失敗は他人が下す評価
社会というコミュニティに生きている以上、知らぬ間に他人からレッテルを貼られるのは仕方ない。
自分がありたい姿、見せたい姿、現実の姿はそれぞれ違うかもしれない。
その中でいかにありたい姿に近づけるかが重要だと思う。誰もが自分を守りたい中でチャレンジする事が大事。結果だけを求めない。好奇心だけで動いていく。
常に動かないと、
いざという時に飛び込めなくなってしまう。
転職して早3ヶ月が経った。
いつの間に…と思うと同時に色々な経験をさせてもらっている。有難いと思う一方、どうして上手くできなかったのだろうと悔しさと呆れが飛び出してくる。いろいろ失敗した。今更、考えても仕方ないのに瞬間的に思い出してしまう。けれどある人が「失敗は自分・他人が下す評価というよりただの感想でしかない」という言葉が胸に響いた。
モットーにしたい。
そして身体的負荷をかけて
考える余力を無くすのが最近のブーム。
先週もハーフマラソンに出場した。
今回は2回目。
初めてスタートラインに並んだ時とは異なり、
どのようにゴールまで辿り着くかイメージはつく。
つまり1番苦しい16〜19kmに突然現れる怪物を
いかにして倒すのか考える事になる。
怪物といっても姿や匂いはなく頭の中を占拠する嵐のようなもので、足がこわばり、息があがり暑さに負けそうなところで「止まっちまいなよ、辛いだろ。ゴールしても意味なんかないぜ。ほら、何人も歩いてるじゃないか。それに筋肉痛が待ってるぞ」と囁き声、やがて叫び声が聞こえる。
こうなると本当に苦しい。
ランニングフォームや見た目に気を遣う余裕なんてひとかけらも無い。
けれど負けられない。
高校生活ではテニス部に入っていた。
毎年夏休みになると山中湖合宿が始まり、
山中湖一周マラソンがある。計3回走ったのだが、
2年生の時だけ、どうしても苦しくて立ち止まった事がある。そうするといくら自分を鼓舞しても足が動かない。驚くほど前に進めず、自己嫌悪に陥り、自暴自棄になる。結局ゴールはできたものの、気持ちは散々たるものだった。
このトラウマを思い出して、
絶対に止まってはいけないと固く誓う。
イヤホンの音量を上げる。
苦しい事は考えない。
リズムに合わせて足を前に出す事に集中する。
限りなく殺意近い気力で、力を振り絞る。
ほどなくしてゴールテープをきる。
やった、もう走らなくていいんだ。
と思うと全身の力が抜けろくに立てなくなる。
もう二度と走るもんかと思うけれど
気づけばランニングシューズを探している。
そんなものか。
レースに向かう途中「本日は、お日柄もよく」を読んだ。2ページ目から、はちゃめちゃに面白い。
時間を見つけて感想を書きたいな。
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