ゆるされる
圧倒的な景色を見たとき、みんなはどういう風に感じるだろう。
綺麗だなあ。
今日見た景色を忘れないだろうな。
また一緒に見にきたいな。
その時の自身のバイオリズムによっても、感じ方はさまざまだろう。感受性はコンディション次第で増幅するものだから。
ということを承知していながら、私は冒頭の景色を見て、こう思った。ほぼ無意識に。
“あぁ、全てが許されるみたいだな”
今これを読んでくれている人の中には、
感情が先に出て、思考によって改めて自分の感情に気づいたり驚いたことがある人がいるかもしれない。
その時の私はまさにそれを経験した。
え、何に許されるん?そもそも誰にジャッジされてるん?
そう、私はわたし自身をしばり、許せなくなっているということに、その時に気づいた。
自然の圧倒的な美しさは、時に私を何かから解放しようとしてくれる。
せっかくなので丁寧に描写してみるとこうだ。
自然はそのままで美しい。
それをまざまざと見せつけられた時、恣意的な人間の滑稽さが浮き彫りになる。
何かに固執していたり、何かに追い立てられていると感じたりしていた時、自然はいつもそのままでそこにいたことにハッとする。
そのままで完全であるようだ。
人間もそれでいい、そのままでいいのに、と言われている気にさせられる。
両親をハワイに連れて行った時のひとり時間。
帰り道、帰るのも忘れて見入った夕焼け。
誰もが幸福な風景の一部だった一瞬。
途方もない年月、そのままの姿で存在していた木。
早起きした人だけが共有できる短い幸福。
およそ人間では作れない、奥行きのある彩り。
桜の時期と同じく、私をハッとさせる季節の木々。
マジックアワーは一瞬が永遠のように感じられる。
私がキャンプにハマっているのも、
もしかしたらこの辺りに理由があるのかもしれない。
その話はまたそのうち。