宗教をやめた話し


私は宗教家族の元に生まれた、宗教3世。
自分の意思なんて関係なく、生まれてすぐに入会させられた。
それが宗教○世の宿命である。
活動家と呼ばれる人に分類されるくらい、熱心に活動していた私だったが、この度、宗教を脱会した。
今回は私の宗教人生の一部と、脱会に至るまでの経緯を話していこうと思う。

宗教と共にあった人生


私の信仰していた宗教は○価○会という有名な宗教である。
両親は熱心に活動していた為、私も会合に連れられたりした。
会合と呼ばれる集まりは頻回にあり、夜遅いこともしばしば。
両親揃って参加していて、一人っ子だった私を家に置いておくわけにもいかないので、私は強制的に会合に連れられるのだった。
1時間ちょっとおとなしくしているのは退屈だったけれど、小さい時は寝たり、お絵かきしたりして過ごしていた。
選挙活動にも小さいながらにも付き合わされて、一緒に行くと功徳があるからと言われたりした。
車で遠くの地に行ったり、途中コンビニに寄ったりするのは楽しかったのし、私は同行するだけだったので、喜んでついて行った。
さらに私は断れないタイプの人間だったので、誘われるたびに会合等に参加し続け、気づいたら活動家と呼ばれる人に分類されていた。
心から信じて信仰していたというよりは、生まれてから当たり前にあって、生活の一部みたいになっていたし、活動に積極的だと両親も喜ぶので、私も活動していた感じだ。
同士と呼ばれる人たちは皆優しくて、活動するのも楽しいと思えていた。
これに関しては本当に人に恵まれていたと思う。
活動家になると役職というものがつくようになる。
そうして、私にも数々の役職が与えられ、いろんなことを経験した。
役職がつくと、普段の集まり以外にも、会議みたいな物に参加しないといけなかったり、会員の方の家に訪問したりしないといけなくて、時間の拘束も多くなった。
普通なら、時給が発生してもいいレベルのことも無償で行った。
陰で支える人は素晴らしいとか、功徳がもらえるとか…。
先生の為にという言葉もよく耳にした。
また、選挙権を得るようになると、選挙活動をしなくてはならない。
子供の頃のようについていくだけ〜ではなく、実際に友人や知人に投票の依頼をする。
リーフレットを持って、家に訪問したり、電話をしたりしてお願いをする。
選挙の期間は、週末はみんなで車で乗り合わせて、投票依頼に行くというのがお決まりみたいになっていた。
さらに何人の友人に依頼できたか、みたいなことを報告したりもしなくてはならなかった。
友人が少ない私には大変苦痛でしたね…。
宗教というより、選挙屋ですやんって思うこと多々。
だけど、我々は選挙屋じゃないと声を大にして幹部が言うんだからおかしい。
宗教を信仰していると、他の家庭と違うことも多かった。
まず、当たり前のように生活が宗教中心になること。
神社や、寺なども行ってはいけないと言われた。
どうしても行かないといけない時は(学校行事等)鳥居はくぐってはいけない、お参りしてはいけないと言われていた。
悪いことをすると、御本尊様が見ていて、バチが当たるとか色々言われた。
宗教をしていない生活ってどんなだろう?と考えたこともいっぱいある。
それでも、私はこの宗教とともに一生を過ごして行かないといけないと思っていたので
結婚する相手は、信仰している人か、一緒に信仰してくれる人か、私が信仰することを許してくれる人じゃないと…と思っていた。
宗教のせいにするのは良くないと思うけど、大人になるにつれて恋愛に積極的になれなかった。
実際、宗教が理由で、うまく行かなかった経験もある。
周りの信仰している人たちも、大体は同士の方とかと結婚される方が多い。
幹部の方とかになると紹介が大半だと思う。
そういう結婚って、幸せなんかな…と今でも思っているのはここだけの話。
そんな、宗教人生を歩んでいた私が、なぜ脱会するに至ったのか、話していこうと思う。

