日本で最新の医薬品が使えなくなる日―日本の医薬品開発をめぐる公衆衛生上の重大な問題

こんにちは!田中@臨床薬理屋です。

どこかで書いたかもしれませんが、現在私は某海外公衆衛生大学院のオンラインMPH(Master of Public Health)コースに通っています。海外大学院のオンラインコース、結構いいですよ。日本の大学院に変に通うよりもはるかに融通が利きます。

当初は、医薬品開発における細分化された専門性としての臨床薬理専門家からいかに外側の領域に専門性を広げていくかという観点で、統計や疫学を勉強する機会を持とうとの目的で始めたことなんですが、大学院で勉強する中で私の中での「公衆衛生学」の認識が大きく変わってきました。
私の所属するMPHコースにおける「公衆衛生」とはなんなのか、ということについては、もっと学習を深めてからお話しようと思います。まだ一部にしか触れられていないので、正直なところまだ「公衆衛生」とは何かを語れる立場ではありません。
現在の学びについてはまた別の機会に詳細をご説明するとして、今回はその公衆衛生を学びながら気づき始めた、私の職業である医薬品開発に関連する日本の公衆衛生上の重要な問題について、説明していきたいと思います。

研究と開発、創薬と供給ー製薬産業の公衆衛生上の意義

私の理解では、公衆衛生学とはすなわち「人々の健康」を対象とする学問で、「それぞれの人ひとりひとりの健康」を対象とする医学とは綿密に関連するとはいえ別の学問です。新しい医学的な技法の発明があったとしても、それをいかに実用化するかというのは、より公衆衛生学的な観点での検討対象になると思います。
公衆衛生への貢献という観点で製薬産業を捉えた時、製薬産業は大きく分けて「創薬(育薬も含む)」と「供給」の二つの機能を社会に提供しているのではないか、と私は考えています。
創薬とは文字通り薬を創り出すことですが、化合物を医薬品として使えるようにする過程全体を指しています。創薬というと一般には「医薬品研究」が思い浮かぶと思いますが、ヒトにおける臨床研究過程である「医薬品開発」もこの創薬過程に含まれると私は解釈します。創薬過程がなければ当然世に薬が生み出されませんので、創薬の公衆衛生への貢献はクリティカルなものです。
一方で供給とは需要のある場所・人々に医薬品を送り届けることですが、医薬品の場合、これは必ずしも生産と物流だけのことを意味するわけではありません。医薬品には「許認可」の過程が国や地域ごとにあるので、薬事規制に対応してそれぞれの国・地域で医薬品を使えるようにすることも供給事業であり、販売体制を整えることも含めて各国・地域に投資を行うことも供給事業なわけです。

供給事業としての医薬品開発

先ほど医薬品の研究開発は創薬事業に分類されると書きましたが、研究開発活動の全てが創薬事業に分類されるわけではなく、供給事業に分類される活動もあると思います。実験や試験を行い結果を解釈するところは創薬過程ですが、その結果をもとに各国の許認可申請を行う活動は供給事業の一部と考えられます。さらにいえば、各国・地域の薬事規制のためだけに実施する実験や試験はどちらかというと供給事業の一部であり、そういう意味では、日本で働いている「医薬品開発」従事者のほとんどは、自分ではR&Dつまり創薬に貢献していると思いがちですが、実際には日本における供給事業に従事している人が大半だと、私は解釈しています。

厳密には「医薬品」ではないのかもしれませんが、ホットな時事問題であるCOVID-19ワクチンの話を例に出しましょう。BIONTECH/Pfizerのワクチンであるコミナティの日本における開発には日本国内での治験が必要になり、結果としてアメリカと比較して承認が2ヶ月遅れるという話があったのは記憶に新しいでしょう。コミナティの場合、アメリカでの緊急承認根拠となった国際共同治験にはアメリカ在住の日本人が一定数参加していたにも関わらず、あくまで日本国内在住の日本人での治験が要求されたという話が物議を醸しておりましたが、この日本国内での治験を「創薬事業」の一環として見るのは正直無理があるのではないでしょうか。あくまで日本国内において「供給事業」を行うためにわざわざ実施した試験なわけです。

