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白ではない雪とか、そういう類


 たとえば、雪は白ですと言われてもどうもピンとこない。雪は雪の色をしていて、ぜんぜん白みたいに均一じゃないから、たぶん自分にとっての「好きな色」ってそういう類なんだと思う。

 目の前に24色ぐらいの色えんぴつを並べられて「はい、この中から好きな色を選びましょう」と言われたら、比較的迷わないでいくつかの色は選べると思う。
 たぶん、紺と白を選ぶ。普段着てる服とか持ってる小物もだいたいそんな感じで、でもそれは自分にとってしっくりきたり違和感なく落ち着いたりする色ではあるんだけれど、心から湧き上がるぽかりとからっぽの言葉で「好き」と言える色かというと、またちょっと違うんだよな。

 朝日が起き出す前の、藍とも碧ともつかない空。そこに東雲の薄紅が混じり出す。だんだんそれが橙になって、まぁそっからあとはあんまり好きじゃないんだけど。朝日が雲から顔を出すときの号令みたいな潔さはちょっと苦手だ。

 雪は、紫でもあるし、水色や青でもあるし、光が反射したらそれこそ水晶みたいに目まぐるしい。遠くの山にかかる驟雪は虹色で、夕暮れどきの虹色よりだいぶ彩度が落ちるけど、ほどけそうなくらいにやわらかい。

 それから、雨の夜にマンホールが映す青信号。夏の昼下がりの「止まれ」。学童路を埋めるイチョウ。ガラスが暴れる果物屋さんの古い木戸。

 ただそこにポンと黄色や茶色なんかを置かれただけじゃ絶対に表せない、色の中に空気や光や時間が染みついたようなそういう色が、なんか無性に好きだ。

 ただ、そういうのを切り取りたくてスマホのカメラを向けてみても、全然見たままの色で映らなくてむきーってなることが結構ある。景色って網膜じゃなくて脳で見てるからそりゃそうなんだけど、たびたび見舞われるそのむきーっのおかげで誰に習ったわけでもなくレタッチの技術は無駄に上がった。

 でもときどき、レタッチなしでその色や空気をちゃんと切り取れることがあって、そういう時は本当にうれしい。たぶん脳で補正をかけないでそのままの景色を受け取れたときで、ちゃんと自分がからっぽになれたこと、誰かもきっと同じ景色を見ていること、本当にうれしい。そういう瞬間は、これからも持ち続けていたい。

 ちなみに。

 もしも目の前に24色ぐらい並べられたのが色えんぴつじゃなくて靴下だったら、それは迷わず赤を選ぶ。
 なんかあったかそうだから。



レタッチなしで切り取れた色たち

#フリーロードエッセイ
2021/Jan №4
お題「好きな色」

🔎#フリーロードエッセイ とは?

作家・野田莉南さん(@nodarinan)主催の企画エッセイ。毎週土曜日21:00にTwitter上で発表されるお題をもとに、指定の文字数内でさまざまな作家さんが執筆します。

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