんでしょうか。

製薬会社の中のサイエンティストの存在価値

今でも臨床薬理屋の「看板」は掲げてはいて、自分でもまだある程度はできるつもりではいるんですけど、受けている仕事は正直臨床薬理屋の「それ」ではないと思うんですよね。

「臨床薬理屋」っぽい仕事であっても、あくまで「当局への説明材料を増やす」ために「臨床薬理解析の力を利用する」のをサポートしただけで、当該業務の目的はあくまで「当局との折衝のサポート」。これはまさに「臨床薬理がわかる薬事コンサルタント」の職務そのものです。
というか、製薬会社に入社してから今の今まで「臨床薬理専門家」として仕事をしてきたので、自分は「臨床薬理専門家」であるとずっと思ってきたのですが、勘違いであった可能性があります。そりゃあ、製薬会社の中では「臨床薬理専門家」と呼ばれる立場にはあったのですが、それはあくまで製薬会社の中の話。製薬会社の中の「臨床薬理専門家」と、アカデミアの中の「臨床薬理専門家」は職務の内容が全く異なります。

営利企業に勤めている以上、その従業員の存在価値は「企業価値向上への貢献」です。営業成績が売り上げという数字で出せる営業部門とは異なり、研究開発部門の企業価値向上への貢献は測りにくい部分もありますが、開発パイプライン開発ステージを上げることで、パイプラインの開発成功確率が高まりNPVを上げるという行為自体が企業価値向上への貢献なわけで、測るのは難しくともその原理の説明をすること自体は可能です。臨床開発サイエンティストの企業価値向上への貢献はすなわち、開発パイプラインのステージアップへの貢献です。
企業内臨床薬理専門家の場合、非臨床ステージにあるパイプラインの早期臨床開発計画の策定と遂行、臨床薬理専門的なツールを用いた臨床用量の選択を通じた開発パイプラインの後期開発ステージへのステージアップへの貢献や、特殊患者集団や併用薬等の外部要因の曝露への影響の評価等を通じた承認申請プロセスへの貢献がその具体的な貢献活動にあたりますが、上で述べた臨床開発サイエンティストの企業価値向上への貢献の中に包含される範囲かと思います。
これらの企業活動の一環としての臨床薬理専門家の業務は、アカデミックなサイエンスの世界では、まぁ言わば「修士」レベルの活動ではないでしょうか?もちろん、創薬過程の一部で新しい発見や技術を生かしたり、パイプライン開発過程で新しい方法論を模索する等の「博士」レベルの活動もあるのかもしれませんが、何か新しいサイエンスを開拓するというよりは、パイプラインに対して既存のサイエンスを応用することによって企業活動に貢献しているわけですので、パイプラインは常に「新規」なものなのでそれぞれの臨床試験を論文化することはできますが、あくまで医薬品の開発過程は既存のサイエンスの応用課程であり、「サイエンスの発展に寄与している」というほどのものではありません。そこがアカデミアにおける「臨床薬理専門家」との違いでしょう。

製薬ビジネスにおけるサイエンティストの仕事とアカデミアにおけるサイエンティストの仕事には優劣関係はありません。それぞれが全く異なる価値をもった仕事であり、「修士」レベルなのか「博士」レベルなのかでそれらの価値は測りとれるものではありません。
また、製薬企業内の従業員であるサイエンティストにとっては、自分がサイエンティストとして誇りをもって業務をおこなっていたのに、お前がやっているのはサイエンスというよりは所詮はビジネスにすぎない、と言われることは、自分のアイデンティティが失われる感じがとてもショッキングに思えるかもしれません。しかし、自分がサイエンティストであるというアイデンティティを持とうと持たなかろうと、結局企業価値に対してどれだけ貢献をするのかというのが企業の従業員の価値を決める基準ですので、あくまでビジネス上の存在価値の議論においては、サイエンティストなのかそうでないのかはどうでもいい話で、ここで取り上げたい話題でもありません。
私は今製薬会社の外にいますので「コンサルタント」と名乗っていますが、やっている仕事の内容は製薬会社の中にいようと外にいようとそれほど大きく違うものではありません。「コンサルタント」は企業の外から企業価値向上へのお手伝いをしますが、企業内のサイエンティストは企業の中で自分の企業の価値向上に貢献しなければなりません。製薬企業の中にいようと外にいようと、製薬ビジネスの中でのサイエンティストに対する需要は、そのコストを上回るだけの利益を生み出せるのかどうか、にかかっています。

