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大阪放送劇団『神の子供達はみな遊ぶ』観劇の感想。

久々の舞台観劇。

5月28日~29日に行われた大阪放送劇団による『神の子供達はみな遊ぶ』の舞台上演を現地へ観劇しに行きました!
舞台の観劇は10年ぶり。
地方の劇団さんの公演を拝見するのは初。
近年患った面倒な病もあり演劇やライブイベントなど長時間に及ぶ興行は我慢せざるをえない状況が長く続いていたなか、ここ数ヶ月はなんとか持ち直していたので今がチャンスと思いチケットを予約。
今月2度めの大阪へ向かいました。(急に動きすぎなオタク)
ヒデキ観劇。

『神の子供達はみな遊ぶ』

脚本は札幌を拠点とする弦巻楽団を主宰する弦巻啓太さん。
最初タイトルだけ見て村上春樹の『神の子どもたちはみな踊る』と勘違いしてシリアスめのお話か……?と思ったのですがそちらとは関係なく、コミカル寄りな内容だったので観劇ど素人の自分でもとっつきやすい舞台だったなと思います。
内容もくすっと笑える小ネタが多く、でもそれだけではなくて少し考えるとこの部分怖くないか……?みたいなブラックな一面もあって(バスの件とか、リーダーの状況を想像すると薄ら寒くなる)他の脚本作品も拝見したいと思える作品でした。
スガイボウルとかグリーンランド(これは国のほうかもしれないけど)とか、北海道ローカルネタ?っぽいのも随所に組み込まれているのもなんだか良かったです。
同名作品については2020年にも関東で別の劇団さんによって上演されていたようです。

【あらすじ】
かつて日本中に大ブームを巻き起こした超能力アイドル「サイキックファイブ」。
小学生ながら歌って踊って超能力が使える彼らは子供たちの憧れだった。
15年後、解散し、世間の目を避けて生活している元サイキックファイブメンバー、鳥村あずきの元に、雑誌記者・石原が取材にやってくる。彼女はサイキックファイブ解散の謎を、異様な執念で追っていた。
待ち合わせの喫茶店で対面した二人の会話は、徐々におかしな方向に広がり、取材を妨害しようと次々に現れる元メンバーたちを交え、白熱した論争になっていく。
二転三転する議論、飛び交う超能力。サイキックファイブはなぜ解散したのか。
石原の目的は。超能力は実在するのか。

本編とキャラクター(演者さん)についての感想(内容ネタバレ有り)

10年ぶりの観劇なんてほぼ初見と同じようなものなのですが、新鮮な驚きが多かったです。
今回舞台全体を視界に入れておきたかったのと台詞がない時の人物の動きも見たいのと、わたくしのトンチキな頭の色が背後の方の視界の妨げになってはならないと思い後方の席を選択しましたが、後ろの方まで台詞がはっきり聞こえるし、人物の表情の変化もちゃんと見ることができたのでどの席からも楽しめたと思います。
特に発声はほんとに驚きました。
ささぶちは2年くらい前に聴力が少し落ちてしまったので正直マイクを通さない声を聞き取れるか不安な部分がありましたが、そんな心配は一切要りませんでした。
役者さんとしては基本なのかもしれないけど、離れていてもはっきり台詞が聞き取れるのは感動でした。これがプロの役者さん……!!

以下、それぞれのキャラと演者さんに対する簡単な感想を本編の内容交えて書き連ねます。ネタバレ有りです。

鳥村あずき(あずき)/中尾春水さん

観劇を決めるに当たり、演者さんのSNSや劇団さんのインスタ・ブログなどをざっと拝見していました。
中尾さんは素敵なお名前だなーと思って個人的にも印象に残っている方でした。
サイキックファイブ当時はおじさんキラーといわれていたあずき。
石原に面影があると言わしめた、ころころ変わる表情とどこか可愛げのある仕草は大人の今でも年上に可愛がられるのでは?と思わせるような雰囲気を纏っていました。
当時はクラスメイトの歯の矯正器具を羨ましがって自分に移動させちゃうような子だったんだもんな……(ここわろた)。
あずきはコミカルとシリアスが絶妙なバランスで組み合わさった感情の上下が忙しいキャラで、立ち位置的にセリフ量も多かったと思いますが、そこもパワフルに演じられていてかっこいいなあと思いました。
中尾さんのお声が一番耳に入ってきやすかったかも。

中尾さんTwitter

日之出裕道(ヒロポン)/加田智志さん

出演される役者さんの中で唯一知っている加田さん。
舞台役者として舞台に立つ姿を拝見するのは初だったので楽しみにしておりました。
サイキックファイブではクールでワイルドなナイスガイといわれていたヒロポン(それにしても凄いあだ名だ)(そっちじゃない)。
多分、当時のヒロポンファンは『56すぞって言ってー!』っていう黄色い声を上げていたに違いない(そうだろうか)。
興味本位で近づく外部の人間に対する拒絶感は持ちつつも、メンバーとは密に交流しているところが人間味があって良かったです。ボウリング場のキャンセル料に嘆くところと、アルフィーと過去の白状をするところが好き。
後述するミーヤにテレキネシスの標的にされまくる体を張った役どころ。舞台を右に左にと1公演であれだけ吹っ飛んでたら膝も痛めますね!
でもその体を張った演技のお陰でミーヤや石原の能力が可視化されていてより見ている側に分かりやすい表現になっていたと思います。

