この世界に生きるということ
8月13日から1週間、フィリピンのスラム街を調査した。
1人海外、1人調査。自分の力でしかどうしようもできない状況。
たくさんの人の力を借りながら、自分と向き合い、相手と向き合い続けた1週間。フィリピン人の優しさにたくさん触れることができた。心が揺さぶられる体験もした。
日本に住む人に知ってほしくて、ただの大学生の私が感じたことを知ってほしくて、この記事を書く。
「スラム街」
スラム街に行ってきます!って言うと、みんな、
気を付けてね、危険だから1人では行かないでね、って言う。
その心配はとても正しいことだと思うけど、同時にとても不安を煽る。
弾丸で行くことを決めた私は、その決断を渡航前から後悔した。
危険、女性1人で歩くな、やめといたがいい、ってたくさん言われたから。
なんで1人で行くって決めちゃったんだろう、誰かと何かのツアーで来ればよかったんじゃないか、現地に知り合いを作ってから飛行機を予約すべきだった。
たくさん後悔しても、時間は無慈悲に迫ってくる。
今となっては、とても簡単に乗り越えられる試練だったな、と思う
何をもって、スラム街?
スラム街の定義って、何だろう。
フィリピンの街並みを見ていると、どんな家が中間層で、どんな家が貧困層なのか、本当にわからなくなる。
スラム街って定義されている場所、スラム街として知られている場所じゃなくても、たくさんの人が高架の下で寝ていたり、駅のホームで座っていたり、モールの前で裸足で遊んでいたり。
スラム街だけが貧困なんじゃない、と体感した瞬間だった。
現地でインタビュー
いろんな人がいた。
1人で暮らしている人、家族がたくさんいて生活が苦しい人、親の片方が働くことができずに子育てと職を両立している人、仕事を探しても探しても見つからない人、、
仕事がないっていうのは、本人の努力不足なんかじゃなくて。顧客がいるときだけ働けて、顧客がいなかったら働けない。こんな当たり前のことだけど、彼らにとってはそれがとても苦しい。
上の写真の家族は、6人子どもがいる8人家族。お父さんは呼ばれた時だけ働きに行く非正規の建設の仕事をしていて、お母さんはお客さんがいる時に洗濯の仕事をしている。
収入は不安定で、仕事があればかろうじて1日分の食事を食べることができるけれど、仕事がなかったらごはんも買うことができない。現地のNGOの支援を得ながら生活しているが、家賃を払えずに道路で寝ることもある。
子ども6人のうち5ヶ月の子と2歳の子以外の4人は学校に通っている。だけど、パンデミックの時にオンライン授業に使う端末が1家族1台しか配布されなかった。だから、1番上の子だけが順調に教育を受けていて、あとの3人は学年が2年遅れてしまった。でも上から2番目の女の子は、弁護士になりたい。だからたとえ学校に持っていく昼ごはんやおやつがなくても、学校には休まずに行く。
1番下の5ヶ月の子は喘息を患っている。でも、病院ではなくおうちで生まれて、手数料を払えないから、戸籍がない。この子は病院に行くことが出来ないし、このままだったら保育園にも学校にも行くことが出来ない。
お母さんは、2歳の子と、5ヶ月の子の2人に授乳をしている。だから、彼女は栄養満点のご飯を食べるべきなのに、他の4人の子ども、そして働くお父さんのご飯を優先してしまう。
以前はスカベンジャーというごみを拾って売る仕事をしていたそうだ。子どもと一緒にごみを拾う生活をやめて、子どもの教育中心の生活をおくるようになると、さらに生活が苦しくなった。
まだ34歳の彼女に、あなたの幸せに必要なものは何ですか?と聞いた。
彼女は、子どもが栄養たっぷりのごはんを食べられること、そのためには仕事が必要だ、と言った。
パグパグという文化
パグパグは、Jollibeeやマクドナルドなどのファストフード店の生ごみから出たチキンの残骸を、再分別し、調理して販売されているもの。
日本でもよく見るマクドナルドのMの文字が書かれたごみがたくさん積まれた中、仕分けの仕事をする年配の男性が黙々と手を動かしていた。ガイドさんが写真を撮ってはいけない、と言ったのはこの場所だけ。別のツアーではこの場所を避けたルートが設定されていた。
パグパグを作る作業をする人に対する、触れてはいけない何かがある。妙な違和感。
私をスラム街に連れて行ってくれたガイドさんは、パグパグを普通に食べて、子どもたちのためにと普通に購入していた。
これがどういう風に作られたか、どんな食べ物なのか知っていた私は食べることをためらった。
でもこれを常食として売って食べている人の前で、拒むのはおかしいと思い、1切れ食べた。
フィリピンのアドボという料理の味つけがされていた。でも、人が1度食べた後のものだからかすっぱくて、その酸味は1日中わたしの口に残った。
もし興味があったら、以下の動画を見るとイメージが湧くと思う。
この世界に生きるということ
わたしとあなたとフィリピンの人たち、
みんななにも違わない。
私たちだってフィリピンのスラム街に生まれてパグパグを毎日食べる、おなかが強い子どもだったかもしれない。
家にいて、仕事もなくて、でもたくさんの子どもがいる家庭の親だったかもしれない。
毎日必死でニンニクの皮をむいて、でも500円しかもらえない仕事をするかもしれない。
勉強して大学生活を謳歌しながら将来について悩んでいるかもしれない。
場所と環境が違うだけで、何も変わらない。
でも、スラム街の人たちって、本当に楽しそうに生きている。すごく閉鎖的なコミュニティだからこそ、助け合って生きている。
ガイドさんが、ここには1番苦しんでいる人たちが住んでいる、と教えてくれたスモーキーマウンテンの上。
住人たちと3時間くらい話した。椅子を持ってきてくれて、歓迎してくれた。
インタビューをしている時に、1人の女性が泣き出してしまった。すると、ほかの人たちが、彼女は故郷に家族を置いてきたんだよ、辛いんだよね、私たちは彼女をサポートするんだ、と語っていた。思い出させてしまった私たちを責めるでもなく、彼女の気持ちを理解してあげて、優しく寄り添い見守っていた。
この暖かさこそが、フィリピンの人たちの愛だと感じた。
この記事が、「フィリピンの貧困」というフィルターをかけるものにはなってほしくない。けど、この世界にはこんな人生もあることを知ってほしい。
この世界に生きる、という責任は、この生からも目を背けないことだと思う。
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