見出し画像

""心が震えるような瞬間""のために生きている

(※本noteはOWV以外のアーティストの名前も登場します。そのため、たくさんのリンクを埋め込んでおります。本文中の下線や、YouTubeの動画、ぜひクリックしてお楽しみください☺︎

--------------------------------------------------------------

「明日はどんな1日が待っているのか」と期待を馳せながら眠りにつく人。
程度は様々であれ、ふと「死にたい」と思う人。
人間はそれぞれ様々な考えを持っている。

人々がどのような気持ちで1日1日を生きているのかを、この世に生れ落ちて20年と少しの私は知り得ない。

けれど、「X年後にこうなっていたい」とか「夢はOOです」と語る人間を目の当たりにすることで、希望や情熱を持って生きる人の多さは、幼い頃からなんとなく感じ取っていた。

しかし私は、明日への期待も、絶望も、感じたことはほぼない。


「別に死んだっていいや」


これは気づけば私の胸の中に居候していた言葉だ。


いつから、そして誰の影響で、この言葉が私の中にあるのかはよく覚えていない。

あえて思い出すならば、幼少期に祖父の死を経験したことが大きいのではないだろうか。

小学校3年生の冬、8歳の冬に祖父の死を経験した。
晩年、祖父は病院で闘病生活を送っていたが、緊急搬送される前日まで、
祖父宅の居間で冬休み課題であった、習字を手伝ってくれていた。

「またお習字教えてね」
そう言って、次の約束をしたのに....
次に祖父に会った時にはもう、前回と同じ祖父宅の居間で、息を引き取った姿だった。


幼いながらに、もう祖父には逢えないことを理解し、悲しみを感じたと同時に、そこからの私は「死」ってなんだろう、と強く考えるようになったことを覚えている。

そこから高校生くらいまで、身内の死が続き、「死」について考えることは私にとって身近なものとなった。
だからといって、
「死」が怖いとか、「死にたい」とか考えるようになったのではなく、
「死後の世界ってどんなんだろう」とか「死ぬ時ってどうなるんだろう」とか、そういう漠然とした考えに興味をさらに持つようになった。

また、「そもそも人間って、私って、どうして生まれてきてんだろう」と、「生」についても考える小学・中学・高校・大学時代を送った。


だからなのか…いや考えを繋げるのには少し無理があると思うが、
「別にいつ死んでもいいや」と思うようになった。

「別にいつ死んでもいいや」と言うと、とても無責任な奴だと、もしくは病んでいる奴かと語弊を生むが、決してそういうわけではない。

学業や仕事におけるやるべきことは、もちろんきっちり行っているし、推し活も趣味も充実させているつもりだ。

(だからアイドルオタクも15年間、人生の約3分の2も続けてこれているし…笑)

ただ単になんか、毎日が何も起きない毎日の繰り返しで、
「自分がこの世に生まれ落ちた意味はなんだろう」とか
「人間、死んだって空の上からこの世を見ることができるなら生きてても
死んでも一緒じゃん」って思ったり。

だから、どんだけ楽しみなライブの参戦を控えていても
「今ここで不慮の事故で死んだとしたらそれもまた運命なんだろうな」って思うし。

だから (多少誇張表現だったとしても)
「ライブが生きがい」とか「OOくんに逢うまで死ねない」って言いきれる人は本当に尊敬に値する人々だった。


2023.12.09


運良く死なずに迎えられたこの日、私は、OWVのライブに初参戦し、人生で一生忘れないであろう瞬間ができた。

””PARTY""が流れた時のこと。

あのイントロ、というか1音流れた瞬間、
「あぁ私は今この瞬間に生きているんだ」
と心の底から実感した。

楽しいとか、幸せとか、そういった感情を通り越して、
文字通り「心が跳ね上がる」「心躍る」「心が震える」といったことを肌で体験した。
もう私の今の語彙力ではこれ以上表現することは難しいのだが、とにかく、人生で初めて(といっても過言ではない)「生」を実感し、
これからもこの眼でこの人たちを見ていたい、と思った。