加田さんtwitter

宮永百合子(ミーヤ)/中村惠美子さん

\おかわり!じゃんじゃんじゃーん持ってきて!/
登場時のインパクトから言動から何もかもが好きなキャラ。
石原も当時憧れていたサイキックファイブのミーヤ。
小さくて可愛いサイコメトラー、だったはずの当時とは結びつかないビジュアルに変貌を遂げた彼女に一時はショックを受ける石原。
超能力がなければただの胃下垂!餃子を20人前食べられるだけのただの人!([ただの人 検索])
サイキックファイブのなかでもだいぶネタキャラ寄りだったかと思いますが、承認欲求と過去の栄光に取り憑かれたちょっと気の毒な一面や、他のキャラとは違ってグイグイと石原に協力的な姿勢を見せメンバーと対立するところなど、印象に残る箇所を挙げたらキリがないインパクト。
めちゃくちゃ疲れそうなキャラクターを中村さんが演じてこそあの憎めないミーヤになっていたんだろうなあと思わせるような、力強くコミカルな演技がとても良かったです。

中村さんTwitter

坂崎兼ニ(アルフィー)/火村興匡さん&西村慶次朗さん

アルフィー坂崎……(つい頭に浮かぶあの方)。
ダブルキャストのアルフィー。
28日夜と29日昼の公演に行ったので幸運にもおふたりそれぞれのアルフィーを見ることができました。
序盤では喫茶店のマスターとして、サイキックファイブのメンバーということは明かされず登場。
オーダーを取りに来るときも、ヒロポンが倒れたときもマスターとして何ら目立った行動はなかった彼が、中盤石原からのイカサマ呼ばわりで『ついカッとなって』石原の気を失わせる。
そこから当時の千里眼のアルフィー本領発揮。
メンバーの中では一番落ち着いた性格に見えたものの、千里眼の時の振り切ったキレのある動き。
それとヒロポンとの『ご期待に添えずに、申し訳ありません(深々)』『またのご来店をお待ちしております(深々)』のあたりが特にお気に入りです。
火村さんも西村さんも、外見や声のトーンが違う役者さんだからこそそれぞれの場面でそれぞれのアルフィーとして見ることができて、どちらも見ていて楽しかったです。

火村さんTwitter

石原美紀(ガリレオ編集部員)/白樫由紀子さん

登場人物で一番ぶっ飛んでるの石原だったよな……と思っています。
最初は自分が子供時代に憧れてやまなかったアイドル、サイキックファイブのメンバーを若干度を越して粘着質に追いかける記者っていう印象だったのですが、あずき以外のメンバーと邂逅してから徐々に長年抱えてきた本音が見えてくる。
それがちょっと常軌を逸していてなんだか怖い。
ゴールドのヒョウ柄Tバックなんて可愛いもんだったんだ……(それはそれで)。
解散したアイドルを20年追い続けているのもだいぶ熱心(オブラート)だなとは思いましたが、好きが高じて?なのかメンバーに対する疑念を己の過去と結びつけて憎しみや悲しみとしてぶつけ始めるところがなかなかにどす黒いのです。
自分が開花できなかった超能力という才能を否定することで自分が正しいのだと言い聞かせているかのようなイカサマ呼ばわりからの畳み掛け。
終盤のメンバーに対する問い詰めから自身に超能力が開花するところあたりがいい意味で本当にゾワっとしました。
長い間どんなに求めても手に入らなかったものが不意に手中に収まった高揚感があの狂気じみた笑いに現れていたような気がします。
メンバーはおめでとう、っていってたけどこの人本当の意味で救われることってあるのかな……と謎の深読みをしてしまうくらい、白樫さんの演技に引き込まれました。
それでもサイキック銀河は一緒に歌ってもらえないオチ。(好き)

白樫さんTwitter

舞台は生モノ。

よく聞く言葉ですがこれは本当にそうですね。
同じ演目、同じ内容でも生身の人間がその場で演じる限り、完全に同じ公演というものは二度と無いわけで。
観劇趣味の方が全公演追いかけるのを今まで『まあオタクはコンプしたい生き物だもんね~』くらいにしか思ってませんでしたがなるほど理解、といった感じでした。

さっさと健康を取り戻してもっとアグレッシブに観劇を楽しみたいなあと思います。
公演から一週間経ってからこれを書いてますがまだ全然脳内再生できる……役者さんて凄いね。
本の上の人物に命が吹き込まれて、目の前で喋って動く。ただ文字を読むよりもよりリアルで、映像より間近に息遣いを感じながらその話を体験できると考えると没入感が段違い。
加田さんが上演中は夢みたいなもの、というニュアンスのことを仰っていましたが根本の意味こそ違えど見てる側もそうかもしれないです。

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