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読書日記 九月

読書日記をつけていたからか、8月は読書がとても捗ったので9月も引き続き書き続けてみようかと思う。

9月8日(日)
白銀のすすきの穂がしなやかに川べりの風に揺られ、見上げる月や浮き雲に何とはなしに淋しさを感じる。
ああ、秋めいてきたなあと油断していたら、途端に36度の残暑が襲いかかるのだから、全くもって油断がならない。

さて、そんな猛暑とこれから訪れるのだという台風15号に背を向けるように、私は今朝がた広島行きの新幹線へと乗り込んだ。
父の誕生日祝いに料亭の予約を取ったついでに、奈良京都へ小旅行をしようと思ったのだ。

思えば夏の終わりから秋にかけて旅行へ出る時は、いつも台風に背を向けているか、あるいは何故か着いた途端に台風の影も形もなくなってしまうことが多い。
先日も、まだ大雨の影響の強く残る福岡へ飛んだが、ほとんど雨に降られることもなく、また、昨年の京都ではホテルのテレビで関東の台風の惨状を見ながら窓を開け放して涼んでいたように思う。
そんなわけで、どうやら私と台風はあまり反りが合わないらしい。

さて、そんな京都までの旅のお供に、私は少し前から読んでいた『小川未明童話集』を鞄に忍ばせてきた。と、思ったのだけれど、荷支度のバタバタのうちにどうやら宅へ忘れてきてしまったらしい。

どうしたものかと思っていたら、ちょうど母が二冊本を持っていた。借りてぺらぺらと捲ってみたところ、面白そうだったので読むことにする。
浅見淵の随筆集『新編 燈火頬杖』だ。
徳田秋聲や泉鏡花、瀧井孝、志賀直哉等と交流のあった文芸評論家の眼から見た文学者たちの姿が回想されている。
その語り口がまた優しく、尊敬に満ちていて、思わずこの本のなかに生きている文学者たちの本を読みたくなってしまった。

明日には読み終えてしまいそうなので、次は原田マハの『リーチ先生』を読むつもりだ。奈良博で購入した仏典童話の絵本2冊もなかなか良さげなので、こちらは家に帰ってからゆっくりと目を通したい。
(『新編 燈火頬杖』)


9月30日(月)
今月はあまり更新ができないまま10月を明日に迎えてしまった。
というのも、来月に大きな発表を控えており、読む本読む本みんなその関連書籍になってしまっているのだ。
ここでは、なるべく娯楽で読んだ本を中心に記録をとっていきたい。
そんなこんなで、9月の読書量は少し控えめだ。

そんな中で届いた本が一冊ある。『色材の博物誌と化学』だ。
夏コミで販売されていた山猫だぶさんの新刊で、うみねこ博物堂さんに通販予約をしていたもの。
理系の科目にはとんと弱い人間ではあるのだけれど、化学的アプローチから語られる色の秘密、実験、小話等はとても興味深く、長く楽しめる一冊になりそうな予感がする。
間違いなく今夏買ってよかった本のひとつだ。

まあ、そういったわけで本の話はあまり出来そうにないので、読書日記という名目ではあるものの、今日はここ最近の徒然をのんべんだらりと記して9月の締めにしようと思う。

今月は、個人的な手紙をよく書いた月だった。
中高時代の友人や恩師、大学や院からの友人、同人関係のお友達、祖母エトセトラ。
そうして改めて、何を書こうかと思案しながら過ごす一日も、宛て先人ごとに選んだ便箋に封をして、それを辻路のポストに投函する瞬間も、返事の封をお気に入りのペーパーナイフで慎重に開ける瞬間のあの緊張と期待も、私はとても好きだなと思う。
最近は奈良ホテルで愛らしい文香を手に入れたので同封しながら、あの人の手に届く頃、それはどんな香りをしているのかしらと、手紙の辿る道筋に想いを馳せるのだ。

手紙を書くとみんな、いつもより少し饒舌になるような気が私はする。
用件だけには終わらずに、何か身近にあった季節の風物や、美しかった風景や、懐かしい青春時代の一片が、封をされ手もとに送られてくる。
思いもかえなかった人から思いもかけない言葉をもらったり、もう覚えていないだろう遠い昔にもらった言葉が私の道しるべの一つになっていたのだと、今さらこっそり告げてみたり。
きっと、こんな言葉は手紙のやり取りでもなければあんまりにも照れ臭くて伝えることは出来なかっただろう。
私たちは多分、次に対面でまみえた時にもその内容を口にすることはなくて、それでも貰い伝えた言葉は互いの手もとに形として確かにある。
それは、とても素敵なことだなあと。

そんな、往復書簡のある晩夏を過ごしておりました。
金木犀の香る日も近そうですし、秋は読書にうってつけなので、実生活が落ち着いたらまた10月は、ぼちぼち趣味の本も読んでいきたいものです。

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