公衆衛生の観点での日本の医薬品開発システム:ドラッグラグを指標として評価する

さて、この記事のタイトルで「日本の医薬品開発をめぐる公衆衛生上の重要な問題」なんて銘打ちましたが、いったいどこの誰が先進国日本の医薬品開発環境に問題があるなんて考えるのでしょうか?ほとんどの日本国民が、日本の医療環境は世界のトップクラスであるはずであり、日本では世界の最新の医療が受けられては当たり前であると思われていることでしょう。だからこそ、COVID-19ワクチンの承認が「たった」2ヵ月遅れただけで、世間は大騒ぎになったのでした。みなさん覚えているでしょうか?
(「たった」という感覚が正しいかどうかはさておき…)

現在の日本の医薬品開発環境を公衆衛生的にどのように評価するかというのは、またそれだけで一つの重要トピックになりえるのかもしれませんが、とりあえず私の提案としては、実際に承認されている医薬品の数、もう少しわかりやすく言えば、ドラッグラグを評価指標としてはどうかと考えています。医薬品供給事業におけるクリティカルなステップである製造販売承認を達成するということが、供給事業としての日本ローカル医薬品開発の唯一のゴールだというところはさすがに議論の余地があまりないところだと思うのですが、その製造販売承認がどれぐらい達成されているかを評価する指標は、海外で承認されている医薬品のうち、日本ではどれだけの割合で承認されているのか、海外の承認から日本の承認にどれだけ時間がかかっているのか、まさにドラッグラグ的な指標を評価することで、日本の医薬品開発がどの程度「システム」として機能しているのかを把握することができるのではないかと私は考えているのです。

かつてのドラッグラグと現代のドラッグラグ

ドラッグラグという言葉は主に2000年代に聞かれたと個人的には記憶しています。私がまだ薬学部の学生の頃でした。ドラッグラグの原因として語られていたポイントは主に2つ、医薬品開発の効率の悪さと規制当局による承認審査の長さでした。

医薬品開発の効率の悪さとは、当時の日本における医薬品開発は、第1相試験から第3相試験まで全て日本人被験者で行われていたことです。新薬を待ち望む日本在住の患者の立場からすれば、日本の製薬企業オリジンの医薬品であればいち早く開発されるものの、海外の製薬企業オリジンの医薬品の場合は日本での医薬品開発が海外に先行することはまずありませんので、海外に遅れて1から日本で医薬品開発をしようとなると、海外と日本で最終的に医薬品を使用できるようになるタイミングにはギャップが生じるのは当然であり、莫大な費用を投じることになる検証的な臨床試験を規模の限られた市場でしかない日本1国のために実施するのは費用対効果の面から企業側から敬遠されてしまい結局日本で医薬品開発がされなくなる「ジャパンパッシング」の原因でもありました。
これの対策がICH-E5に代表される海外治験データでの国内利用で、その具体的な手法としては、海外の検証試験データを日本人に外挿する「ブリッジング」であり、さらに世界で一つの検証試験を実施する枠組みである「国際共同治験」を利用することで、海外先行の開発品に日本国内開発をキャッチアップさせ、さらに対日本への研究開発投資を圧縮することができるようになりました。

もう一つの問題である規制当局における審査期間の長さについては、かつて私が学生だった頃は申請~承認は2~3年と習ったものでした。PMDAの審査員の人数を大幅に増やす等の改革により、審査期間中央値は1年を当たり前に達成するようになり、医薬品開発プロジェクトを計画する上でもやはり審査期間は1年(オーファンなら9ヵ月)で設計するのが普通ですし、PMDA側の態勢は十分にそれを達成できるレベルで整っているといえます。審査期間が1年を大幅に超えるような場合は、申請者側に何らかの問題がある可能性が高いです。

こうして、かつて2000年代に問題となった日本のドラッグラグ問題は、海外データの活用とPMDAの強化により、2010年代に一旦姿を消すことになったはずです。はずです、というのちゃんと調べていないからわからないという意味ですが、2010年代の「業界人」の実感として、ドラッグラグという言葉自体をほとんど聞かなくなったと思えているからです。

