あとひと言、言葉があれば、、言えない夫婦環境を作ったのは私か。

いつも通る道を通る時、元妻のことで思い出すことがある。私は、どちらかというと旧車に近いような、中古車に乗るのが好きで、今も古い車に乗っている。元妻は、新車の軽自動車が好きで、結婚しているときも、新車の車を家族で一台買ってそれに子どもと一緒に乗っていた。

私は古い車に乗っているので、ナビを使ったことがほとんどない。実際、1年ほど前にあるSUVに乗り換えてから、やっとそれに古いナビが付いたくらいだ。

私は、自宅の近所の道を、よく、自分の感覚でルートを作り、目的地まで、ナビではなく、自分の感覚だけに頼って、たどり着いていた。

ある日、同乗していた元妻が言った。「〇〇高校の道をまっすぐ行って、〇〇号線に出たほうがいいんじゃない?」その意見は、私の感覚からすると、遠回りのような気がした。私も、私を子どものころ車に乗せていた父も、そのルートでは〇〇号線には出なかった。私は、私の感覚と、私が幼いころ父から受けた影響も受けながら、私の地元の道を運転するのに自信を持っていたのだろう。

1年ほど前、古いナビが付いたSUVに乗り換えた。その時、〇〇号線沿いにあるアウトレットに行こうと思って、ナビにそのアウトレットの名前を入れた。ナビが推奨するルートは、元妻が言ったルートだった。

元妻は、ナビのルート通りに行かない私、最短ルートではなく遠回りをする私のことが心の中ではよいと思っていなかったかもしれない。でも、年下ということもあってか、遠慮してか、はたまた、コミュ力に自信がないからというのもあるかもしれないが、「ナビでも〇〇高校経由が最短だってよ」とは言わなかった。

その一言を聞いていれば、合理的に考える私は納得をしたかもしれないし、納得したうえで、自分の感覚を大事にしたかもしれない。結果は何も変わらなかったかもしれない。

その一言を、元妻は、言いにくかったのだろう。言いにくい関係を私が作ってしまっていたのだろう。別れてしまっては、取り戻せないが。

「あの時ごめんね」とメールやLINEをすることはできる。しかし、もう忘れているかもしれない。

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