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思考をみせられない
「今の話さっきのとどう繋がってるの?」
「これとこれは違う話だよ」
「あやかの話はどんどん広がるね」
今までどれだけ言われただろうか。
伝わる話し方をできるように努力している。
伝わる話し方をできるように、と心掛ける度に自分の何かスキなところを失っている気もするのだ。
私は話をするとき、過程を飛ばしてしまうことがよくある。
順当な伝え方が〈A→B→C〉だとすれば、私は〈A→C〉になり、ひどいときには〈A→D〉になることがある。
自分でもわからないし、省いている自覚もない。
アインシュタインの逸話で、
「数学の点数が低かったのは途中式を書いていなかったからだ」
というものがある。
私はこれを知ったとき心が軽くなったのだが、これは傲りだろうか。
まあ、私はアインシュタインだと思い込むことで気持ちがよくなるので良しとする。
私はよく恋人に「再現性がない」と言われる。
それは思考過程を自分でも理解できていないことから生じている。
他者だけでなく、自分にも弊害があるではないか。
ウケる。
恋人と付き合ってから3年が経つが、最初は「今の話どっから出てきた?」と良く問われたものだ。
3年の中で聞かれるであろうタイミングを予測できるようになったので、恋人から尋ねられる前に自分で説明できるように少しはなったのだが、まだ完全ではない。
私のnoteを呼んでくれる人にはわかるであろう。
めちゃ話飛んでるやん。
ハハッ
大人になるにつれて自分が薄らいでいるように感じてしまうのは勘違いなのか?
他者にも自分にも思考を見せられないのは結構よろしくない。
それなのに、それが自分だと思うのは私がまだまだ幼いからなのか?
私が社会人として過ごせるようになるには、
・自分で思考を見せられるようになる
・コーチングしてくれるパートナーを見つける
の2択なのだが、現実的なのは圧倒的に前者だ。
生きやすいのは後者だ。
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