見出し画像

〇〇好きに悪い人はいない、もしくは聖人の話

こんばんは、1970年代生まれ、都内一人暮らし、ゲイのしおたです。

先日、普段はあまり連絡を取らない友達からふとLINEが来ました。「これからハマショーのライブ!at 武道館」私はハマショーにさして興味はないのですが、そう言えば彼は好きだったな、と思い出し、浜田省吾 武道館 ライブ などとWEB検索をしつつ「40年前のセットリストそのまま再現するの!?」「お客さん、50代60代ばかりじゃない?」「コロナ対策どんな感じ?」などとひとしきりメッセージのやり取りをしました。ハマショーライブは初めてで、もっと言えばクラシック以外のコンサートが初めて、チケットも超高倍率だったことなど、彼の喜びと興奮が伝わってきます。
慣れない状況に一人で参加していることに対して、私は「公式で言われている禁止事項だけ気をつけて、後は周りのノリ見て合わせてたら大丈夫」と、妙に上から目線のアドバイスをしたり。
手持ち無沙汰なのか「入場始まった。みんな行儀良く並んでる」などと実況してくるので、「好きなものに触れている間は誰でも聖人になれる」と、また達観したようなコメントを返したり。

〇〇好きに悪い人はいない、なんて昔はよく聞いたものですが、好きなアーティストの曲を聴いている間、好きな物を食べている間、本当に好きなことをしている間は、悪い感情が湧き起こる隙なんてないのだろうと思います。
単純過ぎる楽観論だとは承知しつつ、でも全ての人が自分の好きなものを見つけ、それを大事にできる環境にあり、また同じように他人の「好き」を尊重できたとしたら、世界平和はほぼ実現したも同然です。
話を身近に戻すなら、自分や他人の「好き」という気持ちを大事にしよう、尊重しようということでしょうね。そもそも「好き」に理由や根拠はあるのでしょうか。わけもわからず自分の中に巻き起こる強い感情、まさに若い草木が萌え出ずるような「好き」という感情こそ自分の宝物だ、とそんな風に思う時があります。

友達 at 武道館は無事入場、着席し開演までの待ち時間にも実況してきます。「後ろの列の人、これまでのライブの感想を大声で話してる。超迷惑」
こうやって意図せずさらりと「〇〇好きに悪い人はいない」の反例を提示してくるあたりが彼の面白いところです。

で、その数日後、私もまさにライブ会場でちょっと不快な経験をしました。もちろんハマショーではなく、Perfumeですが。
終演後規制退場(混雑緩和のため数ブロックずつ退場させられる)のため、案内を待つ時間が少しあったのですが、前の席のカップルが何かを落としたらしく、必死に探している様子。私の視界に「これかな?」と思える物がちらりと見えたので「すみません、こっちに何か落ちてますけど」って声をかけたら、ボソッと「あ、それじゃないです」とだけ言われてしまって唖然。えー、すみませんとかありがとうとかないんだ。へー。反射的に、絶対探し物が見つからないおまじない(シータさんの逆です)をかけてしまいました。きっと今も見つかっていないことでしょう。

もちろん私にそんな能力は一切ないんですけど、つい先週も「もし魔法が使えたら」と西田敏行みたいなことが頭をよぎった瞬間がありました。
スポーツクラブでほぼ毎週ヨガをやっているんですが、先週隣合わせた方が結構腰が悪そうで、なんとか動けてる、くらいの感じで。ヨガあるあるですが、インストラクタも「無理しないで、マイペースで〜」「腰が痛い人はダウンドッグやらないで、四つ這いか子どものポーズでお休みしましょう」といつも以上に気を使っていました。私も、大丈夫かな?と少し気にはなりつつ、自分の呼吸に集中!と基本通りに時間内みっちりヨガ。
最後のシャバアサナと瞑想の後って、たいていピュアでクリーンでクワイエットでちょっとホーリーな精神状態になりますけど、先週はいつもに増してそんな感じで「今日もちょっとだけ神様に近づけたな…今なら初歩の回復魔法くらい使えるかも…もしそうなら…隣の人にホイミでもケアルでもいいから、少しでも腰の痛みがやわらぎますように…」なんてことが本当に素直に思えたんです。自分だって体調が万全なわけでもないのに。

文字にすると結構オカルトじみていて、引いてしまう人も多いかもしれません。私も100%信じ切っているわけでもないのですが、郷に入っては郷に従え、というか、例えるなら、浦安のテーマパークに行ってキャラクタを目の前にした時、中にどんな人が入ってるんだろうとかいちいち考えないのと同じです。その時その場所ではそういうことだと信じた方が自分が楽しいから。
そこそこ強度の高い運動は精神を変容させる、というのもおそらく科学的事実でしょう。最中や直後の気持ちの変化を感じるのも、ヨガの醍醐味です。ヨガ歴は10年くらいですが、ずっと好きで続けていることなので、いつか改めてnoteに書こうと思っています。

先週感じた、見ず知らずの人の苦痛が癒えるよう願った気持ちが慈悲とか慈愛と呼ばれるものなら、私も一瞬だけ聖人になれたのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?