今更FGO第一部が好きって話をさせてくれ

この題名を見てここに辿り着いた貴方はきっとFGOが好きな方なのでしょう。

貴方はFGOの何が好きですか?

キャラクター?バトルシステム?世界観?

僕は専ら、メインストーリーです。

最近はログインもおざなりになり、イベントもろくに遊べてない日々ですが、それでもFGOを好きかどうか訊かれたら胸を張って「好き。」って言うでしょうね。

メインストーリーが好きなので。


皆さんの「好き。」が果たして何なのかは知りません。

ですが、今から身勝手にも僕の「好き。」を語ります。

僕の思うFGO第一部とは何だったのかを語り、僕の惚れ込んだ物語について語ります。

心して聞け。



FGOの第一部は概ねマシュとゲーティアの人類問答でした。

人類問答っていうのはつまるところ

「人類、捨てたもんじゃねェだろ。」と「人類はクソ。」を主張しあうディベートですね。

では今一度、両派閥の生い立ちと主張を整理しましょう。

【マシュ・キリエライト】
英霊を宿すただの器としてこの世に生を受け、肉体は寿命を全うできるほどの強度すらなく、愛してくれる親もいない。研究という名の虐待を16年間受けていた試験管ベビー。

彼女は人類を肯定します。

【ゲーティア】
ソロモンが人類から受けた非人道的な行為を目の当たりにし、ホモ・サピエンスと彼らの作る未来に価値はないと判断。有限の命でクソを撒き散らす下等生物がこのまま歴史を作り続けるくらいなら地球を1からやり直し、クソ猿に代わる新たな永遠の生命を生み出そうと試みる。

彼は人類を否定します。


お気付きでしょうか。2人の共通項を。

そうです。2人とも“クソな人類のエゴイズムと残酷性を溢れんばかりその身で経験した”という点で、似た境遇を持っています。

ゲーティアは言うまでもなく人類に希望などありません。

しかし、マシュもその生い立ちから人類を憎む権利があるのにも関わらず、肯定する立場を選んだのでした。

何故か。

その理由こそがFGO第一部における根幹部分でありましょう。

マシュ・キリエライトが人類と人類史を庇う理由、それを見つける旅こそ人理修復であり、Fate Grand Orderという物語です。

そして、これが僕の好きなFGOでもあります。


輝くような悪人も、吐き気を催す聖人もいる。
だから君も、自分の未来を恐れる必要はない。
君は世界によって作られ、世界を拡張し、成長させる。
人間になる、とはそういうコトだ。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

マシュ・キリエライトは16年間、カルデアのとある一室が世界の全てでした。
外界との関わりはせいぜいロマニが持ってきてくれる書籍や資料程度のものでしょう。

与えられた肉体、与えられた部屋、与えられた娯楽、与えられた人生。

生まれてこの方、主体的な選択権の無かった彼女には自身をカタチ作る要素というものが、からっきしありません。

言うなれば無地のキャンパス

そんな彼女の環境はある日突然、特異点の出現と共に大きく変化します。

カルデアの狭く陰鬱な一室から世界を拡張し、地球とそこに生きる人類を知るのです。

人類とは何も、輝くような悪人や吐き気を催す聖人だけではありませんでした。

旗を掲げる救国の少女や、戦場を駆ける白衣の天使、忠義を果たした隻腕の騎士。

拡張された世界では有限の命を燃やし、人類の価値をこれでもかと示した者達と出逢いました。

そして彼らこそ、無地のキャンパス同然だったマシュ・キリエライトの精神に色彩を与えた者達でもあるのです。

赤、青、翠、黄、黒、紫…
 
無地のキャンパスには出逢いの数だけ色が塗られていきます。

心のキャンパスが色彩豊かになればなるほど、よわい16歳、鳥籠でずっと生きてきたマシュは考えるのでした。

人類の価値とは。人類史とは。ヒトとは…。



すべての命に終わりがあるのに
どうして人は怯え 嘆くのだろう。

いつかは失うと知ってるから
当たり前の日々は何よりも美しい。
坂本真綾「色彩」

そうして、悩んでいる内にも出逢いは重なっていきます。

例えば、命を番えた一閃を穿つ弓兵。

彼のように人の煌めきを放ち、人類の可能性を示す英雄との出逢いを重ね、マシュ・キリエライトはついに悟りを得るのでした。

全ての命に終わりはある。

人の価値とは、その有限の命で何を為すか。
人の数だけ歴史があり、歴史とは命を燃やして紡いだ人類の結晶。


きっと終わりのない生命に成長はないでしょう。

いつかは失うと知っているからこそ、人は煌めきを見せるのです。

そしてそれが何よりも美しい。


これがマシュの答えであり、人類と人類史を肯定する理由でした。

彼女には、ゲーティアの提示する“地球をやり直して創る永遠の命”を否定することはできません。

ですが、少なくとも、人類を肯定する材料はその旅路でたくさん得ました。

オルレアンの風の爽やかさ、セプテムの気高い熱気、オケアノスの潮の匂い、ロンドンの湿った空気、アメリカの力強い大地、キャメロットの眩しい太陽、バビロニアの人の暖かさ。

その旅路で見たもの全てが、彼女の人類賛美を後押しします。

永遠の命が正しいのかどうかはわからない。

でも、私がこの目で見た人類は間違いなく美しかった、と。


そして、この主張に対するゲーティアの反論はと言いますと…

3000年分の人類史全てを熱量に変換して放つ滅殺ビーム


でした。



…………。

……………………。
 

いや、大人げなさすぎるやろ。


16歳の少女が振り絞る決死の主張に対して、ゲーティアは言葉を超越した3000年ビーム(物理)で対抗するのです。 

残念ながら、この熱量を防ぎうる物質は地球上には存在しません。

しかし、マシュ・キリエライトの護りは、精神の護り。

終局特異点に降り立つ人類全てが、今ここでゲーティアに怯むことなく盾を構えるマシュ・キリエライトの精神を創ったのです。

だから、彼女は護ります。

怖いけど、熱いけど、辛いけど、痛いけど、もっと生きたかったけど、誰かの為に盾を構えるのです。

有限の命で歴史を創った人類を見てきたから。

人類だけが放つことのできる美しさを知っている彼女は、自らの命を捨てる事に後悔はありません。

その命を“未来”のために使えるのなら。


マシュ・キリエライトの自己犠牲は、ゲーティアへの最大のカウンターでもありました。

『終わりある命』とこの惑星を狂気とまで言って突き放し、拒絶する彼が放った絶体絶命の第三宝具。 

しかし、そのアプローチはたった1人の少女の盾すら貫けません

物理法則を無視して、未来を護りきった盾が冠位時間神殿の大地に煌々とそびえ立つこの瞬間。

まさしく、ゲーティアの主張が決定的に破綻した瞬間でありましょう。

こうして未来は取り戻されたのです。



ここまでがマシュ・キリエライトの物語。

数多の英雄が1人の少女の精神に色彩を込めて、人理滅却式の逆光運河/創生光年に立ち向かう物語。


僕の好きな物語。


僕の惚れ込んだFGOのフレーバー、僕の「好き。」ってやつ、わかってくれましたか?


今度また、貴方の「好き。」も聞かせてね。

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