ヨルシカ、盗作

初めてで拙い文章です。ご了承ください。

ヨルシカの「盗作」の初回限定盤。

CDを聴きながら小説を読んだ。読み終えてから記事を書くまでに、とても時間がかかった。物語の余韻に浸っていると、本当に時間はあっという間に過ぎてしまう。

僕はヨルシカを約一年前に知った。ヒッチコックで知り、だから僕は音楽を辞めたでヨルシカの曲に惚れた。そこからn-bunaさんがボカロPであったことも知り、ボカロ沼にハマっていくきっかけにもなった。自分が初めて買ったアルバム、「だから僕は音楽を辞めた」初回限定盤の感動は今でもずっと心に残っている。

さて、今回のアルバム、「盗作」は、音楽泥棒をする男性の破壊衝動がテーマだった。今の音楽作品は全て過去の人物や作品のオマージュ、盗作であるとこの物語の主人公(以下:音楽泥棒)は語った。確かに、同じ作者、同じジャンルの音楽で、全く似ていないものを探せと言われた方が難しいと思う。僕は音楽をしている。これから音楽をつくりたい。だからそんなことは無いと音楽泥棒の考えを否定したい。けれど、彼の言い分にも納得してしまうから言いたいことが言えない。素直に受け止めるしかないと悟った。

「盗作」には作者n-bunaさんの皮肉ともとれるような思いも描かれていると感じた。物語の主人公は作者に似るのではないかと僕は考える。これといった根拠はない。ただの偏見と主観的な考えである。

n-bunaさんの作品には主人公が居る。よって聞き手、読み手がn-bunaさん自身のこと、つまり作者を見ずに作品に浸ることのできる環境にあると思う。n-bunaさんは自分のことを見ずに知らずに作品を見て欲しいと言っていた。n-bunaさんがつくるから、suisさんが歌うからいい曲ではなく、メロディ、歌詞、物語性を評価して欲しいのだと思う。

数年前、僕の好きなミュージシャンがある騒動を起こした。かなり名の通った音楽家で、当時メディアでは連日流れていたと思う。それから彼とそのメンバーたちはメディアにもあまり顔を出さないようになった。盗作が出る前、某音楽アプリでそのミュージシャンの音楽を聞きに行くと一気に低評価が増えているような気がした。いや、ただ単にそれぞれが曲の評価をして低評価にしたのかもしれない。しかし、もしこの曲の評価が騒動のせいで下がったとしたなら、それはおかしい気がする。評価をつけるのは個人の自由なのだけれど、少し残念だな、と思う。だから音楽泥棒の彼の「作品に罪はない」という考えには大いに賛成した。僕は今でも彼の音楽が好きである。


僕はn-bunaさんの才能と努力が羨ましい。恐ろしくもある。世界の音楽を内側から見ているような気がする。と同時に自分たち個体(ヨルシカリスナー)の心もお見通しなのではないか。などとn-bunaさんが人ならざるものであると勝手に認識してしまっている。僕はn-bunaさんの曲なら全て好きだと受けとめられると思っている。今までがそうだったから。けれどそれはn-bunaさんの意に反している。n-bunaさんの世界観が好きだ、メロディの並べ方が好きだ。セカンドフルアルバムの「エルマ」収録曲、「神様のダンス」の歌詞、『僕らを貶す奴らを殺したい、君ならきっと笑ってくれる』。こんなにド直球な歌詞は聞いたことがない、不覚にも笑ってしまった。そして心に刺さった。本当に好きだ。心から言える。


このアルバムを通して、僕はいろんなことを感じた。

音楽で真のオリジナルをつくることの難しさや作者と作品を結びつけることについて、それから昼鳶のsuisさんの低音がとてもよかったこと。

僕の最終目標はn-bunaさんである。



ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。誤字脱字、日本語がおかしいと感じるところもあるかもしれません。自分なりに「盗作」の感想と「ヨルシカ」への想いを綴りました。

これからもヨルシカの活動に期待していきたいですね。