言葉汚くすると
「そう簡単に死ねねぇな、この人たちがいる限り」
「私は彼らと一緒に心が震えるような明日を迎えることが生き甲斐なのかも」
って思った。


なんでこんなにも心が動かされたんだろう。


それは、OWVのパフォーマンス(魅せ方)が洗練されているから、といった技術的な面もあるだろうけど、
「4人が魂の表現者だから。」だと私は考える。

アーティストやアイドルに対して、多くの人は、
「ビジュアルが良いこと」「曲がいいこと」「歌がうまいこと」「ダンスやパフォーマンスがうまいこと」
そういった一種の特殊能力を求めていると私は感じる
確かにどれか1つでも、そういった能力を持っているに越したことはないのだろう。

しかしそれよりも、アーティストやアイドルがステージ上で、彼らの生業である、
「パフォーマンスをすること」を
心の底から楽しんでいることが、
どんな特殊能力よりも、私を惹きつけるものなのだと、PARTYのOWV4人を観て、強く感じた。

私から観た、OWVの4人は、
もちろん「ビジュアルも良い」し、
「曲も全部私好み」だし、
「歌もうまい」し、
「パフォーマンスもうますぎる」。
だからカッコい曲でも、バラードでも、どんな曲でもQWVを底なし沼に沈めていく(言い方)。

そしてそれだけでなく、彼らの表情を観ていると、どの曲でも、
「4人は本当に今この瞬間を幸せと感じているんだ」
感じる瞬間がライブ中に、本当に本当に数えきれないほどある。

素人目線で大変恐縮なのだが、
そういった時の表情は、
「バラードだから哀愁のある表情を」または「楽しい曲だから笑顔で」
のような表情・感情管理の下で行われるものとは全く異なる、
どうにも統制できない、彼ら個人の心の奥底から湧き出る笑顔や雰囲気だ。
そういった徹底された世界の中にも共存する、生身の人間の部分が、
「魂」
だと私は考える。

OWVの4人は、
意図的にか、彼らも知らぬうちになのかは分からないが、楽曲や作品の中に自分自身を投影し、
等身大の彼らを
「表現」
しているのだ。

OWVが「『魂』の『表現者』」であるから今日まで推し続けているのだ。
そしてそんな彼らが進化し続けていく明日を、
共に見たいから今日も生きている。

こんな大切なことに気づかせてくれたOWV、ありがとう。



振り返ると私は、これまでの15年にわたる推し活で色んなアイドルを知り、ガッツリ推しになったり、ゆる推しになったりしていた。
もちろんOWVはガッツリ推しているが。

そもそも私が各アイドルに興味を持って、
そこからさらにワンステップ先の「推そう」
と思う決定点は、
「楽曲に彼らの魂が表現がされていること」
なんだと思う。

オタク側から観るアイドル/アイドル側から見るオタクの像に関して、互いに
「美」の瞬間だけ見せて/見ていて、
という考えがよくいわれる。

例) オタク→アイドル「花道だけを歩こう」
     アイドル→オタク「綺麗な瞬間だけみていてほしい」  

画面で見てキラキラして楽しそうでラクでっていうイメージでいいと思う。俺のプライドがあるとしたら見せないこと。楽しそうでチャラチャラしてそうでラクそうでってそれで良い。それが一番嬉しい。そう見られていることが

元Love-tune, 現7ORDER安井謙太郎
2015年8月29日放送「ガムシャラ」での発言

この考えももちろん素敵。
(実際、安井くんが上記記載の発言をした時、リアルタイムで見ていて、感銘を受けたことを覚えているし、今でも好きな言葉。)

でっかい夢、もしかしたら今の彼らには無理かもしれないような夢を掲げ、走り続けていく姿。
非日常を与え続けてくれる姿。
どんな日々の悩みも忘れられるそんな時間。
最高最強でかっこいいし、素敵だ。


でも、アイドルもアーティストも所詮は同じ人間。
楽しいときはとことん楽しいだろう。
一方で、苦しいときにはとことん苦しいと感じるはずである。
だとしたら、夢や楽しいこと、強いところばかりを共有するだけではなくて
どんな苦しいことも共有し合おうよ、と。

ここまで言っておいてあれだが、別に無理に共有してほしいわけじゃないし
言葉でじゃなくてたっていい。

たとえば....

