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自分の身体を好きになるには

身体からエネルギーを得る

今まで見てきたように、エネルギーを下げるような考え方というものをやめてみようとしても、なかなかそれだけではうまくいかないかもしれない。

気が付くと、また同じように悩み始めている。それは、悩むこともまたルーティン化されているからである。そして、自動的に走り出す思考にブレーキをかけるのにも、また別のエネルギーが要る。

これは、粗大ゴミを捨てるのにもまたお金がかかるようなものだ。だから、思考を捨てるのに必要なエネルギーを別に供給することによって、それらは上手く回りだす。

つまり、エネルギーの無駄を減らすための取り組みと、エネルギーを積極的に獲得していくための取り組みは、同時並行的に為されていくことになる。

そして、そのエネルギーは身体から獲得される。だから、エネルギーの器としての身体を最大化させるということが、何を目指していくにしても、当面の目標になってくる。

それは、良く食べて、良く運動して、良く眠るということである。

でも、どうだろう。こういうのは、忙しい生活の中で、わかってはいるけどなかなかできない、といったものだ。つい寝るのは遅くなってしまうし、運動するのも億劫な感じがする。手軽さやストレスもあって、ファストフードを利用してしまう。

このように、現実の生活の中では、いつも優先順位が下げられてしまうのが身体のことである。それは、なぜなのか。もちろんその時々に理由はある。そうではなくて、本当のところは、どうしてなのか。

自分の身体が好きになれない

それは、自分の身体のことが自分で好きになれないからなのかもしれない。

生きていて、容姿や年齢、身体能力などによって判断され、傷ついたことのない人などいない。そうすると、もっとこうだったら、あの人みたいだったら、と自分の身体について思うようになる。そして、そのことがあまりに積み重なると、自分の身体のことが自分で好きではなくなってしまう。

この身体じゃなかったら、もっと幸せな人生だったはずなのに。

そして、身体の方も、自分のことが今はあまり好きにはなれないのかもしれない。だから、自分のためには、なかなか動いてくれようとしない。

これは、飼い主に散々ダメ出しをされて、すっかり拗ねてしまった幼い動物のようなものである。だから、まずは相手の信頼を取り戻すというところから始めていかなければならない。そうすれば、もう少し言うことを聞いてくれるようになるかもしれない。では、どうすればいいのか。

身体に与える

身体に、与えることだ。鞭を打とうとする前に、与える。具体的には、身体が気持ちいいことをする。マッサージや鍼、温泉やスパなどに行く。身体に良さそうな、美味しいものを食べるのもいい。公園で日向ぼっこをするのなら、無料でできる。大切なのは、贅沢をしようとすることではなく、身体と一緒に過ごせるような時間を過ごすということだ。

さあ、お出かけしよう。長い間不仲になってしまった相手に対して、そう声をかけることが難しいということはわかっている。

その時間は、少し気まずい感じがするものになるかもしれない。お互いにまだ言いたいことが残っているのかもしれない。でも、そうしていても仕方がない。仲直りのために必要な時間というのは、そういうものだろう。

与えれば、返ってくる。世界はそのように出来ていて、自分の身体もその世界の一部である。

でもそれは、まだ幼い動物が握り返す小さな手だ。たとえその贈り物が、どんなに小さなものであったとしても、そのことは繊細に受け取られなければならない。

一緒に過ごした次の日には、いつもより少しだけよく眠れた感じがするかもしれないし、少しだけ散歩に出てみようという気分になっているかもしれない。それでいい。そのような小さな気持ちの変化というものを決して見逃さないように、丁寧に拾っていくようにする。

身体を愛すること

クラブで知り合った人で、高額な整形手術を繰り返しながら、体を売って稼いでいる女性がいた。死にたい、というのが彼女の口癖だった。実際にそのような気分なのだろう。

でも、そう口にする彼女とは裏腹に、散々傷ついてきたはずの身体の方は、まだ元気だった。少なくとも、いつも夜通しで踊っていられるほどのエネルギーは残っていた。

あるとき、疲れてしまったのか、彼女が店のソファで眠ってしまっているときがあった。細いリズムで上下する彼女の肩のことが気になった。生きることを望んでいないその宿主がいない今も、身体は健気に呼吸を続けていた。彼女の心は病んでいる。それでも、彼女の身体は生きようと必死だった。

主である自分にどれだけ嫌われてしまったとしても、身体はその自分を生かそうと、今も懸命に呼吸を続けている。

人は、自分の身体を愛せる。それは、どんな他人の期待や欲望に応えようとすることでもなく、ただ一匹の動物との信頼関係を築くということである。餌を与え、鞭を打つような飼い方ではなくて、心を与えるようにして、生涯の伴侶として、自分の身体を育てていくことができたらどうだろうか。そうすると、奇跡が起こる。

あんなに弱々しく怯えていた幼い動物が、この世のものとは思えないほどの、美しい幻獣としての姿を取り戻す。

自分は美しい。誰が何を言おうと。そう心から思えば、そうなる。それは、どんな他者の評価や経年の劣化にも脅かされることのない、内なる確信である。そのことは、外から見てもはっきりとわかるものだ。そのように自分を信じ始めた身体からは、特別な輝きが放たれている。

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