『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』という難解な本について

青土社の『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』という本を先日読み終えたのですが、これがなかなか難解な本でございました。難解といっても、書いてある内容が難しいということではありません。内容自体はわかりやすいものでした。扱っているテーマが難しいというお話なのです。

この本の著者、ジョナサン・マレシックは神学の教授をされていた方です。著者はその教授時代に燃え尽き症候群(バーンアウト)となり、最終的にその職を失うことになりました。この本のテーマはバーンアウトはどうして起きるのか、ということがテーマになっております。

さて、バーンアウトってそもそもなんぞってことなのですが、名前のとおり仕事に対して燃え尽きてしまうという状態のことを指します。細かい話をいろいろしても仕方がないので簡単に言ってしまうと、仕事に行けなくなってしまうような状態ですね。

じゃあなんでバーンアウトが起きてしまうのかというと、仕事に対するその人の理想と現実のギャップを埋めるため、無理を重ねた結果であると本書では説明しています。そしてその人の持つ理想というものは、その人個人にだけ由来するものではなく、文化的なものが大きいのです。

私たちはなにゆえ仕事をするのでしょうか。それは、お金を稼ぐためとお答えになるかもしれません。でも本当にそれだけでしょうか?単にお金を稼ぐために働いているのでしょうか。

このテキストをお読みになっている方には就労されている方もそうでない方もいらっしゃると思うのですが、企業に就職すると最初のほうの研修でマズローの欲求五段階仮説みたいな話をされます。人の欲求は五段階あって云々という、研修業界ではありがたがられているのですが、その実、その内容が正しいのかどうかには議論がある仮説でして、その真偽はともかくとしまして、この五段階欲求の最終段階の話がしたいのです。

マズローの欲求の五段階目、それは「自己実現の欲求」とされています。そして、研修ではだいたいこんな話をされます。「自己のスキルを磨き、仕事を通じて社会へ貢献することで自らが理想とする社会人になりましょう。」

さてさて、単にお金を稼ぐために働いているかと思いきや、世の中は労働者に対し、仕事を通じて自己実現をしようなどと、仕事を人生の目標みたいに言ってくるのです。私たちは仕事中心の世界に生きているんですね。そして生活のすべてが仕事となる。そんな文化の中にいるのです。

夫婦間の家事分担の話の中で、専業主婦が行っていた家事を所得に換算するとおいくら万円になりますよ、なんて言われていたのを聞いたことがある人はいるのではないでしょうか。まさにこれですね。家事を仕事に置き換えて、その金額を算出したということ、それを私たちは何ら疑問を持たずに受け入れていること。そういった形での比較をする土壌が私たちの文化にはあります。

「病気」という概念もある側面では文化的な背景があります。ジョハナ・ヘッヴァという人が言うには「<健康>な人とは仕事に行ける人、<病気>の人とはそれができない人」を指します。そして仕事に行けない人というのは病気で異常なことだと考えるというのです。なるほど確かに、病気といえば自然と仕事に行けないとつなげて考えることは多々ありますね。

こんな感じで、仕事中心の文化というのに私たちはどっぷりつかっていますし、自然とそれを受け入れていたります。これこそが、バーンアウトの一因となるのですが、じゃあこの文化の背景にあるものはなんなのかっていうと、それが資本主義なのです。この本のラスボスは資本主義なんですね。

資本主義がこのような文化を創り出す一因となっており、それにより、私たちの生活のすべてが仕事になってしまっている。でも実際はそんなことはない、仕事をしているいないに関わらず、私たちにはそれぞれ価値があるのだから、そこまで仕事中心になる必要なんてひとつもない。本来、仕事なんてお金を稼ぐための手段でしかないのだから、仕事漬けにならないように、仕事をすることに制限をし、自分の生活を大事にしましょう、みたいな感じになります。

で、最初に戻るんですが、これが本当に難しい話なんですね。だって、私たちは資本主義という土台の上で生きているわけでして、そういった社会に依存しているわけです。明日から資本主義社会から脱出して生きていきますなんてなったら極端な話、狩猟採集民族になるしかなくなっちゃうわけです。そういうわけにはいかないのだから、やっぱり仕事をしなきゃならない。仕事をする以上、不本意ながら頑張らないといけない場面ってのは出てきたりするので、自分の意思だけで制限することはできないこともあるよねってなっちゃうんですよね。

ただ、そんななかでも意識して仕事を制限することはできる部分はあります。休日はすっぱり仕事のことを忘れることとか、休憩時間や終業時間になったら割り切って休憩したり帰ったりとか、仕事中心にならないということを意識するだけ、あるいは、世の中が仕事中心となっているということを知っているというだけで、無防備にそれに取り込まれないようにすることは可能なのかなとも思えます。

そんな意味で、なかなか考えさせられるとてもよい本でございました。

なお、この記事は、本書をかなり乱暴にまとめているところもがございます。もっと言えば独自解釈のところもいくつかございます。買って損する本ではないと思いますので、手に取って読んでみてはいかがでしょうか。

http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3857

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