現代、すなわち2020年代の初頭にあたりますが、実感としてはやはりドラッグラグという言葉を「業界人」として聞くことはあまりないです。ただ、業界の外では時たま耳にすることがあります。
こちらの日経の記事は2021年9月のものですが、「なお残るドラッグラグ」タイトルを打っています。記事をよく読むと、前半部のゲムシタビンの膵臓がん適応の話は2000年代のドラッグラグの話であり、言わば昔話です。ただ、後半部の希少がんの話は、ゲムシタビンの話とは異質な話であることに注意が必要である。
膵神経内分泌腫瘍(PNET)に対するペプチド受容体放射性核種療法(PRRT)剤が承認された話題が本記事の終わり間際にちょろりと書いてあるのですが、昔話なんかよりもこちらの話題をもっときちんと取り上げた方が「なお残るドラッグラグ」のタイトルに相応しい記事にはなるかと思います。ここではこの話をもう少し深く掘り下げてみたいと思います。

PRRT剤ルタテラが日本で承認されたのは2021年6月で、日本での申請者は富士フイルム富山化学です。Lutatheraの米国FDAによる承認は2018年1月ということで、ドラッグラグとしては3年5ヵ月になります。米国FDAで承認を取得したのはAdvanced Accelerator Applications S.A社(AAA社)で、承認取得時にはノバルティスのグループ会社とのことですが、ノバルティスがAAA社を買収したのは2018年1月ということで、FDA承認に対するノバルティスの寄与はほとんどないでしょう。
ルタテラの審査報告書を確認すると、その臨床データパッケージは海外のph1/2試験とPh3試験、日本国内のph1試験、ph1/2試験で主に構成されており、海外ph3試験はAAA社により2012年から実施され、その成績をもとに米国、EUでは承認申請が実施されたとあります。海外ph3試験の登録情報(clinicaltrials.gov)では、本試験への参加国は主に米国・EU諸国であり、日本からの参加はなかったようです。試験のprimary outcomeを確認する最終データ取得は2015年7月だったとのことです。一方日本国内の臨床試験は、登録情報(JAPIC)によれば2017年開始なので(開発コード: F-1515)、日本の開発は完全に出遅れていることがわかります。日本での開発者である富士フイルムがAAA社から日本での開発・販売権のライセンス契約を行ったのは2015年(ソース)であるため、日本の開発に取りかかる頃には、国際共同Ph3試験はほぼ終了していたことになります。

2000年代からさかんに言われていたドラッグラグへの対応として、ブリッジング、国際共同治験の導入と規制当局での審査期間の短縮が行われ、ドラッグラグは沈静化したように見えました。しかし、ここで紹介したルタテラの例は、国際共同治験にそもそも日本から参加できなかったがために日本での薬事承認が結果として遅れているため、「整えた枠組みが利用されなかった」ことでドラッグラグが発生しているのです。これが私の言うところの「現代のドラッグラグ」になります。

当初の話に戻ると、公衆衛生の観点から日本の医薬品開発システムがうまくいっているかいないかを評価するのにドラッグラグを指標として使おう、という話だったわけですが、現代にもルタテラの例に代表されるようなドラッグラグ事例は発生し続けており、これを根本から解決できないのであれば、公衆衛生の観点から日本の医薬品開発がうまくいっているとは言えないのではないか、それが私の主張になります。

現代のドラッグラグを引き起こすのは、海外バイオテック発の医薬品

私がこの問題を日本の公衆衛生上の懸念と考えているのは、現代のドラッグラグは引き続き散発しているからではありません。放置すればドラッグラグはむしろ拡大する傾向になるはず―そこに問題意識を持っているのです。

