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からっぽのビーカー


 レースカーテンを見ながら野暮だな、と思った。
 朝の薄闇の中、窓の向こうで空が明けはじめてる。光の段差に、雲の輪郭に、空気の層に、鴇色、秘色、瓶覗。まざって、のびて、変わっていく色が全部見えてるのに、レースカーテンのせいでどうもうまく受け取れない。邪魔だ。景色に蓋をされてるような閉塞感。気に食わなくて窓を離れた。
 どうせ受け取れても、ただ身体を通り過ぎていくだけなんだけれど。
 部屋の壁を伝うやる気のない朝日を目で辿る。壁。カレンダー。台所。カウンター。その上に放置してるビーカーを通過して、瓶の底から影を伸ばしてた。
 藍白。
 影が、影なのに藍白だった。
 限りなく透明な、白い青碧色。その光が影の中にのびて、まざって、震えるように微かな速度で動いてる。
 目盛りを刻むガラス。
 蓋の無い器。
 本当のからっぽだ、と思った。
 蓋のある器と最初から蓋が存在しない器とでは、同じく中身が無い状態でも、意味が少し違う気がする。
 蓋を閉めて外枠が線で繋がったら、それは何も入っていない事を示すひとつの記号になる。本来何かが入るべき場所に、何も入っていない空虚。閉ざした時点で生まれる独立した空間は、閉塞も生む。レースカーテンみたいに。
 蓋無しは、吹きさらし。入って出ていくものを、ただ見送るだけ。中に何かが入っていようと無かろうと、そこにはなんの執着も生じない。だから多分こっちがまっさらの、本当のからっぽだ。台所のシンクに置かれた使いっぱなしのガラスのコップや、何のためにあるのか思い出せないビーカーみたいに。
 自分はどうだろうか。
 たぶん、やっぱり、蓋なんて大層なものはついてないんだろう。
 ——いや。
 窓からの光が一瞬翳った。影が溶けて、また浮かび上がる。
 蓋付きのからっぽは耐えられなかった。だから壊したんだ。
 またぼんやりと、朝日を辿る。
 藍白の影を作る、からっぽのビーカー。それはまるで自分のことみたいに思えた。


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