製薬ビジネスにおける日本ローカル開発のコスト

私が「臨床薬理屋」の看板を下ろそうかと考えている理由として、自分が「臨床薬理屋」ではなくて「臨床薬理がわかる薬事コンサルタント」だから、というのは、本質的な理由の説明には実はなっていません。結局製薬ビジネスにおけるサイエンティストの存在価値は「企業価値への貢献」ですので、「臨床薬理屋」であっても「臨床薬理がわかる薬事コンサルタント」であっても、その生み出す価値に本質的な違いはないのです。
問題なのは本エントリーのタイトルにある「臨床薬理屋は今後も食っていけるのか」の1点のみです。食っていけないのであれば、早々に看板を下ろして他の仕事をした方がいい、してみたい仕事はいくつかあるという状況ですので。

私の危機感は日本での製造販売承認に必要なのコストの大きさにあります。

日本語で書いている記事ですので多くの読者(特に臨床開発担当)の方は日本での医薬品開発活動に従事している方ではないかと思います。製薬企業のグローバルな創薬活動に直接寄与している方以外は、日本での「供給事業としての医薬品開発」に従事していると考えられます(参照:日本で最新の医薬品が使えなくなる日―日本の医薬品開発をめぐる公衆衛生上の重大な問題)。例えグローバル試験のイチ担当者としてアサインされていたとしても、試験全体の計画策定や解析活動、全参加国のとりまとめなどに従事していない限りは日本ローカルの担当戦力であり、グローバル試験に日本が参加している理由は、特殊な理由(例:日本で多くの患者が組み入れられる疾患領域)がない限りそうしないと日本で承認申請できないからであるため、やはり日本での供給活動の一環としての仕事という考え方がしっくりきます。日本での医薬品開発活動の目的は日本での薬事承認の取得であり、純粋にそのためだけに日本ローカル開発の事業部は存在しているといっても過言ではありません。
日本での開発活動に専門的に従事している専門家の場合には、企業価値向上への貢献という意味ではあくまで日本部分だけです。そのパイプライン現在価値=NPVは将来にわたってそのパイプラインが稼ぎ出すと期待される利益(売り上げーコスト)によって計算されますが、日本部分に限定されるということは、日本での利益分の企業価値のみへの貢献ということになります。

私はコンサルタントとしていくつかの海外企業の日本進出のサポートを行ってきましたが、日本進出にかかる薬事コストは驚くべきもので、正直ペイしますか?と思います。
まず承認申請時に支払う審査手数料があるわけですが、オーファンかそうでないか条件により変動はするものの、一般には新薬の場合はざっくり3000万円と言われます。ただ一般には申請前にPMDAに相談に行くので、2相終了後相談か申請前相談どちらかを申し込むとすれば、ざっくり+1000万円ですね。
国やPMDAに支払う手数料は仕方ないとしても、日本進出にかかる薬事コストはそれだけではなくその準備費用も含みます。承認申請時にメーカー側での準備費用は以下のように分類されると・・・思います。
・申請資料作成・照会事項対応:申請資料とはいわゆるCTDですが、M3~M5は海外申請用のものがほぼそのまま使えるとしても、M2は少なくとも海外版からの翻訳が必要で、M1(添付文書案も含む)はゼロから作ります。M2は翻訳ベースだったとしても、日本での申請用には「日本人ではどうなのか」という観点での加筆作業が必要です。さらには審査期間中にPMDAとの照会事項対応があり、これらのやりとりは日本語で行われ、短期間に大量の双方向の翻訳作業を行う必要があります。これら申請資料作成・照会事項対応関連の日本側の作業の多くを外注する場合、新薬であれば1億円超えはカタいと思います。。
・PMDA相談準備:申請とはあえて別枠にしましたが、2相終了後相談や申請前相談に行く場合には対面助言資料の作成や照会事項対応、細かい話をすれば当日の面談の同時通訳代もかかります。海外の新興メーカーが自分たちだけでこのプロセスを完遂するのは難しくサポートを外注する場合には、これも数千万円の単位で費用がかかります。
・提出電子データ準備:2020年から義務化された電子データ提出のややこしいところは、FDAに提出したCDISC形式データをそのまま提出するということが難しいところです。日本申請用に再フォーマットする作業はやはり外注が必要で、これも新薬であれば数千万円単位の費用がかかります。
・信頼性調査準備:これも日本独特の申請ご作法の一つですが、PMDAによる審査期間中の信頼性調査に対応するにも準備が必要です。ドキュメントの保管状況の確認や、試験当時の管理手順・SOPの確認を行います。これは私は外注したことがないのでどの程度の費用がかかるのかはわからないのですが、数百万円で済むとは思えないですね。
以上の費用をまとめると、何も新しいデータは生み出さずに日本における薬事申請を行うためだけの費用として新薬の場合は数億円の費用がかかります。しかも薬を販売する前の初期費用としてです。