新たな出会い。脱会を決意


昨年、恋愛にも億劫だった私だったが、共通の趣味で知り合った方とお付き合いすることになった。
後でややこしいことになりたくなかったので、付き合う前に宗教に入っていることをカミングアウトした。
引かれて、お付き合いもなくなるかと思っていたが、彼は了承してくれた。
彼は宗教のことをよく知らないので、自分がどういう役職で活動しているかなどは特に話さなかった。
強要することは嫌いなので、彼のことを宗教に勧誘するつもりもなかった。
やりたいと思えば一緒にやればいいし〜くらいのスタンスだった。
ちょうどこのタイミングで、新しい役職の依頼が来た。
めちゃくちゃ迷ったけど、断ることができなくて、結局受けることになった。
お付き合いしてる人がいて、ほとんど家にいないかもしれないと話したが、「大丈夫!サポートするし、家にいなくてもLINEとかでもいけるし」と丸め込まれたところもある。
幹部の方は優しい人だったんで、彼氏に勧めるよう強く言われなかったので、そこはありがたかったなと思う。
彼の家に入り浸っていた私だが、会合や宗教関連の何かがあると、用事があるからとその時間だけ、家に帰ったりしていた。
別にカミングアウトしているわけだし、堂々としてればいいのだが、それができずにいた。
隠しているつもりはなかったが、だんだんと疲れてくるようになった。
コロナ禍なので、会合はリモートが多かったので、時折彼の家で参加することもあった。
そんな日々の中で、大切な人と宗教を天秤にかけてみたり、活動する意味を考えてみたり…宗教に対して考える時間が増えた。
そんなある日、幹部の方から電話があった。
その内容の一部を、そばにいた彼に聞こえていたらしく「○○(私の名前)利用されてない?」と言われた。
私が断れないタイプなのをいいことに利用されているのではないかと感じたらしい。
「宗教を本当に信じているの?」
「活動は楽しい?」
「○○(私の名前)が信じているのなら、続けるのは構わないけど、自分にはいいように利用されているようにしか思えない」
とハッキリと言われて、私は何も言い返すことができなかった。
今まで、宗教の話を他人にすることはほとんど皆無だったので、客観的にこう見えたのかとも思った。
自分の中でいろんな感情がグルグルした。
一日考えて、彼にメッセージを送った
そのメッセージの中に私は「辞めたい」と書いた。

いざ決意したものの


私が辞めたいという結論に至った理由
1 私の中で信仰心がなくなっていたから
前にもお話しした通り、元々信仰心があまりない人ですが…。
正直、集まり以外では唱題とか全然してなかったダメ人間です。
熱心にやってた時期もありましたけど。
唱題して人生が変われる、良くなれるんだったらとっくに変わってるはずだし…って思うんですね。
ガチ勢の方からは、1日1時間の唱題、10時間唱題を達成しないとわからないとか言われそうですけど(笑)
2 何のために活動しているのか分からなくなったから
自他共の幸福っていいますけど、役職をもらうにつれて、比重が他の方に多くなってる気がしていて
そもそも自分で精一杯なのに、他人のことまで考えられないし、そもそも信仰の自由と言われる宗教なのに、役職とか肩書きとか、ノルマとか締め切りとか…会社か?ここはって思うことも多く、私は頑張れないと思いました。

他にも色々ありますが、まぁざっくりとこんな感じです。

辞めたいと半ば勢いで言ったものの、やめることができるのだろうか?と不安が募った。
そもそも、どうやって辞める?親からは反対されるのは絶対だし、幹部の方に言ったところで止められるし、説得させられてやめることは不可能。
なんなら、彼までこちらの世界に引き込まれることになるのではないか。
やっぱり、簡単には辞められないよなぁ…。と
それに、信仰の道から外れると、罰が当たるのではないか、ずっと不幸になるかもしれないと、ネガティブな気持ちが私を支配した。
「脱会すると不幸になるんやで。だから脱会したらあかんよ」
「あの人は脱会したから不幸になった」
など、幼少期から散々聞かされてきたので、脱会という道へ行くことは怖かった。
完全に洗脳されてるやん…とわかっていながらも、簡単には気持ちを切り替えられずにいた。
脱会した後の未来を想像して見ても、恐怖しかなかった。
脱会した人のことを退転者と呼んだりするんですが、退転者は二度と幸せになれないとか、そういう刷り込みがされるんですよ。
ほんと、あれよくない。
私が、なかなか行動に移さないので、彼から「いつ脱会するの?するなら早い方がいい」と言われる。
分かってはいるが、一歩が踏み出せずにいた。
脱会するにあたり、方法等調べてはいたが、彼も色々調べてくれていて、文章も用意してくれていた。