OWVのQuestion。

私はこの曲に出会った時、
「まるで一本の大作映画を観たよう」との感想を持った。

コレオは、メンバーの本田康祐佐野文哉が協働で作成した作品である。

曲調や歌詞が、彼らの正解一直線の人生ではなかった、
様々な幸せや苦悩を味わいながら今日まで歩んできた人生という道を表しているように受け取れる。
またコレオは、人生の迷い(揺れや儚さ)と自分の信じていたい心(強さ)が共存している、と私は感じた。
さらに、一人一人見ていくと、各々のダンススキル・センスの高さは言うまでもないが、「自分はこういう想いを持って"Question"を表現しようとしているんだ」という信念が表情・身体の使いかた・表現方法で伝わってくる。

歌詞に"ひとつひとつ成す philosophy"とあるが、
4者4様に等身大の自身を表現しているのは、まるでその通りの作品だ。

決して、「アイドルといえば?」で思い浮かぶ、
「花道」「美」「キラキラ」
が出てくる作品ではないが、だからこそ胸を打たれるものがある。


そして、やっぱり

PARTY


(急にオタク特有の早口&実況口調になること、ご了承願います。)

動画を貼っておいて言うのもあれなのですが、もうほんとにPARTYの世界観はライブに行って感じていただくのが一番です…

ですが、動画を観ていただいてもわかる通り、
うらのさん

高まってくEmotionに 身を任せんのさ
感じたままに Burn it up

という歌詞の通りに、メンバーも会場のQWVも互いに自身の気持ちを
ぶつけあいながら、「今この瞬間が最高だろ」と共鳴し合っているのが
たまらなく最高で、私の心を突き動かしたそのものです。


また、

人生常にHigh & low ゆえに揺らぐMotivation
生きてくって時にHard work それならば まずTake a breath
燃料Chargeしたら もう一度 走り出そう One more try

というかつなりさんとうらのさんのパートの歌詞

楽曲全体としては、"今日"  "Tonight"  という単語があることより、「ほらって超楽しいだろ?」と歌っている作品だと解釈しているのですが、
ここの部分に関しては、「人生常に…」と"人生"に触れていてしかも、"生きてくって時にHard work" と、まぁ言ってしまえば少しネガティブな表現がされています。

人間生きる限り、楽しく生きたいし、何事もポジティブに捉える方が良いし、そう生きていたいと思います。
でもやっぱり、生きてたら苛立つことも、しんどいことも、ネガティブになることもあって…
そういった、たまに出る弱さや、自分らしくいれなくなるように感じる、あの人間の本質ともいえる瞬間を表現している歌詞なのではないかな、と勝手に解釈しています。

うーん、ここまで解説してるだけでもう心がゾクゾクしてきて最高の気分なのですが、やっぱりPARTYは...いや、OWVのライブは生(なま)で生(せい)を体感するのが一番です、皆さん是非イベントやライブに足を運んでみてください。(突然の宣伝)


ここまで、はじめの「別に死んだっていいや」という考えてでぼーーっと21年生きていた私がOWVのライブで人生を突き動かされた話、そして私的見解でしかない楽曲解説を通して、
私は、彼らに出会って、「死んだっていいや」から「まだまだ生きていたいな」と思うようになった、という話をしてきた。

多分、前者の考えの時は、惰性で生きていた。

人は『「死んだっていいや』って思うくらいならば『とっくに死んでもよかったんじゃない』」と思うかもしれない。

違うんだ。

多分、今日まで生きてきて唯一続いた趣味、「推し活」の中に、私が生きる意味を、不器用なりに使命を見いだし続けていたのだろう。

そしてやっと見つけた、
「彼らと心が震え上がる瞬間を、明日を、共に味わいたい」

2023.12.09 WWホールでOWVのPARTYを聴いた時に、あれほどまで心が躍ったのも、私がその時に生きていたから感じたものであって。
仮にもうとっくに死んでいて空の上から、彼らのライブを見ていたとしても、これほどまでに心を突き動かされることはなかったんじゃないかな。

