感情論で紐解くファスト映画

「ファスト映画は著作権法を違反した立派な犯罪である。」
模範解答としてはコレが正しいのだろう。

しかし

俺は映画ファンだ。
著作権法違反を指摘するのは何一つ間違いではないが、映画ファンならば、感情論で怒ってもいいだろう。

このnoteでは、敢えて感情論でファスト映画が何故駄目なのか紐解いていきたい。

映画は多くの人がお金と時間を掛けて作る総合芸術。
ファスト映画は作り手の意図を無視し、映画を切り刻んでお金儲けをする行為であることが問題。
東京フレッツ法律事務所 中島弁護士

あなたはミュージカル映画『ラ・ラ・ランド』を観たことがあるだろうか?
この映画の冒頭は、はっきり言って正気の沙汰じゃない。

炎天下のロサンゼルス・ハイウェイで、150人ものパフォーマーが4分間ノーカットで歌と踊りを魅せる。

幾つものカットを繋ぎ合わせて1つの作品を紡ぐ映画という芸術にとって、4分間という時間は短いようで、実はとんでもない長尺だ。

150人が4分間ぶっ続けで一度の失敗も許されないパフォーマンスを披露するシーンといえば、その激ヤバ具合が分かるだろうか。

当時は映画評論家もこぞってこのシーンを讃えていた。

渋滞が名物と言われるほど交通量の多いハイウェイを半日貸し切って撮影したこのシーンは奇跡の出来栄えといっても過言ではないだろう。

『ラ・ラ・ランド』はそんな、映画史に残る反則級のミュージカルパートを冒頭にぶつけてくる。

しかし、仮にファスト映画投稿者が『ラ・ラ・ランド』を切り貼りして編集した場合、こんな奇跡の4分間は無かったことにされるであろう。

10分かそこらで終わるファスト映画にとって、冒頭のたった4分間に、その動画の半分もの尺を割く余裕なんて無いのである。

そんなの絶対に嫌だ。

たった半日しか貸しきれないハイウェイでの本番撮影のために、血の滲むような練習をしたであろうパフォーマーの功績は、ファスト映画では無かったことにされるのがオチだ。
この正気の沙汰じゃないアイデアを思いついた監督の創意工夫も水の泡である。

そんなことあっていいはずがない。

なぜならば、俺はこの冒頭4分間が大好きだからだ。

1日の始まり、朝の忙しなさを象徴するロサンゼルスの大渋滞。

何処からともなく流れてくる伴奏によって、そんな喧騒は吹っ飛ぶ。

ミュージカルの底抜けな陽気さが“非日常”という映画の醍醐味を100%引き出してくれる。

そんな、この冒頭4分間が大好きなのだ。

これを作った人々の努力が、見ず知らずの他人によって冒涜されるようなこと絶対に嫌である。

今回は『ラ・ラ・ランド』を例に挙げたが、何もこの映画に限った話ではない。

タランティーノ監督作品のジェットコースターのように緩急のある会話シーン。

エドガー・ライト監督の世界観を形作るようなBGMの使い方。

作り手が産み出すその芸術の“色”をファスト映画は悉く否定する。

「シナリオだけ分かればそれでいい。」

そんなの料理は素材の味だけ分かればいいと言ってるのと同じだ。
繊細な味付けや、食欲の唆られる盛り付けを無視されて喜ぶ料理人なんていないであろう。

そもそも、ファスト“映画”が曲がりなりにも「映画」と銘打たれている事にすら虫唾が走る。

作り手の努力や苦労を無視して、再編集が為された

“映画だったもの”

を果たして映画と呼んでいいのか。

俺には理解できない。

作り手の哲学が映像としてカタチになった芸術こそ“映画”だ。

映画ファンとして、俺は作り手への敬意を忘れたくない。

だからこそ、声を大にし、こう言おう。

俺はファスト映画が嫌いだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?