いよいよ行動へ


不安と恐怖に心を支配されながら過ごす日々は、辛かった。
えーい!もうどうにでもなれ!と、いよいよ行動へ起こすことを決意した。
まずは連絡手段を断つ。
関係のある方の電話は全て着信拒否。
LINEも全てブロックした。
仲良くしていた方もいたけれど、もう誰とも関わらないことに決めた。
こうしてみると、結構色んな方と関わっていたんだなぁと思った。
次に脱会届け。
特に脱会届けの用紙や、決まった様式などはないので、彼が用意してくれた文章をコピー紙に書いて、本部へ内容証明で送りつけた。
そこから、所属している場所に伝われるまでは日数が要されるので、まだ不安などは消えない。
自分が所属しているところに送った方が早いのは明確だが、先ほども伝えた通り、止められる可能性が高いのでやめた。
ちなみに、文章の内容ですが、ざっくり書くと、辞めるので個人情報は抹消してください。そして、もう誰とも話すつもりはないので訪問してこないで。みたいなことを書きました。
ちなみに送った時点で、父にもまだ話していなかった私。
内容証明なので、届いたら、相手(本部)から受け取りましたという返事が届くのですが、こちらからカミングアウトするまでもなく、それでバレました(笑)
父から、○価○会からなにか届いてるけどどうした?と言われて
既読無視してたら職場に突撃されて
一言「辞めたんか?」と言われました。
あの時の寂しそうな顔は一生忘れられないと思います。
辞めたらあかん、もう一度ちゃんと話さないといけないと言われたけれど、自分の人生やし好きにしてもいいとも言われました。
勘当されたり、縁を切られる覚悟もしていたので、とりあえず受け止めてくれたようで、一安心。
そのあとメッセージでやり取りをして、縁を切ることはないし、これからもよろしくと言われて、本当にいい父の元に生まれたなぁとしみじみ。
しかし、これで平和に終わったわけではありません。
なぜなら、まだ所属しているところには伝達されていないから。
父が何か言われるのでは?とか
連絡手段を絶っているので、私の職場に突撃されないだろうか?などなど
色々考えると不安と恐怖しかないわけですよ。
それでも、これは私が決めた道なので
何か起こっても仕方ないと思うようにしました。
彼が何かあったら護ると言ってくれたことも心強かったです。

その後


さて、その後私がどうなったのか
その後の出来事と、現状をお話ししていきます。
おそらく、所属しているところへ情報が流れたであろう頃に、一度私の携帯に知らない番号から電話がかかってきました。
宅配便の電話の可能性もあったので、出ました。
こちらから声を発したら負けなので、相手が話すのを待ちました。
聞き覚えのある声でした。
そう、幹部の方からの電話でした。
その方の携帯番号は登録してなかったので、着信拒否もしていませんでした。
相手は私が電話番号を教えていなくても、役職をもらう際に履歴書みたいなものを出すので、電話番号を入手することは容易です。
何か話した方がいいのか?と一瞬思ったものの、話すこともないのですぐに電話を切りました。
無言を貫いていた為、相手も「もしもし」としか発していません。
なので、どういう内容の電話だったかはわかりませんが
おそらく、なんで辞めるのかの問い詰めと説得の電話じゃないかなと思います。
また電話がかかってくるかもしれないので、すぐに着信拒否しました。
それから数日後、実家に帰ったときに
父が幹部の方と電話していました。
喫茶店で話をしようって感じの話をされていたので、きっと私のことを話すんだなと察しました。
後日、喫茶店で何を話したのか聞きましたが、別に〜って感じでした。
また、何か言われてないかも確認しましたが、特に何もとのこと。
これは、私の為に言わないようにしている可能性が高いですが、現状は嫌がらせとかはされてなさそうです。
私の方ですが、それ以来は特に何も起きていません。
職場に突撃されたりも起こっていません。
まだ100%大丈夫とは言い切れないですが、ほぼ大丈夫と思っていいかなと思っています。
あと、脱会したらバチが当たるのではないか等怯えていた私ですが
今のところ何も起こっていませんし、むしろ宗教に縛られることがなくなり、自由になったので、信仰していたころよりも比べ物にならないくらいに幸せです。
なので、脱会することで悪い事が起こるとか不安に思われてる方、全然そんなことないですよと、声を大にして言いたいです。
改めて洗脳って怖いなと感じました。
幸せの感じ方は人それぞれだし、信仰することで幸せになれる人もいるでしょうから、否定はしませんが、私には必要ないものだったと思いました。