なんか、世の人がライブを「死ぬほど」楽しみにしている理由も、そのために日々の勉強・家事・お仕事を頑張る理由も、夢を持って追いかけ続ける、理由もようやく今分かった気がする。

私はこれから何年も何十年も彼らが彼らであり続ける様子を見続けるために、心が震えあがる瞬間を体験するために、「まだまだ生きていたいし」、「簡単に死ねねぇな」。


【最後に】

私は、「まだまだ生きて」たくさんのアーティストを知って、彼らの魂を浴びたい、と感じるようになった。
これまでは、「良い曲だなあ」「あぁ彼らってなんだかすごいな」と、彼らからの熱を一方的に受け取るばかりであった。
しかし、自分も彼らと同じように日々を全力で生きて、同じような熱量で生きたい、と、自分を楽曲に重ねるようになった。

その中でも、私が日々「心が躍るような」「生かされている」と感じる曲の超×100厳選playlist (Youtubeで見れるもののみ)を紹介してこの記事を終わろうと思う。
(趣味嗜好がわかりやすいですが…)

1曲目: WEST. 「アンジョーヤリーナ」
2曲目: WEST. 「僕らの理由」
3曲目: Aぇ! group 「ボクブルース」
4曲目: 超特急 「fanfare」(02:26~)
5曲目: SUPER★DRAGON 「Popstar」
6曲目: Hey! Say! JUMP 「ただ前へ」
(7曲目: 嵐 「Yes? No?」←入れたかったけれどYouTubeにミュージックさえもなかった...)

かるく推しポイントの解説

(本記事2回目のオタク特有の早口&実況口調で失礼いたします)


1曲目: WEST. 「アンジョーヤリーナ」
まずタイトルの意味、みなさんわかるでしょうか…
関西の方は何となく意味が分かる方もいらっしゃるかもしれません。
「アンジョーヤリーナ」とは、
関西弁の「安生(あんじょう)=うまく」「やりーな=やりなよ、やりなさい」をもじった言葉です。
ニュアンスとしては、おばあちゃんやおじいちゃん、近所のお兄ちゃんなど割と身近な人だけど、近すぎないような存在の人が、励ましの時にかける言葉といったところでしょうか。両親からはなかなか聞くことはない印象です。
そんな言葉をWEST.という今を時めくアイドルに言われてるんですよ、私達。
私、推し活の中でも、WEST.の推し活が最長でもうすぐ10年目に突入いたします。
彼らの存在は、旧J事務所オタクからは「近所のお兄ちゃん」的存在だと表現されることがあり、実際に彼ら自身もそのように把握しているようです。
勘のいい方はお気づきかもしれませんが、WEST.を「近所のお兄ちゃん」だとすると、ファンとの関係性はまさに「アンジョーヤリーナ」と言われるような存在に値するのです。
「近所のお兄ちゃん」的な存在と比喩されながらも、歌うのはプロアイドルのWEST.。そこの塩梅が何ともいいのです。

日常はそんなにド派手じゃない
ルーティンワークは間違いなわけじゃない
君の毎日に君の日常に影がさしたら呼んでおくれよ

改めて言います、この歌を歌っているのはあくまでプロアイドルのWEST.さんですよ!?
彼らが「日常はそんなにド派手じゃない」とか歌うんだ…
近所のお兄ちゃん的側面が垣間見れたそんな気がして。
やっぱアイドルも人間であって、与えられている人生という時間や本質的なものは同じなのだ、と強く心に響く詞です。

ちなみに、プレイリストにあげた動画は、2020年3月末~5月末にかけてアリーナツアーが行われる予定だったライブですが、新型コロナウイルスの影響で、無観客ライブになりました。
つまり、これ目の前に観客居ないんですよ!?観客居ないんですよ!?
なのになぜだか彼らの前にはジャス民(WEST.のファンネーム)がいるように私は見えます。
コロナでWEST. の7人の人生だって、いや明日の生活だってどうなるかなんてわからないのに、ジャス民の平和とかけがえのない日常を願って、「アンジョーヤリーナ」とエールを送ってくれました。
でもそこにはWEST. 自身が彼ら自身を鼓舞するかのような「アンジョーヤリーナ」も混ざっているように感じる瞬間があって。
アイドルとオタクという一生手の届かない存在でありながら、本質は互いに支え合って生きていかなければならない、人間であるのだと気付かせてくれる、そんな作品です。

