生活と不履行

 大したことではないが、生活が恐ろしく感じられることがある。日々見ている物事の大半が、忘却の果てに頼りなく存在しているように感じられるのだ。そして、なにより恐ろしいのは、それらのものを遠くに追いやっているのが、私自身であるということだ。
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 机の上の仙人掌に最後に水をやったのはいつだったか。
 借りている本はいつになったら読み終わるのか。
 思えば最近の私は、私自身を裏切りながら、不履行に不履行を重ねてきた。いや、不履行を繰り返すことによって、なんとか不必要最低限の、特に思い考えることもなく、無駄を詰め合わせただけの空虚な生活を送ってきたのだ。
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 しなければならないことを先延ばしにすることは、未来においてだけではなく、過去の自分に対しても債を負う。そして、未来の負債はいずれ解消することができたとしても、過去に自分が何かをおろそかにしたという事実は、一生涯にわたって消え去ることはない。
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 私が遠ざけてきたものは、いつまでも、負債として、不履行として、生活のどこかに立ち現れてくることだろう。
 しかしながら、その恐ろしさがこうして今、私に生活と対峙させたてくれたのだから、皮肉なものである。

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