2017年度の日本国内における医薬品の売り上げで、100億円以上を記録したものが約150品目だったそうです。日本国内だけで100億円売り上げる新薬は、せいぜい2,3割ではないでしょうか。ましてや海外の新興企業が日本に持ち込んでくる新薬はオーファン品が多く、となるとピークセールスでも日本国内売り上げが10億に満たないというのはザラでしょう。
そんな状況で日本国内で新薬の承認を得るために数億円の投資が必要となった場合に、おいそれと投資してもらえるものか、新薬開発に携わる方々は一度よく考えてみた方がいいのではないでしょうか。

ただ大抵の方は、内資の製薬企業、あるいは日本法人内で開発を完遂できる大手外資企業に所属している方でしょうから、日本における承認申請に関する業務を全部外注するということはないでしょう。外注をしないということはすべて内製できるだけの人員を抱えているということになりますので、言わばみなさん自身がコストになります。製薬業界の高給っぷりを考えると、平均年収1000万円というところでしょうか。企業が抱えるコストとしては給与だけでなく福利厚生やオフィスの家賃やらコストセンターである管理部門やらあるので、みなさんの年収の2倍のコスト(1人あたり2000万円)を会社が負担していると仮に考えてみましょう。
例えば新薬の承認申請を行う場合には、準備期間も含めるとおおよそ2年程度はプロジェクトに縛り付けられるでしょうか。プロジェクトチームは何人くらいで構成されるでしょうか。仮に10人ぐらいがフル工数分プロジェクトに張り付けられるとしましょう。2000万円x10人x2年=4億円が1品目の新薬の申請承認で会社側が抱えるコストということになるでしょうか。外注する場合とほとんど同じですね。
少し違う角度から考えてみると、みなさんの会社は日本ローカル開発のために開発人員をどの程度抱えているでしょうか?大手だと数百人になると思いますが、必ずしも全員が新薬開発に携わっているとも言えないので仮に100人程度としてみましょう。100人の人員を抱える会社側のコストは2000万円x100人=20億円です。その人員数で年間何品目程度の申請を行っているでしょうか?10品目申請しても1品目あたり2億円です。
きっとみなさんの会社が開発している品目は、少なくても年間ウン十億、百億円を超える売り上げを見込むようなものが多いでしょう。ただ逆に言えば、オーファン品のような見込める売り上げが少ない品目で日本の開発部隊をフル活用しては日本事業が赤字になってしまいますので、そのような品目では日本国内の開発には乗り出しにくいはずです。「ドラッグラグ」「ジャパンパッシング」を語る場合にまず最初に気にするべきは、日本の薬価制度(改善したところで医薬品の売り上げが2倍になるわけではない)ではなく、みなさん自身のコストなのではないでしょうか。

臨床薬理のサービスフィーと許容できる開発コストのバランス

いちばんよく行われている臨床薬理関係のサービスは、Population解析です。低分子化合物の場合は、DDIのシミュレーションにPBPK解析を用いることも視野に入ってきます。
これらの臨床薬理系の解析、大手企業であれば、開発段階の探索的なものは社内で実施するにしても、申請資料として提出する最終的な解析は外注するというパターンも多いかと思います。こういった専門的な解析を受注するベンダーは海外には結構あって(国内にはほとんどありません)、相場としては新規のモデル構築の場合には3000万円、追加データの解析実施やシミュレーションでは1000万円といったところでしょうか。

前項で日本ローカル開発コストは新薬の場合数億円というお話をしました。しかも数億円という投資額はひょっとすると「ペイしない」、すなわちこのコスト負担のためにNPVがプラスにならない、投資額が本当に回収しきれるのか疑問、みたいな話をしてきました。なので、日本申請用の臨床薬理系の解析を実施するのに数千万円のコスト増というのは、許容されないケースも多いと思うのです。