おわりに

○世で、脱会したいと思っているほとんどの人は、脱会せずに非活という道を選びます。
なぜなら、私が覚悟したように、親との縁を切られたり、関係が拗れる可能性が高いからです。
中には、誰かに嫌がらせされるかもとか
色々考えてしまうのです。
退転者になるわけですし、○世の方はそのような刷り込みをされてる方が多いと思います。
それだったら、わざわざ脱会せず
籍だけ置いて、活動はしない【非活】という道が1番平和なので、それを選ぶわけです。
そんな中、なぜ私は脱会する道を選んだのか。
1番大きな理由は、私が活動家というジャンルで役職を持って活動していたから。
活動している人間が、急に非活になるのは難しい。
徐々に活動しなくなって、フェードアウトしていって…って形が1番非活への道としては望ましいかなって思うのですが
役職があるとそうもいかなかったり。
一応役職がある以上、責任というものが発生するわけで
私の性格上、それらを放棄することが難しかったのです。
ですが、今回の辞めるという選択も、役職を放棄することになるので、悩んだ一つでした。
しかし、一旦活動を休むという選択をしたとして、もう戻りたいと思えないなと。
例えば仕事で病気をして入院することになり、休暇を取ったとする。
規定の休暇日数が終わったら復帰するじゃないですか。
それが私の中で休むということだと思っていて、休んだら休みっぱなしじゃなくて、戻るという前提があって…。
それが凄く嫌だったんです。
逆に辞めるという選択をすると、戻るという選択肢は0にはならないけれど(出戻りとかあるので)、自分の中でしっかり区切りがつけられるなと思ったんです。
それに、私の中でやめるということは、戻らない=先に進むなので。
あとは、私の中の反抗期といいますか(笑)
まぁ、抗いみたいなものですよ。
それに辞めた時や後のことを考えてたら、一生辞められないなと。
それで、何もかも捨てて辞める事にしたわけです。
現状、私は父から勘当されることなく、うまくいったわけですが
そうじゃない世界線もあったかもしれない。
でも、そうなることは覚悟していたし、なったらなったで仕方ないなと思っていました。
ネットには色々なことが書かれています。
例えばストーカーされるとか、悪質な嫌がらせとか。
結局、人間の集まりなわけですから、そのようなことをしてくる人もいるでしょう。
でも、それは一部の話であって、必ずしもそうってわけではないです。
私が所属していた場所でもいろんな人がいました。
幹部の人といえど十人十色
この人苦手だなと思う人もいたし
(高圧的と思える人もいた)
逆にこの人好きだなと思う人もいました。
幹部じゃなくても会員の方も同じです。
ネットの話は話半分くらいがいいと思います。
正直、辞めた今でもまだ何か起こるのではないかと少し怯えています。
何もないといいな〜。
とにかく今は、会合に参加しなくてよくなったこと、他人のことも考えなくてよくなったこと、財務という名の献金をしなくてよくなったこと、宗教について考えなくてよくなったこと
いろんなことが私からなくなって、かなり楽になりました。
もっと早く辞めれたらとか思わなくもないですが、これもタイミングかなと。
昨年、母を亡くしていますが、母が生きていたらもっと難しかったかもしれませんしね。
私は、父が信仰したいと思うなら止めませんし
母の骨がある納骨堂も学会の運営しているものなので、そちらには足を運ぶとは思います。

以上、私が宗教を脱会したお話でした。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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