見出し画像

映像/舞踏公演『妣が国』

前回の舞踏公演『もうひとつの眼/もうひとつの身体』では、今まで体験したことのない緊張感と高揚感とゾクゾク感を味わった。またあの体験をしたい!と次の公演を待ち望んでいたので、『妣が国』の告知詳細に目を通すまでもなく行きます!って歓喜だった。

公演タイトルは民俗学者の折口信夫さんの論説「妣が国へ・常世へ」に由来しているとのことで、折口さんについて調べてみようと思ったけどなんとなくやめておいた。先入観なくみたかった。

全体を通して感じたことは、こちらとあちらの世界、生と死、境目。見えないけれど確実にすぐこそにある、境界の向こう側。そんなことを感じた時、恐怖と安堵が入り混じったような気持ちになった。

それから、時間というものの不確かさ。長い時間が経ったと思っていてもある地点に立つとそれが一瞬に感じられるかもしれないし、瞬間瞬間の尊さを思えば時間なんかで計れない。うまく言えないけど、時間って曖昧なものだなって思った。

最上さんの姿は、ただただ美しかった。思い出すと泣きそうになる。人としての美しさを超えた何かもっと大きな美しさ。

花だとすると、鮮やかに色づいて咲き誇っている瞬間だけを切り取った美しさじゃない。種から成長して蕾になって咲いて枯れてまた種を落とす…みたいなそういう美しさ。

途中、ピアノの曲が流れた。その曲は、クラシックやピアノ曲を聴かない私が唯一好きな曲だったからちょっと驚いた。曲がかかってからの最上さんをみていたら涙が溢れてきた。その涙がどこからきたのかは分からないけれど、心が揺さぶられてすごく感動した。

ステージの形態にもびっくりした。こんな使い方ってあるの?!と思った。前回の公演後のトークで、儀礼についてお話されていたことを思い出した。このステージによって、演者と観客ではなくみんなが同じ場にいるって感じられた。とても素敵な空間だった。

まだ余韻の中にいる。何かを見て触れて自分の世界が深まるのは本当に嬉しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?