2曲目: WEST. 「僕らの理由」

すみません、2曲目もWEST. からです。
本曲は、SUPER BEAVERの柳沢さんからの提供曲(2作目)です。

まずは皆さん、とにかく添付したリンクより、映像を見てください。


どうでしたか。
今回は推しポイントをこの映像の重岡大毅、に焦点を当てて、語ります。

私は、ライブ中のとにかくアツくてアツすぎる、WEST.のセンター重岡大毅が大好きです。
人間代表レベルで。
そんな好き重岡がこの動画にはちりばめられています。
一度見た方はお気づきだと思いますが、彼、自分の歌詞パート以外に、
大変よく観客に語りかけています。(歌の中で声を上げていたら大体彼です)

0:15「俺たちマジだからな、マジだからな」
0:45 「(桐山照史: 一生が失敗なわけないだろう、の後に) そうだろう?」
0:57 「みんないくぞ」
1:28 「Hey, everybody. 一緒に歌いたいよ。一緒に歌いたいっていうか、自分たちで歌ってるような感じで。一緒に歌おうぜ
02:15 「よしよしよしよし、よし、いくぞ
02:20 「(一回くらい挫折をしたってさ) なあ? (一生が失敗なわけないだろう) そうだよな?
03:45 「サマソニ、俺たちと一緒に夏、青春しようぜ」

特に、太文字にした重岡さんの言葉から、彼は本当にこの曲の意味を観衆に伝えたいのだなと言うことがひしひしと伝わってきます。

私的には太文字にした3つのワードが全部違う角度からの重岡大毅だと捉えています。

Hey, everybody. 一緒に歌いたいよ。一緒に歌いたいっていうか、自分たちで歌ってるような感じで。一緒に歌おうぜ

1:28〜

この重岡は、WEST.というアイドル、ステージに立つ者として観衆に語りかけているように感じます。
ワードをよく聞くと、アイドルやアーティストのよく言う
「(一緒に) 歌って」ではなく、「一緒に歌いたいよ」と言葉を紡ぐところがなんとも重岡らしさが溢れていますね。
そして「自分たちで歌っているような感じで」「一緒に歌おうぜ
ここはなかなかに重岡イズムでしびれます。
アイドルから「自分たちで歌っているような感じで」なんて言葉聞いたことがありますか?
私は彼以外にはないです。
この言葉からは、彼がこの曲を観衆の心に本当に本当に届けたくて。
そして自分のものにしてほしい、という願いと、
もしかしたら重岡自身もこの曲を自分の応援歌のように大切にしたい(していて)それを観衆に伝えたいのかな、と捉えます。
だから、この曲を共有する仲間として「一緒に歌おうぜ」と言ってくれたのかななんて思います。

よしよしよしよし、よし、いくぞ

曲中にしゃべることが多い重岡ですが、その場合は基本的に観衆の方を向き、語りかけている印象です。(上記の01:28~のように)
しかしここは、重岡が目をつぶって、自身に言い聞かせてるように見えます。
次に歌うパートはこの曲における、最も伝えたい重要な部分です。
重岡はこのパートが本当に大好きで、この言葉をより多くの人に心の底から伝えたいのだということがひしひしと伝わってきます。

この言葉を発した次は、重岡のソロパートで、楽器・メロディーの音もほとんどなくなり、

(一回くらい挫折をしたってさ) なあ? (一生が失敗なわけないだろう) そうだよな?

