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やがて満ちてくる光の

を読んだ。
梨木香歩が、作家としてデビューしてから現在までの25年間に、様々な媒体に残したエッセイたちを一冊にまとめた本である。これを読んでいるうちに、無性にブログを書きたいなと思った。思いついたらもう居ても立ってもいられなくなったので、早速書いた。それが、この記事である。

きっかけは一冊の本だったけれど、この記事のなかでその感想を書くつもりはない。梨木香歩の本はいつでも、必要な瞬間に必要な言葉を与えてくれるけれど、その言葉は読む人によって異なるものだから。
というのが理由の一つ。
もう一つは、今の私はこの本から受け取ったものをほんの少しも零したくないと思っているから。文字にしてしまったら、言葉にしてしまったら、受け止めたばかりのかたちのない美しいものたちがみんな風に攫われて消えていってしまうような気がして、躊躇しているのだ。
そんなふうに思う一方で、読み終えたそばから、自分の受けた感覚を出会う人、出会う人みんなに大声で伝えてまわりたい日もある。そういう日があれば、きっとここにも書くだろう。

実はブログを開設するのはこれで三度目だ。
最初は中高時代、次は生まれて初めての創作というものにようやく慣れてきたばかりの四年前。そして今。
思い返してみるといつも、私は生活にどうにもならない息苦しさや閉塞感を覚えた時にブログをつくっている。具体的に社会や自分の身のまわりに何があったわけでなくても、漠然と迫りくる閉塞感と折り合いをつけて付きあっていくために、私にとってはブログというツールはとても有効なのだろう。
日々を記す機能というよりは(それだけでいいのなら、私は10年来日記をつけ続けている)、カテゴライズ出来るところにどうにも私は惹かれているらしいと、最近になって気がついた。

三度目の今回、noteを選んだのは、"note"という名称が気に入ったからだ。覚え書き。私が、私にとって大切で必要なことを忘れてしまわないように走り書くメモ。

私はよくメモをとる。
最寄り駅までの川沿いの道を歩く時や、地下鉄のなか、あるいは人や自然の生み出した様々に美しいものを見た瞬間、ぼっと火が灯るように突然自分の胸のうちに生まれて転がり出る思考を忘れてしまう前に、手当たり次第に探して見つけた紙に書きつけるのだ。
大抵の場合、書き終えた瞬間に私は満足してしまって、それらのメモはどこかの本の隙間やカバンのポケットに突っ込まれたまま、そのあと数年近く忘れ去られていたりする。
同じ帳面を持ち歩いて、そこにメモを溜めていけばいいと分かってはいるのだけれど、私はこの自分でも覚えていない紙きれと予期せぬところで出会う瞬間がどうにも好きで、未だに持ち歩く癖はつかないままである。

そういった、今までの人生で優に1000は超えるだろう数を書き連ねてきたメモのなかでも、幾度も見返したいものや、その場限りで終わらず事あるごとに思考を積み重ねているものがある。このnoteでは、そういった、いつものメモよりもほんのちょっとだけ特別な覚え書きを、記していけたら良いなあと思っている。


というわけで、noteをはじめてみました。
自分の生活に即したことを、自分のためだけに書いて分類する場所。目新しいことも、実のあることも何も置いていない、そういう至極私的なことを置いておく場所になります。

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