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孤独になるための衛星電話


 ジャングルの中で男がバレーボールに話しかけている。たしかそういうシーンだった。

 ソファの片端で、父親がリモコンを握ったままいびきをかいている。テーブルの向こうのテレビではつけっぱなしのWOWOWが流れてた。鬱蒼とした木々をバックに、伸び切った髭と白Tシャツの、分かりやすいぐらい漂流しましたスタイルで男がなんか頑張ってた。

 焚き火の向かい側に、マジックで顔が描かれた小汚いバレーボールが置かれていた。男がそれに話しかける。声音を変えて、今度はバレーボールに喋らせる。また自分が喋る。そうやってお話していた。

 話が進む。ある日、突然男がキレた。俺はバレーボールと話して一生終える気なんかない。絶対に生きてここから出てやる。結構ヤバいなこいつ、と思ったのを憶えている。そのあとどうなったかは、知らない。

 たしかそれが中学生ぐらいのことだったと思う。それからの、最近じゃありふれたものにされつつある息がしづらい人生の中で、誰とも会わない場所に行きたいと思ったことは一度や二度じゃない。無人島は、結構待望の孤独だった。ひとつだけ持っていくならナイフかな。
 伝わりにくい言葉に疲弊したり、あったかさの喜びに疲弊したり。あとは記憶で幸せになれるだけ頑張ったから、もういいや。疲れた。そう思いながら社会人になって、忘れた。

 まともな週6勤務から脱輪したら、凍結していた感覚が動き出した。
 今度は二度と手放さないように、それを声と言葉で表出しはじめた。

 この感覚は自分の心がからっぽで少し寒くないと働かないんだけど、変なことに、あれだけ背を向けたかった「みんな」と関わっているときが一番冴えた。反対に、人のいる場所から遠去かると感覚も沈んだ。

 たぶん、脳と体が鏡の関係であるみたいに、人と人もまた鏡なんだと思う。みんなに自分が映るから、孤独で、少し寒いままでいられる。ただの一人はただの「無」だ。あの男も「無」が怖くてバレーボールにキレたのかもしれないな、と最近は思う。単に腹減ってただけかもしれないけど。

 待望だったはずの孤独と、表出を続けるためのからっぽの心は、海の果てじゃなく人の中にあった。はぁ。

 もしも無人島にひとつだけ持っていくとしたら、今なら衛星電話がいい。焚き火でも見ながら土に文字を書いて、ときどき人と電話して、困ったら助けに来てもらおうと思う。



#フリーロードエッセイ
2021/Jan №2
お題「ひとつだけ無人島に持っていくとしたら」


🔎 #フリーロードエッセイ とは?

作家・野田莉南さん(@nodarinan)主催の企画エッセイ。毎週土曜日21:00にTwitter上で発表されるお題をもとに、指定の文字数内でさまざまな作家さんが執筆します。

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