臨床薬理屋としては、サービスはこれらの解析を自身で実施する選択肢もあれば、薬事コンサルタント的な臨床薬理屋の観点では、自ら解析を実施するのではなく顧客にこれらの解析を実施することを推奨することもあります。顧客側が十分な予算を用意できる場合には解析は実施してもらえますが、品目によってはそういう予算を用意できない、nice-to-haveな解析なら実施せずに承認を取得してほしいということだって十分にあり得ます。
最近経験したケースではバイオシミラーの開発でこのようなことを考えることがありました。バイオシミラーは後発品ですので、普通に開発を行う(PKの同等性を見るph1試験+有効性の同等性を見るph3試験)場合には、臨床薬理系の複雑な解析が必要になる場面はあまりありません。顧客側も後発品の開発企業が中心ですので、社内リソースとしてもそういった専門家は抱えていない。ただ、グローバルph3でもって日本国内申請をする場合には、「日本人における有効性の同等性」なる面倒な話が出てくるため、臨床薬理専門家なら「もしもの時のための」popPKPD解析は準備しておきたくなるわけですが、popPKPD解析という「常識が通用しない」バイオシミラーの世界では、日本開発のために3000万円の追加コストなんてものが許容できるとは到底思えないわけです。

臨床薬理屋の今と将来展望

企業内の臨床薬理専門家内では、population解析やPBPK解析の価値を企業のトップマネジメントにわかってもらうことにそれなりに苦労をする、という話はあるあるだと思いますが、臨床薬理屋とてそれは同じで、相手がクライアントに変わるだけです。「より正確に用法用量を選択できる可能性がある」とか「臨床試験の追加実施を免れる可能性がある」とかの常套句を使って説得するわけです。
ただ臨床薬理屋が相手にする顧客層を考えると、そもそも数千万円単位の追加コストは許容されない可能性も結構ある、そこは意識しなければならないポイントです。数千万円単位の出費をしなければ承認申請できないなら仕方ありませんが、そうでないならまずは実施せずに承認申請する方法を考えてくれないか、となります。

私がこのnoteで「臨床薬理屋」という概念を提唱したのは約1年半前のことです。記事「製薬R&Dのサービス化&外部化と臨床薬理屋の「成立」」で臨床薬理屋をオススメしまくっていたくせにこんなことを言うのは大変申し訳ないのですが、予算の制約が比較的緩い企業内臨床薬理専門家の方が、サイエンティストとしては充実した仕事ができるのではないかと思います。メーカーの外に出た臨床薬理屋は、あくまで「臨床薬理のわかる薬事コンサルタント」として生きることがビジネスの観点からは求められていて、それは大手製薬企業内で「常識」として通用していたものが必ずしも通用する世界ではないことを意味します。
しかしそれでも私は、少なくとも今は「臨床薬理屋(臨床薬理がわかる薬事コンサルタント)」は必要な存在だと思っています。日本ローカル開発を支える人材としてもやはり必要な存在で、このシステムが存続する限りは必要であり続けるでしょう。
しかし、本エントリー中で指摘したように、日本ローカル開発コストは現状高すぎると考えられ、公衆衛生としたの日本の医薬品開発環境には悪影響だと言い切れます。このシステムが根本から是正された時、日本におけるローカル開発人材に対する需要は喪失します。臨床薬理屋が食べていくためには、医薬品のグローバル開発過程(創薬過程)に踏み込むほかないでしょう。

さいごに

結論としては「臨床薬理屋」の看板は下ろしませんが、今後の意味合いとしてはカッコ書きを追記した上で「臨床薬理屋(臨床薬理のわかる薬事コンサルタント)」でしばらくやっていくことにはなりそうです。しかし、

前項でも指摘したように、日本ローカルの医薬品開発システムは是正される必要があると思っています。いつまでも薬事コンサルタントばかりを続けていても埒があかないというのが今後のテーマです。

まさにこういうことです。今後はMPHでの学び等もここで紹介しながら、どのようにして公衆衛生としての日本の医薬品開発システムを整えていくのかということを考えていきたいと思います。

今回も長文にもかかわらず、ここまで読んでいただきありがとうございました。Twitterはそれなりの頻度でつぶやきますので、是非フォローお願いします。

それではよいお年を!


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