前項で紹介したルタテラでドラッグラグが生じた理由として、「国際共同治験に日本が参加できなかったこと」を挙げました。国際共同治験はドラッグラグ解決の手段として発展したものであるため、これが適用できなければドラッグラグが生じてしまうのは無理もないこと、ということになります。ではなぜ、ルタテラでは国際共同治験に日本が参加できなかったのでしょうか?
かつてのドラッグラグが問題になって以降、少なくとも私達のような業界の人間にとって「とりあえず国際共同Ph3に日本から参画すること」が「ドラッグラグなく日本で薬事承認を得る」ための唯一の道であることは、常識中の常識でした。なので私達が医薬品開発に参画している限り、ドラッグラグが生じるということは通常はあまりありません。
私達とは誰か?―日本で医薬品開発に携わっている人間です。製薬企業、CRO、薬事コンサルタント、所属や立場は色々ですが、日本で医薬品開発を行うことを生業にしているものであれば、なんとか国際共同治験に日本から食い込もうと努力をします。ただ逆に言えば、私達が医薬品開発に参画していないところで、すなわち、日本人医薬品開発担当者がいないところでドラッグラグが発生するのです。

ルタテラの創薬を行っていたのはAAA社という海外のバイオテックであり、日本法人は(おそらく)ないと思われます。仮に日本法人があったとしても、数多くの開発パイプラインを揃えるメガファーマとは財務体質が全く異なりますので、日本法人にフルスペックの医薬品開発チームを自社内で整えることは通常は不可能です。つまり、AAA社のような海外バイオテック内で日本における医薬品開発戦略を本社経営陣に提言できるような医薬品開発担当者は通常はいないのです。

ただそれよりも重大な要因として、新興バイオテックのビジネス環境を無視するわけにはいきません。いくら日本の薬価を取り巻く環境が製薬企業側にとって厳しいものであることは確かですが、日本は世界有数のサイズの医薬品市場を誇る先進国であることは事実であり、医薬品上市に成功したバイオテックは日本進出をいずれは考えることになります。ただ、すでに日本を含んでグローバルに販売拠点を揃えるメガファーマであれば、最初から日本を含むグローバルでの医薬品開発を企図してリスクを負って日本にも資金を投下し、効率的に世界同時申請を達成して特許期間中になるべく多くの収益を回収するビジネスモデルも成り立ちうるでしょう。しかし、これから大きな成功を収めようという新興バイオテックに対して、まだ開発(=創薬)に成功したかどうかも確定していないシーズに対して世界同時開発の大きなリスクを負う投資は一般的には行われない。まず米国(とほぼ同じパッケージで申請できる欧州)で承認申請を行えるだけの最小限の投資に留め、創薬が完了してからグローバル展開への追加の投資を行うことが、リスクヘッジの観点から妥当な投資戦略であると考えられます。

日本の規制当局がいくら審査体制を整備したところで、国際共同治験の枠組みの積極活用をアピールしたところで、使われなければ結局ドラッグラグの解決にはつながりません。新興バイオテックのビジネスモデルについて少しでも理解があれば、これらの枠組みが積極的に活用されない理由はそれほど意外ではありません。つまり、新興バイオテック発の医薬品ではドラッグラグが生じる可能性が極めて高いと考えられます。

このままでは現代のドラッグラグは拡大するー手は打たれているのか?

新興バイオテック発の医薬品ではドラッグラグが生じる可能性が高いということは前項で述べましたが、ではなぜこれが拡大傾向にあるのかという話をしていきたいと思います。その原因は、世界全体で起きている製薬産業全体のビジネスモデルの転換にあります。

このビジネスモデルの転換については、過去記事(製薬R&Dのサービス化&外部化と臨床薬理屋の「成立」)で詳細に説明しました。ざっくりと要約すると、メガファーマの商社化が進み、創薬の段階はバイオテックにより担われるケースが増えてきていること、特にオーファン領域でのバイオテック発医薬品の割合が年々増加してきている、ということです。
正しいデータを持っているわけではないのですが、新薬の9割以上は海外発と思われる現状で、その海外発の新薬のうちバイオテック発医薬品の割合がどんどん増えているわけですから、ルタテラのように日本での開発が出遅れてしまう新薬の割合が増えていくことが予想されます。もちろん日本の製薬会社としては自社パイプライン拡充の観点で、海外で有用な新薬が出ているという情報があればライセンスインを試みるとは思いますが、「有用」とはあくまで「儲かる」新薬であることが前提です。オーファン薬では製薬会社が儲けるスキームがなかなか作りづらく、日本の製薬会社が参入してくれなければ、ライセンス元のバイオテックが日本に自発的に参入するのを待つか、あるいは「お願い」して日本の製薬会社に開発してもらうほかありません。

