昨日とは違う裏通りを歩いてみる。

【 昨日とは違う裏通りを歩いてみる。】

22、23歳の頃だ。

暇を持て余した僕は、何の当ても無く大都会を徘徊しては、通った事の無い道を選んで、ふらふらと通り抜けていた事を思い出す。

主には新宿、東口からの歌舞伎町だ。あの街は、非常に馴染みが深い。または、高田馬場から早稲田、そして神楽坂にかけて。

あの頃の僕と言えば、SNSなんて何一つ使っておらず、LINEの友だちも100人いるかいないかで、パートナーがいなくなってからは、一日に一回もスマートフォンが鳴らない日々を過ごしていた。

ちょっとした行幸からか、何となく日々を生活する程度には自分で得る所得があり、1限の講義には出席できない事を一回生時に早々に理解をした為、基本的には昼か昼過ぎ、遅ければ夕方頃に大学にふらりと行き、要領よく単位だけ取得するような、そんな生活。

友だちは少なかった。

いや、今にして思えば、いなかったと言っても過言ではないだろう。恥ずかしいから、少ないという言葉でお茶を濁す自分に、まだ羞恥心があるのだなと気付く。

まだ、青い時分だ。

とある機会を境に、法人の設立を決めた僕は ( 正確には、代表取締役になる事を決めた。理由は、響きが格好いいからだ。馬鹿みたいな理由 ) 、少しだけ、いや、これもハッキリと言おう、かなり自分自身を、特別な存在だと思っていた。

なにせ、見渡す限りには同じように大学の卒業と同時に起業をするなんて知己は皆無であり ( 繰り返すが、今にして思えば、あまりにも僕の人的ネットワークが狭かったからであろう。早稲田大学は起業家のメッカであり、最大級のインキュベーション施設を擁する事で知られる。またしても、青く、苦い ) 、この歳で代表取締役を ( それも、自身で創業して ) 務めるなんて、自分は特殊は人間に違いないと、立派に、とても立派に。

思い込んでいた。

頭の中に勝手に思い浮かべていた起業家の像 ( 起業家とは、こうあるべきだという妄想だ ) をなぞり、僕は日々、読書をした。それよりも早寝早起きを身に付けるべきだったのだが、今も思うが、もはや今世では無理なようだ。僕には向いてない。

今にして思えば、あの時に詰め込んだMBAの知識など、何ら何一つ使えてやいないのだが ( カエサルの第四列戦略など、言葉だけはどうにか覚えている。それはどのような戦略か?と問われても、1文字も説明が出来ないが ) 、当時の僕は、それもまた特別な自分だからこそ、今から学ぶべきだと、勘違いをしていたのだった。

この時期は、本当によく読書をした。

僕は、他人の話し声など持っての他で、室内のBGMでさえ集中力を阻害する特性を持ち合わせている為、よく、図書館に通った。

一番よく行ったのは、確かは、西新宿の角筈図書館だったと思う。あそこには冷水機が備えられており、水分補給をタダで出来る事を、僕は非常に嬉しく思っていた。

何か、新しい事を知る事に、喜びを覚えた。

いや、これも正確に言えば、恐らくは優越感だ。

人が知らない事を知りたがった。

人が知らない世界を覗きたがった。

その性質は今もなおあると思っていて、あまり公けには書かない方がいい世界線にも、個人的には面白いと思える事が多い。一つ例を挙げるのであれば、ドキュメンタリーやルポルタージュ。世界は広いのだ。

長くなった。いい加減飽きているだろう。

昨日とは違う裏通りを歩いてみる。

もちろん、裏じゃなくてもいい。隣り道でも、地下道で、何でもいい。

大切な事は、昨日とは違う道である事だ。

そこには、知性の拡張があり、宇宙の真理に、一歩だけ近付く道でもある。

そして、ルーティンで過ごせば過ごす程に、人生の体感速度は短くなる。

それは、決して悪い事ではない。職人や専門職の世界など、一筋に道を追う事も、尊いと感じるからだ。求道と呼ぶべきか。

しかし、何かを変えたいと思うのであれば、道を変える事はおすすめだ。理由は、簡単だから。

あの頃の僕は、10年後の自分が、こんな事をインターネットの片隅で吐露をするようになるなんて、想像も出来なかっただろう。SNSさえ、やっていなかったのだから。

未来の事は、分からない。

だがしかし、道は選べるようだ。

だから今日も僕は、昨日とは違う裏通りを歩いてみる。

今日は、珍しいテイストの、エッセイ回でした。おしまい。

読了、ありがとうございました。

余談 … どこを見ているのかと問われれば、未来と答えるしかないだろう👁👁

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