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月を見る

もし、例えばアラジンのジーニーやドラゴンボールの神龍のような、どんな願いごとでも叶えてくれるような精霊がいたとして、自分は一体何を願うだろうか。

理想の自分はどんな場所で、どんなことをしているのだろう。もっと豊かさに囲まれていたいと思うかもしれないし、心から熱中できるようなものに出会いたいと思うかもしれない。それがどんな理想の生活であってもいい。もちろん、そこにエルメスのバッグの一つくらいあってもいい。

でも、もしかしたら本当は心の深いところで、自分はこう思っているのかもしれない。

私は与えられることよりも、本当は産み出すことを望んでいる。

産み出したい。それが自分の感じている苦しさの本当の原因だったとしたら。それは、何か体験や交流、コミュニティのようなものかもしれないし、作品のようなものかもしれない。それがどんなものであれ、何かを産み出すということによって、自分は豊かさを手にしたい。

もしそのように願っているのだとしたら、きっと空に浮かんでいる月が助けになってくれる。何かを産み出すということと月は深く関係しているからだ。

神龍に願いを叶えてもらうにはドラゴンボールを七つ集めることが必要だったが、それでは月に願いごとをするのだとしたら、どんなことが必要になるのだろうか。そのことは、月の精霊に聞いてみなければわからない。

夜中に外に出かけたら、空を見上げて月を探してみる。ぼんやりとそれを見つめていると、それが微かに震えているということがわかる。その震えに、自分の指先から肌の表面、心の中までを委ねるようにしながら、自分がそうしているということを忘れる。そうして、波に攫われるボートのように、ただ連れ去られてしまうのを待つ。

そうしていると、か細い月の声というものがなんとなく感じられてくるような気がする。それは、何かをひどく不安に思っているのかもしれないし、自分を本当に分かってくれる人なんて誰もいないということをさびしく思っているのかもしれない。あるいは、何か過去の傷や後悔のようなものがあって、今でもそれが痛みとして感じられているのかもしれない。

それが月のものか、自分のものか、誰のものだったのかを今区別する必要はない。ただ静けさの中で、震えを繊細に感じとったら、それを柔らかく包み込むように、丁寧に拾い上げて、手放す。

本当は、これ以上何かが欲しいということだけではなくて、心のどこかでこの世界がもう荒んでしまっているように感じられている。ここにいると疲れてしまう。もっと安心できるようなところに帰りたい。そんな痛ましい声が、どこか深いところから聴こえてくるような気がする。

そうして、月の気持ちを受け止めることが出来たのなら、今度は自分の願いを叶えてもらえる番がやってくる。心が重なったその瞬間に、月が本当に望んでいることが何なのかを知ることができるからだ。

空に浮かぶ銀色の天体から見て、この星は一体どう見えているのか。いつまでも奪い合い、傷つけ合うということをやめないこの世界を見て、ひどく悲しい気持ちになっているのかもしれない。

そうして、何かを感じとることが出来たのなら、自分の願いと月の願いをつなげてしまえばいい。私たちの願いは元々一つなのだと。そのことがきちんと月に伝われば、それは必ず叶えてもらえることになる。よく考えたら、それは当たり前のことだ。

私のこの願いを叶えてくれたら、世界から傷つけ合うということがなくなります。

そう伝えるのは、さすがにこじつけが過ぎて無理があるかもしれない。でも仕方ない。少しずつ、辻褄が合うようになっていけばいい。お互いを深く知っていくということによって、異なる二つの願いたちは自ずと近付いて来るようになる。雪解けを長く見守るようにして、それらが重なるときを待つ。

もうこれ以上、世界から傷つけ合うということがなくなるように、私に奉仕をさせてください。

例えば月に対してそのように告げたとき、全てが与えられる。その傷つけ合うことがない世界というものの中には、もちろん自分だって含まれている。

この世界がどんなところだったら、自分は脅かされることがなく、もっと安心して過ごせるだろうか。そのことを願うとき、人は美しく清らかに輝いている。月そのものになっている。

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