この「お願い」するシステム、医療上の必要性が高い未承認薬・適用外薬の要望募集という形で厚生労働省により実施されているのですが、これは長いドラッグラグを短くする手段とはなり得ますがドラッグラグをなくす手段ではありません。学会等がまず「医療上の必要性が高い未承認薬・適用外薬検討会議」に候補薬の開発要望を出し、この会議に「医療上の必要性が高い」と認められることにより、厚生労働省が「関係企業に開発要請」または「開発企業の募集」を行います。海外新興バイオテックが医薬品を持っている場合、日本法人が製造販売業を持っていて初めて厚生労働省の管轄で開発要請できるので、日本未進出の場合は「関係企業に開発要請」できないので「開発企業の募集」を行うことになります。
最初の「お願い」である「開発要望」の申請からここまでのプロセスでも平気で年単位の時が経過しそうなものですが、「開発企業の募集」を見ているのは基本的には内資系製薬企業だけで、ここで製薬企業が手を挙げるかどうかはボランティアベースです。製薬企業側には「医療上の必要性が高い」と認められている品目の開発を行っていることで自社の他の品目の薬価に加算がつくというインセンティブがあるので、「加算をキープできる程度」に手あげ、すなわち「開発意思の申し出」が行われます。
しかしここからがまた大変で、ライセンス元の新興バイオテックは「自分の意思で」日本に進出しないという選択を行っているわけで、それなりにいい条件を提示しないとライセンスを提供してくれない上に、日本で開発要望が出ていることにバイオテック側が気づいている場合には、交渉相手の製薬企業は「ライセンス契約をしなくてはならない状態」だということを認識できるので、足元を見た条件をふっかけてきます。手上げした日本の製薬企業にとっては「国から頼まれて開発する旨みのない医薬品」なので契約条件はかなり低いものを提示せざるを得ず、このライセンス交渉は基本的に難航します。
さらにライセンス契約はできたとしても、今度は日本国内での開発が難航します。こういった開発要望が出るような医薬品は、基本的に対象患者集団の数がかなり限られています。国内治験はやろうとすると大変なので、とりあえず製薬企業側は国内治験なしで承認してもらえないかとPMDAと交渉するのですが、国内データなしで承認とはなかなかなりません。仕方がないので国内治験を実施するのですが、製薬企業側に国内治験を早く終わらせるインセンティブがありません。というのは、このような医薬品は売れば売るだけ赤字が出る類のものが多く、通常の医薬品開発のような「できるだけ早く売り出して特許期間中になるべく多くの収益を回収する」というモチベーションがないためです。企業側のインセンティブはあくまで他の自社品の薬価に加算を付けることであるため、当該医薬品の開発にはは「なるべくコストをかけない」ことがビジネス観点での正解です。
(注:開発現場は薬を待つ患者のためにそれでも一生懸命やってます。)

これだけ長々と何が言いたかったのかというと、それは日本未進出の新興バイオテックの製品を「お願い」ベースで日本で開発させることは、最終的には開発される製品もあるため何もしないよりははるかにマシだが、ドラッグラグの解消という観点でよくできたシステムとは言えないということを、実感をこめて説明したかったということです。
厚生労働省は医薬品の製造販売承認はしますが、その承認申請をするのは医薬品を製造販売する企業です。よく厚生労働大臣に対して「早期承認の要望書を提出」なんていうニュースを耳にしますが、厚生労働省もメーカーからの申請がなければ承認は出せないわけで、厚生労働大臣への要望書の提出は日本でのドラッグラグを解決するための決定的な手段には決してなり得ません。(学会や患者団体はもちろんそれはわかってて、それでも政治的な圧力をかけて承認条件を少しでも軽くし、企業側の負担を軽減することに貢献してくださっている…それが私の理解です。)

