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四季を剥がす

               
 骨拾いに間に合わなくて、仕方なく送りのバスで戻ってきたあと、誰かのスピーチを聞いているところで目が覚めた。
 カーテンがちゃんと閉まっていなかったんだろう。壁に漏れるか弱い光が暗さのせいで眩しい。遠くで雷鳴が聴こえた。
 誰の葬儀かも知らないくせに、骨を拾えなかった申し訳なさと虚無感だけは残った胸に、雷の音は久しぶりに怖かった。生き物としての恐怖。
 そのうちに、また何度か夢を見た。
 終わった夢が夢だったのかどうかなんて、脳がいちいち審議にかけていて眠れやしない。

 目を開けた記憶がないんだけれど、いつの間にか握ったカーテンを下から見上げていた。条件反射で腕を引く。窓。まだ覚束ない薄ら明けの真ん中に、ぽつんと下弦の月がいた。結合の緩かった胸の底が、それで少し安定した。
 どこかの夢の中で、おゆうぎ会の魔女が泣いていた、気がする。
 窓の外から聞こえるおはようを交わす声。どこか他人事のように始まっている日常が心地いい。自分には直接及ばない感覚で知る、朝。胸の水面にはなんの干渉もなく、時間が地面の少し上を低空飛行で流れていく。

  *

 ‪ライラックが綺麗ないつものおうちに行ったら、ほとんど枯れて無くなっていて、変わらずそこにあるだろうと思っていた自分がすごく間抜けに思えた。
 ‪家先に提灯が出ている。お祭りがあるのかな。もうそんな季節か‬。
 ‪季節をなぞる人の動きを、さらになぞってばかりいる。人と関わり積み重ねることで流れていく時間から、手がほどけかけている。
 もう、夏か。春は、ちゃんと春だったかな。桜を握りつぶした小さな手。自分もそのぐらいしとけばよかったかな。‬
 川に行った。背負《しょ》われた赤子とすれ違う。ふと投げ入れてみようかと思った。砂場の山にその辺で見つけた枝を挿してみたりするのと同じような、ただの自然な思いつき。それ以上でも以下でもない、ただの自然な思いつき。

  *

 窓を打つ雨の音に沈んでいる。ベッドに横になって目を瞑っていると、冷感が売りの化学繊維からするはずのない井草の香りがした。
 散歩に行けないから、精神が安定しない。だから雨が続くこの頃は、雨の音を聞いて寝ているしかない。冬に眠るのは冬眠だけれど、梅雨時に眠るのは果たして生き物として正しいんだろうか。よくわからないけれど、晴れの日がそれほど待ち遠しくはないのは確かだ。

  *

 酷暑の日差しを間に受けてようやく、ああもとに戻れたと安心した。クーラーの下で、巡らせた考えで人に心を砕いて過ごすのは、ただ消えていってしまうんだよな。
 一番自然な状態で生きているというのはきっと、自殺しながら生きているのと同じで。生きている身体をちゃんと使って、二槽式洗濯機みたいに壊れていく。
 雑草の合間に湧く野花を見て、前の街にもあったな、と思った。もう歩くことがないその場所と繋がれたのが、少しうれしかった。
 
  *

 予想外に冷たい風の中を歩く。住宅街を曲がってすぐの玄関先に人が集まっていた。家を背に立つ三人は、みんな黒い服。そのまま視線を進めた先に人影が見えたと思ったら、塀越しにのっぽのあじさいが頭を振っていた。季節外れに瑞々しい。脳裏に、顔の縁《へり》から青紫の花弁が繁るひとが浮かんだ。
 空き地を通り過ぎる。虫がかわいらしく鳴き交わしていた。草むらの四方から火を放ったら、このりんりんの音は少しは断末魔のようになるんだろうか。それとも変わらず愛らしい声で鳴くんだろうか。命の危機で遊ぶあの幼稚さを思い出して、唾棄した。
 スーパーの野菜コーナーでズッキーニに会った。そういえば最近見なかった。いつのまにか消えていって、消えたことすら気付かないものは、きっと他にもあるんだろう。

  *

 靴の下で雪が小さく悲鳴を上げる。景色を切り取る退屈さを感じながら歩いていたら、ふと目が出口を見つけた。
 凍空に、民家の二階の窓が開いていた。レースカーテンがふわりと部屋からふくらむ。
 季節に身体をぐちゃぐちゃにしてほしい。鼻から下を、凶暴な力でもぎ取ってほしい。
 昨日見た橋の色をよく覚えていない。この頃ゆで卵をよく作る。次に待つべき十数分。たぶんわたしは、もうあまり生きてはいたくない。
 最後に雷鳴を聴いたのは、いつだったか。

 最近あまり喋っていない。人の中にいる自分とも、自分の中にいる自分とも。
 人は誰でも自分だけの感覚を持っている。そしてそれを、他人に届く言葉に変える力も。それがより感覚を固有にするから、皮肉な話だけど、人の中にいることをやめたらきっとその感覚や言葉も死ぬんだろうな。
 誰にも届かなくたっていいのに、届く周波数で歌い続けるしかない。途方もない正気の日常で剥がした——四季を。

(追伸。それでも、耳にした音で笑顔になってくれたのは、とても)


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