占いにおける共感の技術

共感とは何か

占いの場において、共感は重要なスキルだとされている。だが、この共感という言葉は、とても曖昧で、多くの意味を含んでおり、捉えづらいものだ。その全てを、ここで語り尽くせるものではない。ここでは、相手の感情を描写するという一つの切り口からそれを捉えてみることにする。

感情を描写されることでトランスに入る

人は、自分の無意識の感情を描写されることでトランスに入る。

僕が、昔ある女の子とデートしている時だった。彼女とは、お互いの嘘や不誠実さが積み重なり、この関係に疲弊しながらも離れることが出来ないという、共依存の典型のような関係だった。

一緒に見た映画の話などをしていた時だったと思う。会話としては成立している。だが、どこか上滑りな様子で、この会話には明らかな不自然さが漂っていた。僕はその状況に嫌気が差して、この会話の当事者であることをやめて、まるで他人事のようにこの悲惨な男女を観察してみた。そうして、自分の心にふと浮かんだことを捉え、口にしたのだった。

「もしかして、怒ってる?」

彼女は目を見開き、ハッとしたようだった。それまで閉ざされていた彼女の心が、少しだけ開かれたように感じられた。彼女も、この不毛な会話を続けることによって、僕に対する警戒と拒絶の体勢を維持し続けていたのだ。僕もまた、彼女に対する怒りを自分自身に隠し続けていた。自分の無意識の感情に気付くことで、彼女の怒りにもまた気付くことができたのだった。そうすることで、その閉じた関係は、少しだけ開かれることになった。

このように、人は自分が意識していない感情を描写されることによって、トランスに入り、こちらの話を受け入れようとする体勢に入る。そうするためには、自分自身に隠している感情を自覚し、先にトランスに入らなければならない。

今、自分が自分自身に隠している感情は、何なのか。そのことを自覚するだけで、停滞した関係は深めることができる。

自分自身という偏見に揺さぶりをかける

占いにおける共感とは、この体勢を作り出すためのものだ。スプレッドにおける第一段落をこの共感にすると決めている占い師も多いだろう。依頼者は通常、複数の感情をもってこちらの元にやってくる。それは、彼に対する不信感かもしれないし、自分を責める気持ちかもしれないし、恋敵に対する嫉妬の気持ちかもしれない。依頼者と向き合った段階で、占い師には無意識で依頼者に対する見立てをもっている。「この人は辛かったんだろうな」というのがそれだ。しかし、それは自分自身という偏見に過ぎない。依頼者が本当に受け取って欲しい感情は、そうかもしれないし、全く別のものかもしれない。

特に、タロットのような卜術の場合、それはただの偶然に結果を任せるデタラメだということだ。そして、世界がそもそもデタラメなのだ。デタラメにはデタラメで対処する。そのことが世界に対する誠実な態度となる。どういうことか。

自分を含めた人間は神ではない。だから、目の前の人間を丁寧に受け取ろうとしたとき、自分という人間の解釈は必ず間違っている。だから、必ず間違っている自分の考えよりも、デタラメの方がまだマシなのだ、と言うこともできる。偶然に結果を任せようとすることで、占い師は、自身の認識に揺さぶりをかけることが出来る。そうするためには、自分よりも信じているものがある、ということが条件になる。このことは、難しい。神性とは何かを問うことに等しいからだ。簡単に語ることは出来ないが、例えば僕の場合、自然やアートというものが鍵になっている。

具体的な占いの例で言うと、「この人は辛かったんだろう」そう見立てを立てていたとする。このことをそのまま口にするのは、有効でないこともないが、太刀は浅い。そこで、引いたカードが怒りを連想させるものだったとする。そうすると「辛かった、というのは自分の思い込みなのかもしれない、本当はこの人は怒っているのかもしれない」という視点を得ることができる。ここで重要なのは、何が正解なのか、相手の感情をカードで言い当てることではない。自分は思い込み過ぎていないだろうか、もっと別の可能性はないだろうか。そのように、自分自身を疑うことのできる誠実な状態を作り出すことに意味がある。カードを引くのは依頼者のためではない。占い師が「自分の方が良くわかっている、考えられている」といったような自身の傲慢さを戒めるために引くものだ。

占いとは外すためにある

そう言ったら驚くだろうか。だが、どんな高度な占術をもってしても、人の気持ちをわかると言い切ってしまうことは、傲慢さでしかないのではないか。

「貴方はこう思っているんでしょ?」

そう言われると、反発したくなってしまう。だから、確信と覚悟をもっている場合でなければ、相手の感情を堂々と口にするべきではないだろう。そうでないのならば、「こんな感じでしょうか?」と伺うようなニュアンスが大切だ。本当のところは自分にはわからない、わからないものはわからないと素直に表現することが、目の前の人間に対する誠実さというものだろう。わからないから、一緒にそれを探ってみましょう、という感じだ。

占いの世界では、自信をもって断言することが大切だ、と言われることがある。これは、本当に自信を持てているのだからそうなる、ということであって、ないものを取り繕おうとすることではないと思う。詳しくは述べないが、自分に嘘をついてそれを装うことで、依頼者を依存させることは出来てしまう。そうすると、最初のうちは大いに感謝もされるが、いつか必ず恨まれることになる。リスクを承知で、それが必要な場面があることは否定しない。だが、自分のためにそうするくらいならば、未熟な自分を差し出して、依頼者をガッカリさせ、自分が傷つく必要があると思っている。

反撃を待つということ

では、占いにおける共感とは何か。それはフェイントの太刀を仕掛けるようなものだ。外すことが予定されたフェイントの攻撃をかけて、反撃を待ち、それを受け止めることに意味がある。思わずフェイントの攻撃が効果的に入ってしまう、ということもあるだろう。それは、コールドリーディングと呼ばれることもある。だが、それはただの幸運に過ぎない。タロットで読み取った相手の感情を描写する。そうすると、相手は「本当に言いたいことはそういうことじゃないんだけどな…」という素振りを見せることがある。その隙を逃さないことだ。

「もしかして、何かに怒っていませんか?」
「そうなんです。たしかに許せないことはあって。でも…」

「でも…どうかしましたか?」

静かに、そっと聞く。その奥にいる。まるで妖精を捉えようとするかのように。ここでそれを捕まえようとする強硬な姿勢を見せてしまっては、その感情はすぐに心の奥へと逃げていってしまう。相手が何を言っても、こちらには受け止める準備があることを示しながら待つ。そのことこそが目的なのだ。そうすると、依頼者は少しずつ、自分の心の中に本当に眠っているものをこちらに伝える準備が出来てくる。それは、自分が最初に見立てた辛さでも、カードが示した怒りでもない、本当の答えは全く別の場所、空間と自分と相手の交点にあったのだ。神はそこにいる。

こうして築いた共感が、本当に出来ているのかを確かめるには簡単な方法がある。それは、自分自身の心に問いかければいい。相手の感情が、まるで自分の心の中にあるように、ありありと感じられる。まるで二人で一つの繭に包まれているように感じられているとき、呼吸が一致し、そのことは成功している。

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