公衆衛生問題としての現代のドラッグラグを解決するためにー結語

前項で、海外バイオテック製品の日本進出の手段としては、国がお願いをする(医療上の必要性が高い未承認薬への開発要望制度)以外には、民間企業の日本市場への投資(海外バイオテックの自社での日本進出か国内製薬企業のライセンスイン)以外の道はありません。国がお願いするシステムはドラッグラグの大幅な短縮への貢献はあまり期待できないので、民間企業がいかに日本市場に投資しやすい環境を作るかが重要であると考えられます。

別に私が携わるビジネスの宣伝をすることが目的ではないのですが、私が現在所属している会社では、これらの全ての手段を通して海外バイオテック製品の日本進出支援を行っております。未承認薬検討会議にかかる品目に携わることもあれば、日本への参入を目指す企業への主に薬事面での支援、国内製薬企業と海外バイオテックのライセンス契約支援も行っています。
こういう会社になぜ存在価値があるかといえば、こういった支援なしにはこれらのシステムはうまく働かない仕組みになってしまっているので、それでもハードルを乗り越えようとする方々からのニーズに応えられるからです。未承認薬の開発を出す先生方の開発への熱意は実にすごいのですが、熱意だけでは薬の開発はできないのです。(海外に限らず国内も含めた)バイオテック企業にとって、日本の薬事規制や慣習(お作法)には暗黙知が多くブラックボックスであり、ノウハウの提供を希望されています。国内製薬企業と海外バイオテック企業の契約にも、言語の壁はもちろんビジネス慣習の違い等の文化面でのハードルもあります。これらのハードルを越えるには現状誰かしらの支援が必要であり、現場の肌感覚としてはそのプレーヤー不足が日本のドラッグラグ拡大に寄与してしまっているように思えます。

こうして挙げてみると、現代のドラッグラグ拡大の背景には様々な問題が連なって存在しているということがわかると思います。前段落で述べた「プレーヤー不足」を掘り下げてみても、「労働者の流動性の欠如」さらには「新卒一括採用・終身雇用制」「メーカー・CROの主従関係」などなど日本社会の文化的な一面がこの問題につながっていることがわかりますし、「プレーヤー不足」の前に「ガラパゴス化している薬事規制」から手を付けるとすれば、「ことなかれ主義」「ゼロリスク指向」「反知性主義」のような日本の政治や教育レベルについて繋げていくことも場合によっては可能かもしれません。巷でよく目にする「薬価施策」に原因を求めるのであれば、「医療費高騰による財政圧迫」「少子高齢化」「低インフレに伴う税収の停滞、財政赤字の拡大」のような社会構造そのものの問題までつながっていきます。

公衆衛生問題として現代のドラッグラグを解決するためには、問題の原因を考察し、その原因に対してどのようなアクションを取るかを考えていく必要があります。これが今回の記事の結論であり、その答えはまだ用意できていません。これから考えていこうと思っています。

最後にまた私事に戻って来るのですが、海外の大学院で公衆衛生学を学ぶようになって驚いたのが、公衆衛生学という学問が想像以上に実務指向で、公衆衛生の問題解決に貢献できる人材育成を主眼としていることです。私は日本のSPHを知らないので日本ではどうなっているのかわかりませんが、私が所属しているこのコースはどちらかというとMBAの医療版という方がしっくり来る感じです。
今回の記事では、日本における現代のドラッグラグを公衆衛生問題と捉え、日本における医薬品開発環境にその直接の原因があるのではないかと考察してきました。私は現状、公衆衛生大学院での研究テーマとして、この問題をより詳細に分析し、それを解決する手段を提案できればと考えています。

公衆衛生大学院に入るまではまさか私がこんな問題について考えることになるとは思ってもいませんでした。もともと私の「臨床薬理屋」としてのキャリアを発展させるために大学院進学を決めたのですが、このまま突き進むと私のキャリアは臨床薬理屋とは全然違う方向に向く可能性があります。
ま、それもいいではないですか。なぜ製薬会社キャリアから降りたのか:"独立系"臨床薬理コンサルタントキャリアを選んだ理由にも書いたとおり、臨床薬理担当者としてのキャリアのどん詰まりは意識してたわけですから、漂流している間に違うキャリア観に流れ着けたのであれば、それはそれで結構なことだということで。


今回も長文にもかかわらず、ここまで読んでいただきありがとうございました。

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