と歌詞を繋げます。

一回くらい挫折をしたってさ 」「一生が失敗なわけないだろう」と歌った後の「なあ」と「そうだよな?」って歌詞にないんです。
重岡のアドリブなんです。
いつからか、重岡が必ずこのパートでこの2つのワードを挟むようになりました。

アイドルとして、また人間として生きる上において、きっと重岡は、楽しいことも挫折も苦しいことも乗り越えてきたと思います。
それはまた、観衆の人々もきっと同じで。

そういった人間臭い部分を共有し合うことが良い意味でアイドルらしくないけれど、人間らしくて、「あぁこう感じることが生きている」っていうことであるのかなと、聞くたびにハッとさせられます。

4曲目: Aぇ! group 「ボクブルース」

はじめにAぇ! groupとは旧J事務所、現STARTO ENTERTAINMENT から今年5月にデビューした関西出身の5人組です。

彼らはデビュー前の2019年からグループを組んでおり(当時は6人)、本楽曲はその年に行った関西凱旋ツアーで初披露された曲です。
しかも作詞はリーダーの小島健(共に乗り越えていこう〜のパートの彼)、作曲はグループ最年少で音大卒の佐野晶哉(不格好でもいいさ〜のパートの彼)です。

彼らの想いが詰まりに詰まった本楽曲、会場で聴いたあの瞬間は今でも忘れられませんし、私はサビに心動かされました。

例え 世界が君を裏切ったとしても
ボクは信じてるんだ 逃げなかった キミの心を
何もできなかった 1人じゃ向き合えなかった
下手っぴなりにキミの為に歌うよ

1番サビ

例え
世界がキミを裏切ったとしても
ボクはここにいるんだ
それがボクの答えさ
ただ伝えたくて不器用なブルース
下手っぴなりに歌うよ
キミの為歌うよ..
ありがとう

2番サビ

1番サビ・2番サビとも
たとえ世界が君を裏切ったとしても」
下手っぴなりに歌うよ 君のため歌うよ
は共通のワードです。

世界が君を裏切る」という言葉、色んなものをひっくるめていると思いますが、粋で大好きです。

違う点は、

ボクは信じてるんだ 逃げなかった キミの心を
何もできなかった 1人じゃ向き合えなかった

1番サビ

ボクはここにいるんだ
それがボクの答えさ
ただ伝えたくて不器用なブルース
下手っぴなりに歌うよ 

ありがとう

2番サビ


よく小島ワールドがある、と言われる、作詞者の小島健ですが、アイドルの卵として小さい頃から活動を続ける中で、自分自身に対しての憤り、応援してくれるファンに恩返しができない辛さなど、様々なことを肌で体験してきたのだと思います。
そんなファンに対して、今日も自分が自分として居れることの感謝を綴っている。
そんな素敵な詩です。
そして1番最後には""ありがとう""とダイレクトに感謝を伝えています。
単刀直入に、ファンへの感謝と、共に歩いて行こうとのメッセージが伝えられています。

なんだか普段生きていると、どうしても自己中心的になったり、周りがどうでも良くなったり、そんな日々があると思います。

実際私だって、この記事の前半部分に書いたようなマインドで居た時には、そのような状態だったと言えるのではないでしょうか。

でも、日々っていうのは当たり前じゃなくて。
周りに自分を支えてくれる人がいることっていうのは当たり前じゃなくて。
自分がしたいことをできるっていう状態も当たり前じゃなくて。
何もかも周りに人がいないとできない、生きていけない、そんな人間の無力さといつも傍に人がいてくれる方の暖かさに気付かされ、1日1日人に生かされてるのだと。

5曲目: 超特急 「fanfare」

超特急はスターダストプロモーション所属の9人組バックボーカル&メインダンサーグループ。
超特急は2012年デビューですが、紆余曲折を経て、グループ10周年となる2022年の8号車の日に新メンバー4人を加えて今の9人体制となりました。

また、グループは、ファンのことを「8号車」と呼んでいます。
そこから8月8日を「8号車の日」と制定。
動画は、2023年の8月8日に、「8号車の日」を記念して行われたイベントのダイジェスト映像です。

今回取り上げた「fanfare」は動画02:26〜あたりから。
(公式から上がっているfanfareの映像がこれしかないの悲しいな....)

悲しいので、Apple musicからあげておきますね‼️

(上から
オリジナル-ボーカル: 1号車コーイチ・7号車タカシ
New Mix-ボーカル: 7号車タカシ
Re-ver. ボーカル: 7号車タカシ・11号車シューヤ)

3バージョンも提示したので、どれか1つは聴いていただけましたでしょうか?笑

まず、メロディから。
なんと言っても高揚感のあるイントロ
タッタッタッという軽いリズムに
タカシくんのoh〜という声。
そしてその後も全体的に常にタッタッタッという音がサビ直前まで入っていますね。
サビ直前にはclapが入り、いよいよだぞ...となり、サビではいろんな音が入り込み、豪華になります。
もうこれだけでまるで胸の高まりを表しているように感じます。
はじめにこの曲を聴いたときの日記には「こんなに文字通り生き生きとしてくるような、やってやるぞというエネルギーが湧いてくる曲は」と書いていました。

そして歌詞。もうまずは安心安定の渡辺拓也先生なので素晴らしいの一言に尽きますが、

さあファンファーレ鳴らせこの場所で
目を閉じるなんてもったいない

この言葉って、もうまさしく「人生って楽しいんだぜ」を表しているのだと思います。
ラスサビ直前のタカシのパート。
3バージョン、どれにおいてもタカシが歌っています。
グループ結成から、メンバーの(加入(入れ替わり))、脱退、脱退、そして4人加入。
グループの形が何度変わろうと、いつもタカシはグループのために歌い続けてきた。
人生という荒波を何度も乗り超えた彼が歌うこのパート、まだ波風の立たない人生しか生きていない私にとって、「なんだか生きるって面白そう」と思わせてくれました。

すみません、1番最初にあげた8号車の日のfanfareの映像の話に戻ります。
(こちらの8号車の日の映像は2023年のものなので、グループとしては11周年、新メンバー4人が加入してからはちょうど1年の日です。)
是非タカシ・シューヤのハーモニー、ダンサー組のコンサート終盤とは思えないバッキバキイッケイケのダンスを何度も見ていただきたい。

中でも、4:03〜からのユーキ(白インナー、ターコイズ髪のお兄さん)は必見で。
特に、04:10〜 "その手の中"の後に抜かれる、ユーキさん!!
みなさんこれって、

どうにも統制できない、彼ら個人の心の奥底から湧き出る笑顔や雰囲気だ。
そういった徹底された世界の中にも共存する、生身の人間の部分が、
「魂」
だと私は考える。

ではないですか、!?

あ、もうお忘れかもしれませんが、この記事のかなり初めの方で、私がOWVのことを、また、
私が推し続けてきたアイドルの特徴として述べた言葉です...。

ユーキさんってダンスの技術もさることながら、表情管理が"とても"では言い表せないほど上手くて。
でも今回のこの"その手の中"を表現する彼は、なんだか表情管理ではなくて本当に彼の心の奥底から湧き出てくる「魂」ではないでしょうか。
私はじめてこの映像を見た時、こんなにも歌詞と彼自身の感情とを、表情に表すことができる人間がいることに驚いたことを覚えています。

長くなってすみません、最後の

ありふれた日常が奇跡に変わる瞬間を信じて運命の出会いとかたとえば感動の再会も
きっとその手の中

というパート、オリジナルでは文字通り言葉を1つ1つ紡ぐように歌うコーイチ、New Mixでは、コーイチイズムを受け継いでいるように聞こえるタカシ、Re-ver.では本当に奇跡や感動の再会をしたとも言えるタカシ・シューヤの力強い歌声が聴けます、是非聴き比べを!)


6曲目: SUPER★DRAGON 「Popstar」

SUPER★DRAGONも先ほど紹介した超特急と同じスターダストプロモーション所属。
2015年の9人組でデビュー当時は小学5年生から高校2年生で、今年やっと全員が20歳を迎えました。

私は中でもラッパーの松村和哉くんの書くリリックが好きで好きで。

アイドルとして松村和哉と、弱冠20歳の松村和哉が共存しているその葛藤が、小学生の頃から活動してきた彼に描けない世界で、毎度惹き込まれます。

これはPopstarでの彼のラップの一部です。

「お前らしくない」
「私の子供らしく」「大人らしく」
誰も縛れやしないはず
あなたが思う"あなたらしく"

彼はこの曲で、「あなたらしく」いることを私たちに伝えたい、と言っていました
その言葉っていうのはきっと、和哉自身が色んな大人と関わってきて気付いたもの、大事にしてるものなんじゃないかな。

お見せできる映像がなくて恐縮なのですが、彼はPersonaというツアーのファイナルでこの曲を披露した際、喉を潰しガラガラ声でも力強くこのラップを歌い上げ、

本来は以下の通りであるところを

あの子の振り向かせ方
上手な嘘のつき方
馬鹿な夢の見方なんかは
あなただけの脚本の中に
キャストも監替も好き
に決めちまいな

下記の通り、変更して歌っていたのが印象的でした

あの子の振り向かせ方
上手な嘘のつき方
馬鹿な夢の見方なんかは
あなただけの脚本の中に....
お前の人生だぞ

「お前の人生だぞ」

このワードはもう体力全てを振り絞って、メロディーなんかに乗らず、私たちに投げかけるように発していた。

もうこのアレンジで心動かされました
結局のところ、どう生きようと、自分は自分でどんだけ親しい家族、友人であっても他人なわけで。

物事に失敗して泣くのも私、喜ぶのも私。
物事にそもそも挑戦するかしないかを決めるのも私...。

余談ですが、和哉くんのラップ後の池田彪馬さんパートの

140字では示せないね
その storyにフィルターはかけないで

おそらくSNSとしてXとInstagramを示唆している表現がオシャレで好きです。


7曲目: Hey! Say! JUMP ただ前へ

この曲はHey! Say! JUMPの年下組ユニットHey! Say! 7の3人(当時4人)の楽曲です。

YouTubeにショートしかないのが悔やまれる。
まずとにかく歌詞がいいので、下記リンクから読んでいただきたい。

確か私がはじめてこの曲を聴いたのは、某Jタレントのラジオをぼんやりと聴いていた時に、リスナーからのリクエストで流れていたのがきっかけだったかな、

当時私は中学生で、今思えばちっぽけなことを色々悩んでて。
家に帰ってベッドでダラダラしながら、この曲に出会って。

なんかよくわかんないけど、涙が溢れてきて。
でも親が近くにいるのに泣いてるのバレたくなくて、顔の上に布団をかぶりかぶって、こっそり泣いたあの日。
忘れてもいい頃合いなのに、ずっと覚えてる。

人は何の為に生れ落ちて生きてくんだろう?
向かい風の中で 一人ぼっちくちびる噛んだ

今見たら、まさに私が悩んでたことそのものが 
歌詞になっていてさ。

夢って何?って聞かれて すぐ返事できない
自分が嫌い

上記の『「夢って何?』〜」もまさに、惰性で生きてたゆえに何も考えてない私をそのまま表している、と受け取った歌詞。
しかも驚くことにこの歌詞、あの天下の山田涼介のパートなんですよね。
別に誰が歌ったっていいんですが、あんだけテレビにも映画にも引っ張りだこで、完璧そうな山田涼介が歌うことが、何か意味ありげで好きです。

うーん、何度見てもいい歌詞すぎる。

特に今回の引用の中の1番最後、

目の前を塞いでいるのは
壁じゃなくて扉なんだ

ここ。
当時、もうすでに涙が溢れていたのに、この歌詞でさらに涙が大量に溢れてきたことを覚えてる。

あの時の私の悩み(もう詳しくも思い出せないけれど)は、当時の私にとって難しい課題で、
悩んでも悩んでも同じ答えに行き着いて。
でまたそれに悩んで。
スパイラル状態になってて、抜け出せないと思っていた。
でもこの歌詞を聞いた時に
「あ、そうなんだ」って
「絶対乗り越えれるし、きっとみんな通ってきた道なんだろうな」って
そんな風に思って、スッと心が軽くなったことを覚えてる。

今だって、この言葉をとても大切にしているし、これからも大切にしていきたい。

【本当の"最後に"】


ここまでお付き合いくださった皆様本当にありがとうございました。(脅威の13,300字オーバー)

なんと
本編と余談が同じ分量という前代未聞の事態が起きましたが、お許しください。

私が推し続ける理由や、私の生きる根源になっている楽曲たちなど、この記事の1文でも皆さまに届いていれば幸いです。


今日もまた心が震える瞬間を待ち侘びながら生きる。

では。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?